2018/4/10
人智学的な家具アレコレ 21世紀の人智学
ドイツにいた頃は、この様な人智学的な家具で、住まいを調えている家庭を訪問したことが、多々ありました。
かなり高額な注文家具だと思います。
結構座りやすいのですが、このデザイン、私は、ウ〜ン!、と言う感じですね。
皆さんは、この様な家具は好きですか?




2018/3/31
昨日はルドルフ・シュタイナーの命日でした 21世紀の人智学
昨日、3月30日は、ルドルフ・シュタイナーの93回目の命日(1925年)でした。
他界する直前迄、ルドルフ・シュタイナーは生きるつもりだったと伝えられています。
最期の時には、自分で手を合わせ組んで死んだと、医者で、晩年の愛弟子だった、イタ・ヴェークマンが証言しています。
あのルドルフ・シュタイナーでさえ、自分の正確な死期が分からなかったようです。
死因は胃癌でした。
まだ癌は、道徳的な違反が原因だと信じられていた時代でしたので、ルドルフ・シュタイナーの死因は、長い間隠されて来ました。
ルドルフ・シュタイナーの弟が障碍者であったことも、長い間隠されて来ました。
ここに人智学運動の躓きを感じます。
自由を標榜しながら、自由を阻害してきた、人智学運動の根本的な刷新が必要と痛感します。
○○を食べてはいけない。
○○を飲んではならない。
○○をしてはならない。
○○なんて言ってはならない。
そんな人智学は、21世紀にあってはならないでしょう。
そう言えば、昨日は「聖金曜日」でしたね。
珍しいルドルフ・シュタイナーの写真を見つけたので掲載致します。


2017/4/23
ゲーテアヌムの悲劇 21世紀の人智学
長年、第二次ゲーテアヌムは、未完成のまま保存されていました。
大ホールもステンドグラスはありましたが、壁や天井はコンクリートの「打ちっぱなし」のままでした。
しかし、私の記憶ですと、三十年ほど前に、人智学協会の理事たちは、世界中の人智学徒から寄附金を集めて、大きな間違いを犯しました。
なんと、第二次ゲーテアヌムの内装で、第一次ゲーテアヌムの再現をしたのです。
当時、ドイツにいた私は、反対しましたが、皆、嬉々として、数十億円のお金を使って、大ホールを、第一次ゲーテアヌムのようにしてしまいました。
まったく形の異なる第一次ゲーテアヌムの内装を、第二次ゲーテアヌムで再現したのです。
これは、明らかにルドルフ・シュタイナーの建築論に反します。
柱もステンドグラスの間に再現されてしまいました。
前はどこに座っていても、すべてのステンドグラスを見ることが出来たのですが、柱のせいで、それは不可能になってしまいました。
オリジナル性を破壊したことで、ゲーテアヌムは、世界遺産にはならないでしょう。
嬉々として間違いを犯す。これが、今の風潮なのかも知れません。
私は、ただただ恐ろしいと感じます。
だから今、早急に、日本的修正人智学の確立が必要だと痛感します。
最初の画像が、今のゲーテアヌムの大ホールです。


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大ホールもステンドグラスはありましたが、壁や天井はコンクリートの「打ちっぱなし」のままでした。
しかし、私の記憶ですと、三十年ほど前に、人智学協会の理事たちは、世界中の人智学徒から寄附金を集めて、大きな間違いを犯しました。
なんと、第二次ゲーテアヌムの内装で、第一次ゲーテアヌムの再現をしたのです。
当時、ドイツにいた私は、反対しましたが、皆、嬉々として、数十億円のお金を使って、大ホールを、第一次ゲーテアヌムのようにしてしまいました。
まったく形の異なる第一次ゲーテアヌムの内装を、第二次ゲーテアヌムで再現したのです。
これは、明らかにルドルフ・シュタイナーの建築論に反します。
柱もステンドグラスの間に再現されてしまいました。
前はどこに座っていても、すべてのステンドグラスを見ることが出来たのですが、柱のせいで、それは不可能になってしまいました。
オリジナル性を破壊したことで、ゲーテアヌムは、世界遺産にはならないでしょう。
嬉々として間違いを犯す。これが、今の風潮なのかも知れません。
私は、ただただ恐ろしいと感じます。
だから今、早急に、日本的修正人智学の確立が必要だと痛感します。
最初の画像が、今のゲーテアヌムの大ホールです。




