10月の聖書の言葉「私の舌がまだひと言も語らぬ先に 主よ、あなたは全てを知っておられる。」詩篇139編4節
この詩篇は私達にとって本当に慰めの詩です。
しかし、この作者は王として偉大ではあったけれど、
自分の忠実な部下の妻を自分のものとするために
その部下を激戦区へ送ってわざと戦死させてしまうのです。
そのような大きな罪を犯した有名なダビデ王です。
その罪責と悔い改めの中でこのような慰めの詩を
書いていくことが出来たのだと思います。
「主よあなたは私を究め、私を知っておられる・・
どこに行けばあなたの霊から離れることが出来よう。
どこに逃れれば、御顔を避けることが出来よう。
天に上ろうとも、あなたはそこにいまし、
陰府(よみ)に身を横たえようとも見よ、あなたはそこにいます。
曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうともあなたはそこにいまし、
御手を持って私を導き、右の手を持って私を捉えてくださる。
・・・胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
私の日々はあなたの書に全て記されている。
まだその一日も作られないうちから。あなたの御計らいは、
私にとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。
数えようとしても、砂粒より多く、
その果てを極めたと思っても私はなお、あなたの中にいる。」
(139編抜粋)
と憐れみに満ちた神の御手の中で生かされてきた感謝と
畏怖の念を持ちながら次のように続けます。
「神よ、私を究め私の心を知って下さい。
私を試し、悩みを知って下さい。ご覧ください、
私のうちに迷いの道があるかどうかを。
どうか、私をとこしえの道に導いてください。」
聖書の中で「知る」とは「愛する」と同義語で使われています。わたしが自身について知るよりもっともっと深く神は私を知っておられて私が道を違えないように計らって下さるとは、この上ない恵み「アメージンググレイス」です。この恵みの中にこども達が生きることを願うばかりです。
今月のテーマ「きもちがいいね」
本当に気持ちの良い季節です。
昨日は全クラスが一緒に田んぼまで歩き、
遊び、一緒に帰ってきました。
空は青く、涼しい風が吹き、赤とんぼがあちらこちらに飛んでいます。
赤とんぼもいろんな種類のとんぼがいます。
カマキリもよく見つかるようになりました。
むかごもあちらこちらにぶら下がっています。
見つけるとすぐに口に入れますが、
「みんなでむかごご飯を炊こうね」とすぐに決まっていました。
栗を見つけ・・これはおひさまさんが
「今度お泊りするときに、栗ご飯にしたらいいね。」とこれもすぐに決まりました。
いつの秋祭りだったか、
田んぼでむかごや栗を入れてご飯を炊こうとしていたら、
卒園したお兄ちゃんたちがどこからかむかごを見つけてきて、
お米の中に入れてくれました。
こんな場面に遭遇すると「これで人生全て良し!」と思ってしまいます。
この田んぼ、大正田が森の風ようちえんの原点です。
いのちの溢れる場所に子ども達を委ねたいと思った場所です。
以前よりイノシシが増え、今年は特に多いみたいですが、
鹿もよく来るようになりました。アケビはサルと競争、
むかごは鹿と競争です。お米は・・・イノシシに負けました。
毎夜、火を焚きに行くのですが、
ある日、おひさまさんの田んぼから家族(5頭)で出て来るのに出会いました。(管理がしっかり出来ず申し訳ありませんでした。)
他にリスやきつねやいたちやたぬきやウサギや・・
そうそう、ヒクイナ(ヤンバルクイナの仲間)という最近では珍しくなった鳥の家族とも出会いました。
あの場所の心地よさは多くのいのち、
目に見えない微生物から始まり、無数の虫たち、
それをめがけて集る鳥達、それら全てを育んでいる植物・・。
そのような多くのいのちの調和の中に置かれるから
「きもちがいい」のだと思っています。
これは感じるしかありませんね。味わうしかありませんね。
木によじ登り、川に降り、草の中に寝転び、山の中の獣道を歩いてみて、
体の中に刻み込んでいけるものです。
心が満たされて、一緒に歩いてきたもりさん達と「おうち」の前で別れる時に「ばいばい」をしていたこども達は格別可愛かったですよ。