6月の聖書の言葉「成長させて下さったのは神です」コリントT3章6節
畑の草が一雨降るとびっくりするぐらい伸びています。
次の日晴れならもう大変な勢いです。
6月は草も木もぐんぐん伸びて、それを食べる虫たちが一気に増え、
そして鳥たちはその虫たちを餌にしながら子育てをします。
田んぼにもオタマジャクシや昆虫の幼虫や虫たちがいっぱいになります。
「いのち」のあふれる月、6月です。「いのち」の不思議を感じる6月です。
誰があの小さなクモに巣を作ることを教えたのでしょう。
誰があのカエルに卵を生む場所を教えるのでしょう。
小さな一粒の種の中に何百もの実をならせる力を誰が隠したのでしょう。
キリスト教幼稚園では6月によくこの聖書の言葉を覚えます。
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さったのは神です。」
目に見える事柄の中に目に見えない力を感じ、畏敬の念を持つこと。
そのことが人間として知恵深く愛を持って生きていく為に本当に大切なことではないかと思わされます。
6月のテーマ「ふれる」
リュックサックをしょって歩くことに慣れてきた子ども達。
急に暑くなるとさすがに疲れを感じますが、みんなこの生活に慣れてきましたね。
慣れてきたと同時に、自分の思いも出始めました。
今日はあれをしたい!と思いを持って登園することもできるようになりました。
工作もだんだん複雑に工夫したものもできるようになりましたね。
お友達のこともよく分かって来て、あの子と今日は手を繋ぎたいとか、
隣に座りたいとか・・・欲求もはっきり出てきました。
でも、その願いどおりにいかないこともたくさんあります。
お散歩のときに誰と手をつなぐか・・こんな問題が最近多くなりました。
私はあの子と繋ぎたいけれどあの子は他の子と繋ぎたいし・・
みんなで困った困ったと会議になります。
「今はあきらめて、お弁当の時に隣に座ったら?」と他の子からの提案もあります。
そんなことで散歩に出かける前に10分15分時間がかかることもあります。
私などは面倒臭くなって「こうしたら?」と提案してみたり、
「じゃあ、3人で繋いでおくか!」なんて言ってしまいそうなところを
保育者は待って、気持ちを聞いて、一緒に困って、一緒に考えています。
そして、何とか二人ずつ手を繋いで出発になります。
しかし、そうやって繰り返し、一緒に困ったり考えたりしていると、
やはり、子ども達の中に優しい心が育っていくようなのです。
今日はR君がお当番でした。長い長いこと待ちました。
でも、R君は最初、待てなかったのです。
今日、自分のお当番でないことに腹が立って、
どうして自分ができないのか解らなかったのですが、
だんだんそれが解るようになって来て、そして、今日、お当番の日を迎えました。
「お当番をずーっと待っていたお友達がいたね・・・なんと、
今日はR君のお当番です。」と先生が言うと、
みんな思わず「よかったね〜」と拍手をしたのです。
R君も誇らしげにお当番の仕事をしました。
保育室の中が一つになった瞬間でした。
きっと、頭ごなしに、あるいは大人のいい加減なごまかしで手を繋がせていたり、
問題を解決していたら、今日のような拍手は起こらなかったと思うのです。
受け入れてもらい、気持ちを分かってもらって自分もまた人の気持ちがわかる・・
ということとお友達と同じ気持ちになる子ども達の中にある柔らかい心とそして、
成長する力が備わっていることも改めて教えられました。
こうして、人の気持ちに「ふれる」ことができるようになってきた子ども達です。
「いのち」のパワーが全開になる6月、
五感をフル回転させて小さな生き物たちの不思議に
何度も何度も「ふれる」ことでしょう。
雨の多い6月、水の冷たさや気持ちよさ、
楽しさにもなんども「ふれる」ことでしょう。
お天気の変化の面白さや空の様子・・・
全てのことの中に隠されてある
神様のやさしい気持ちに「ふれて」ほしいな・・と願います。