2017/4/16
日本語をシュタイナーがマスターしました 21世紀の人智学
さすが、ルドルフ・シュタイナー!
やっと、日本語を学びましたね。カルロス・ゴーンよりも上手いかも知れません。
こういうユーモアは、大切ですね。
友人から教えてもらいました。
そろそろ、欧米の人智学徒も、日本に来るなら日本語を勉強したらどうですかね。
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やっと、日本語を学びましたね。カルロス・ゴーンよりも上手いかも知れません。
こういうユーモアは、大切ですね。
友人から教えてもらいました。
そろそろ、欧米の人智学徒も、日本に来るなら日本語を勉強したらどうですかね。

2017/2/11
シュタイナーと蜂蜜 21世紀の人智学
ルドルフ・シュタイナーは、老年期(シュタイナーは42歳から始まると言っている)になったら、毎日ティースプーン一杯の蜂蜜をなめると、精力が高まる、と言っています。
しばらく蜂蜜を舐めていなかったのですが、昨日、朝起きると、喉が痛く、体調が優れませんでした。
そこで、沖縄の蜂蜜を、少しずつ、30分ごとに舐めていましたら、体調が良くなり、喉の痛みも無くなっていました。
さすが蜂蜜パワーです。
蜂の巣は六角形。水晶も六角形。百合の花も六角形。
皆、受肉を強める力を持ってます。
この「六角力」の力が一番強いのが蜂蜜です。
これから、蜂蜜を日課にします。
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しばらく蜂蜜を舐めていなかったのですが、昨日、朝起きると、喉が痛く、体調が優れませんでした。
そこで、沖縄の蜂蜜を、少しずつ、30分ごとに舐めていましたら、体調が良くなり、喉の痛みも無くなっていました。
さすが蜂蜜パワーです。
蜂の巣は六角形。水晶も六角形。百合の花も六角形。
皆、受肉を強める力を持ってます。
この「六角力」の力が一番強いのが蜂蜜です。
これから、蜂蜜を日課にします。


2017/1/30
現代は悪の時代だ 21世紀の人智学
ルドルフ・シュタイナーの霊学では、悪の問題を大きく扱っている。
人間を物質主義者にするために、不都合なものをすべて否定批判する「アーリマン」は、特に現代人に深い関わりを持つ。
実は、このアーリマンを私は見たことがある。
自分は「絶対善」であり、それを前提に人を批判し、判断し、「判決」をくだすのを常とする悪の姿だ。
普通の人間に見えるが、よーく見ると、そこには強い「功名心」がある。しかし、これは「憎悪」の変わり身としてあるのが分かる。
厄介なことに、このアーリマンは、霊的な地上の運動体や組織に定住しようとする。
どこにでもいるが、一見そうは思わないところに生きている。
「内発性」のある人間は特にこのアーリマンに嫌悪される。
内発性は困るのだ、外の権威に従わないから。
内発的な哲学者ニーチェは、だからアーリマンの餌食となった。
アーリマンの支配する社会にあって、今こそニーチェが必要になってきたと言える。

