野外保育や森のようちえんに関心が集まっています。
2000年を越えたあたりから徐々に広がり、
森のようちえんも全国で様々な形ですが150施設に登るのでしょうか。
森のようちえんは幼児教育(保育)のあり方について大いに一石を投じています。
お母さん達の自主保育という形が多いのも既存の保育のあり方への警鐘と捉えてもいいでしょう。
5年ほど前、亡くなられた大場先生(元大妻女子大学長)は「子ども指針」のワーキンググループの座長を勤められながら、「鏡となるものが欲しいのです。」と搾り出すように仰っいました。
どのようにしたら、子ども達が輝き、生き生きと自分を生き、幸せな社会を作ることが出来るか・・・・幼児教育の鏡が欲しい・・・とにかく森での保育の事例研究をして下さいと。
そのメッセージは深く私の心に響きました。
今、自然の中での育児や保育を目指す方たちが多く現われ、瞬く間に広がりを見せています。
行政も注目をしています。
自然の中での保育にある期待を持ち始めています。
つまり社会の中である責任を持ち始めということです。
その中で私はどうしても大切なことがあると思いました。
それは「哲学」です。
ただ、森で遊べば良いということではない。
(もちろんそれではだめと言っているのではないのです)
森のようちえんが教育現場としての社会的な責任を果たしていきたいならば
もう一歩、二歩進んで、あるいは自分の足元を掘り下げたい。
私達が携わっている人間・幼児とはどんな存在なのだろうか。
自分にとって保育とは何なのか。
子ども達の育ちについてどのような願いを持っているのか。
この子ども達が育っていって作り上げる社会とはどんな社会であって欲しいと願っているのか。
むずかしい言葉で無くていい・・自分の深いところから湧き上がってきた素朴な言葉で語ることの出来る保育者が育って欲しいと願っているのです。
保育ってシンプルで、素朴で、土臭いものです。
そうであって欲しいと思います。
なぜなら子どもってシンプルで素朴で土からむくむくと沸きあがっていたような存在だからです。そして、温かい存在です。温もりが無ければ育たない弱い存在でもあります。
保育学講座は基本的なテーマを内省して、それをシェアーするだけで、この温もりを確認できたように思います。みんなが発熱してお互いに暖め合った様なそんな感じさえします。そして、自分の中の中心がすっきり見えてきたり、整理されたり、しっかりしたり・・・人様々ですが、ご自分の力でよい時間とされました。
静かに始まり、静かに終わった講座。
参加された方々に感謝。
講師となって立って下さったお二人に感謝。
来年度はさらに充実させましょう。