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人間を物質主義者にするために、不都合なものをすべて否定批判する「アーリマン」は、特に現代人に深い関わりを持つ。
実は、このアーリマンを私は見たことがある。
自分は「絶対善」であり、それを前提に人を批判し、判断し、「判決」をくだすのを常とする悪の姿だ。
普通の人間に見えるが、よーく見ると、そこには強い「功名心」がある。しかし、これは「憎悪」の変わり身としてあるのが分かる。
厄介なことに、このアーリマンは、霊的な地上の運動体や組織に定住しようとする。
どこにでもいるが、一見そうは思わないところに生きている。
「内発性」のある人間は特にこのアーリマンに嫌悪される。
内発性は困るのだ、外の権威に従わないから。
内発的な哲学者ニーチェは、だからアーリマンの餌食となった。
アーリマンの支配する社会にあって、今こそニーチェが必要になってきたと言える。


2016/12/13
世界一多忙なカルロス・ゴーン 21世紀の人智学
世界一多忙な人物とも呼ばれているカルロス・ゴーンは、両親がレバノン人で、ブラジルに生まれた。
アラビア語、英語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語を話し、日本の日産自動車の最高執行責任者に就任した。
就任の際、日本語で社員の前で演説し、多くの人を驚かせた。
今でも、日本の社員の前でスピーチするときは、いつも日本語だ。
猛烈に多忙な中で日本語の学習もしている。見上げたものだ!
日本を担当するのだから、当然日本語が出来なくてはならないという、プロ意識の持ち主だ。社員も「よし、この人について行こう!」と思うだろう。
しかし、シュタイナーの世界では、このようなプロ意識が希薄だ。
ドイツにいた頃、「そんなに日本に興味があるなら、日本語を学習したら?」と言って、何度も何度も笑われた記憶がある。
そう、日本は、別世界なのだ。そして、日本人は「教育すべき」異人種なのだ。そう痛感することが多かった。
日本で講演会を開いても、通訳がつくのが当たり前だと思っている人智学徒が多数派なんだろう。
日本語を学ぶ時間が無い、などと言う人もいたが、世界一多忙なカルロス・ゴーンが、日本語で一時間も演説できるのだから、それは、言い訳にはならないだろう。
カルロス・ゴーン、エッ!私と同い年なんだ!!

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アラビア語、英語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語を話し、日本の日産自動車の最高執行責任者に就任した。
就任の際、日本語で社員の前で演説し、多くの人を驚かせた。
今でも、日本の社員の前でスピーチするときは、いつも日本語だ。
猛烈に多忙な中で日本語の学習もしている。見上げたものだ!
日本を担当するのだから、当然日本語が出来なくてはならないという、プロ意識の持ち主だ。社員も「よし、この人について行こう!」と思うだろう。
しかし、シュタイナーの世界では、このようなプロ意識が希薄だ。
ドイツにいた頃、「そんなに日本に興味があるなら、日本語を学習したら?」と言って、何度も何度も笑われた記憶がある。
そう、日本は、別世界なのだ。そして、日本人は「教育すべき」異人種なのだ。そう痛感することが多かった。
日本で講演会を開いても、通訳がつくのが当たり前だと思っている人智学徒が多数派なんだろう。
日本語を学ぶ時間が無い、などと言う人もいたが、世界一多忙なカルロス・ゴーンが、日本語で一時間も演説できるのだから、それは、言い訳にはならないだろう。
カルロス・ゴーン、エッ!私と同い年なんだ!!


2016/9/23
修正人智学・その二 東アジア人の人智学 21世紀の人智学
1920年代後半に仏教学者の渡辺照宏が人智学に遭遇したのはベルリンだった。その後、玉川学園創始者、小原國芳がルドルフ・シュタイナーの「全人教育」に着目し、フィヒテ研究で有名な哲学者、務台理作が人智学を研究した。
もう100年近くも日本には人智学研究の歴史が存する。
1970年代には美学者で歴史学者の高橋巖が、ルドルフ・シュタイナーの主著「神智学」を翻訳。その後も数多くの訳書や、人智学に関する著作が出版された。
はっきり言って、ドイツ語や英語が出来なくても充分に人智学研究が出来る環境が、日本にはある。
私は、長年ドイツで働いていたから知っているが、日本に来て人智学について講演をするドイツ人の中には、昔の「宣教師」気取りの者も少なからずいた。
そう、「未開」の日本人に、東アジア人に宣教するつもりで。
そういった人の多くは、日本語が出来ない、日本語に関心が無い、笑いながら「コンニッチワッ」という程度だ。
ベネッシュ博士も今月他界したシュレーダー氏も、日本語は出来なかったが、講演会の前に必ず、自分が日本語が出来ないことを「謝って」いた。
そして両者とも、全身全霊で「日本文化」を理解しようとしていた。神道や仏教に関するベネッシュ博士のインスピレーションから私は非常に多くを学んだ。
シュレーダー氏も同様だが、彼は、出される和食をすべて平らげていた。魚介類が苦手だと後で知ったが、彼は、刺身やサザエの壺焼きの緑色の肝まで食べていた。
尊敬に値する人物だ。
ヨーロッパの文化には、やはり拭いがたい「支配欲」がある。自分より劣った者を有無を言わさず支配する傾向だ。
そして、私はヨーロッパは、大きな「田舎」だと思っている。だから「外」のことを知らない、あまり関心が無い。自分が一番だと思っている。そこからある意味独特の文化が生まれた。
人智学徒にも同じ事が言える。
今こそ、東アジアに、そして日本にふさわしい人智学を構築するときだと思う。
手始めに、飲食に関する絶対的な「自由」から始めてみてはいかがなものだろう。
昨日、私は生まれて初めて「ケンタッキーフライドチキン」を食べてみたが、はっきり言ってそんなに旨いものではなかった。
しかし、これで判断が出来る。推測ではない判断が出来る。
そして、神道や仏教と真剣に向き合うことだ。そこには、既製のあらゆるキリスト教よりも真に霊的な「キリスト」が名前を変えて輝いている。
おおらかで懐の深い人智学は、日本ではまったく可能だろう。
1978年にドイツ留学をして、人智学を学んだが、最初に驚いたのは、そのタブーの多さだった。戒律と言ってもいい、不文律の。
アルコールを飲んではいけない。一滴のアルコールで今までの霊的修行の成果が一瞬で消えてしまう。
白いパンを食べてはいけない。
肉も食べるべきではない。食べるならチキンか七面鳥だ。
化繊は着るな。
ガムを噛んではいけない。アメリカ人のようになる。
だからコーラなどもってのほかだ。
朝、シャワーを浴びてはいけない。エーテル体が弱まる。
キノコは自我を弱める。
テレビを観てはいけない。
音楽はクラシックのみ。ジョン・レノンが殺されたとき、彼のことを知っている人智学徒は皆無だった。今考えてみると恐ろしい。
他にも多数の「戒律」がある。こうしてみるとイスラム教の方が自由があるように思える。
「自由」を謳う人智学、いつどこでどう間違ったのか?
日本の人智学はおおらかでありたい。霊界は人間が思うよりも素晴らしく「寛容」なのだから。

「こんな風になる筈ではなかったのになあ!」と言っているかいないかは分かりませんが。
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もう100年近くも日本には人智学研究の歴史が存する。
1970年代には美学者で歴史学者の高橋巖が、ルドルフ・シュタイナーの主著「神智学」を翻訳。その後も数多くの訳書や、人智学に関する著作が出版された。
はっきり言って、ドイツ語や英語が出来なくても充分に人智学研究が出来る環境が、日本にはある。
私は、長年ドイツで働いていたから知っているが、日本に来て人智学について講演をするドイツ人の中には、昔の「宣教師」気取りの者も少なからずいた。
そう、「未開」の日本人に、東アジア人に宣教するつもりで。
そういった人の多くは、日本語が出来ない、日本語に関心が無い、笑いながら「コンニッチワッ」という程度だ。
ベネッシュ博士も今月他界したシュレーダー氏も、日本語は出来なかったが、講演会の前に必ず、自分が日本語が出来ないことを「謝って」いた。
そして両者とも、全身全霊で「日本文化」を理解しようとしていた。神道や仏教に関するベネッシュ博士のインスピレーションから私は非常に多くを学んだ。
シュレーダー氏も同様だが、彼は、出される和食をすべて平らげていた。魚介類が苦手だと後で知ったが、彼は、刺身やサザエの壺焼きの緑色の肝まで食べていた。
尊敬に値する人物だ。
ヨーロッパの文化には、やはり拭いがたい「支配欲」がある。自分より劣った者を有無を言わさず支配する傾向だ。
そして、私はヨーロッパは、大きな「田舎」だと思っている。だから「外」のことを知らない、あまり関心が無い。自分が一番だと思っている。そこからある意味独特の文化が生まれた。
人智学徒にも同じ事が言える。
今こそ、東アジアに、そして日本にふさわしい人智学を構築するときだと思う。
手始めに、飲食に関する絶対的な「自由」から始めてみてはいかがなものだろう。
昨日、私は生まれて初めて「ケンタッキーフライドチキン」を食べてみたが、はっきり言ってそんなに旨いものではなかった。
しかし、これで判断が出来る。推測ではない判断が出来る。
そして、神道や仏教と真剣に向き合うことだ。そこには、既製のあらゆるキリスト教よりも真に霊的な「キリスト」が名前を変えて輝いている。
おおらかで懐の深い人智学は、日本ではまったく可能だろう。
1978年にドイツ留学をして、人智学を学んだが、最初に驚いたのは、そのタブーの多さだった。戒律と言ってもいい、不文律の。
アルコールを飲んではいけない。一滴のアルコールで今までの霊的修行の成果が一瞬で消えてしまう。
白いパンを食べてはいけない。
肉も食べるべきではない。食べるならチキンか七面鳥だ。
化繊は着るな。
ガムを噛んではいけない。アメリカ人のようになる。
だからコーラなどもってのほかだ。
朝、シャワーを浴びてはいけない。エーテル体が弱まる。
キノコは自我を弱める。
テレビを観てはいけない。
音楽はクラシックのみ。ジョン・レノンが殺されたとき、彼のことを知っている人智学徒は皆無だった。今考えてみると恐ろしい。
他にも多数の「戒律」がある。こうしてみるとイスラム教の方が自由があるように思える。
「自由」を謳う人智学、いつどこでどう間違ったのか?
日本の人智学はおおらかでありたい。霊界は人間が思うよりも素晴らしく「寛容」なのだから。

「こんな風になる筈ではなかったのになあ!」と言っているかいないかは分かりませんが。

2016/8/16
その1・修正人智学は必要か?食について 21世紀の人智学
私はドイツで働いていた頃から、ドイツや他のヨーロッパの国の人智学のあり方に疑問を抱いてきた。
ルドルフ・シュタイナーは、完全なる自由を目標としたのに、1978年にドイツに留学した頃から、人智学運動の「ドグマ」や「戒律」が目につくようになった。
さらに結構多くのドイツの人智学徒が人智学を宗教の代替として見ていることが気になった。
女性を例にすると、化粧をすると、あるいは、お洒落をすると何か「白い目」で見られる。ある日本の友人が言っていたが、「まだそんなことしてるの?」的な「白い目」であるらしい。
食の無頓着さも気になった。バイオダイナッミク農法ならそれで良い。味付けや、そもそも「料理」などどうでもいい。と言う人がかなりいた。健康「オタク」なのだけど、料理はどうでもいい、と言った具合だ。
それから、ヨーロッパの人智学徒の「大豆」嫌悪は甚だしい。大豆は「知的」にする(知的というコトバはネガティブに使われることがほとんどだ)だから唯物的な傾向が強まる、等という。だから豆腐、味噌、醤油等に対する批判も後を絶たない。
食に関して言えば、我々東洋人は、欧米人とはまったく異なる「肉体」を持っている。「生命体・エーテル体」もかなり異なる。「アストラル体」になると共通項は増えるが、それでも同じではない。「自我」としては同じなのだろうが、そこに行き着く道程は長い。
大豆文化は、東アジアを中心として発達した文化だ。それは、東アジアの人間の肉体に適したものだと言えよう。
豚肉を主流とする一般的ドイツ人の食文化とは異なる。そして、乳製品の摂取量は凄まじいものだ。
だから、東アジアの人間として見たとき、ルドルフ・シュタイナーの食についての言説は適当ではない場合が多いと思う。
「飲食」のタブーが出来たとたんに、その世界は狭まる。そして、偏狭となる。
昨晩、京都の「おぼろ豆腐」を食べながら以上のようなことを改めて考えた。

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ルドルフ・シュタイナーは、完全なる自由を目標としたのに、1978年にドイツに留学した頃から、人智学運動の「ドグマ」や「戒律」が目につくようになった。
さらに結構多くのドイツの人智学徒が人智学を宗教の代替として見ていることが気になった。
女性を例にすると、化粧をすると、あるいは、お洒落をすると何か「白い目」で見られる。ある日本の友人が言っていたが、「まだそんなことしてるの?」的な「白い目」であるらしい。
食の無頓着さも気になった。バイオダイナッミク農法ならそれで良い。味付けや、そもそも「料理」などどうでもいい。と言う人がかなりいた。健康「オタク」なのだけど、料理はどうでもいい、と言った具合だ。
それから、ヨーロッパの人智学徒の「大豆」嫌悪は甚だしい。大豆は「知的」にする(知的というコトバはネガティブに使われることがほとんどだ)だから唯物的な傾向が強まる、等という。だから豆腐、味噌、醤油等に対する批判も後を絶たない。
食に関して言えば、我々東洋人は、欧米人とはまったく異なる「肉体」を持っている。「生命体・エーテル体」もかなり異なる。「アストラル体」になると共通項は増えるが、それでも同じではない。「自我」としては同じなのだろうが、そこに行き着く道程は長い。
大豆文化は、東アジアを中心として発達した文化だ。それは、東アジアの人間の肉体に適したものだと言えよう。
豚肉を主流とする一般的ドイツ人の食文化とは異なる。そして、乳製品の摂取量は凄まじいものだ。
だから、東アジアの人間として見たとき、ルドルフ・シュタイナーの食についての言説は適当ではない場合が多いと思う。
「飲食」のタブーが出来たとたんに、その世界は狭まる。そして、偏狭となる。
昨晩、京都の「おぼろ豆腐」を食べながら以上のようなことを改めて考えた。


2015/7/8
これがレムリア期の人間だ! 21世紀の人智学
昔、恩師であるベネッシュ博士が、レムリア期の人間の姿はオイリュトミストから、シュライアーだけを残して、後はすべて消してみなさい。それがレムリア期の人間の姿だ、と聞いていたのですが、まさにこれですね。オイリュトミーではありませんが。
皆さん、是非ご覧下さい。
LOVE STORY in DANCE of AIR! という作品です。
https://video.xx.fbcdn.net/hvideo-xap1/v/t43.1792-2/11202223_1078450268851547_356150891_n.mp4?efg=eyJybHIiOjE1MDAsInJsYSI6MjQxM30%3D&rl=1500&vabr=772&oh=6bd021750846f638fba7ea293b9f2c47&oe=559CC5F8
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皆さん、是非ご覧下さい。
LOVE STORY in DANCE of AIR! という作品です。
https://video.xx.fbcdn.net/hvideo-xap1/v/t43.1792-2/11202223_1078450268851547_356150891_n.mp4?efg=eyJybHIiOjE1MDAsInJsYSI6MjQxM30%3D&rl=1500&vabr=772&oh=6bd021750846f638fba7ea293b9f2c47&oe=559CC5F8

2015/5/8
意外なことアラカルト 21世紀の人智学
昨年から壊した体調は、1月にドイツへ行ったことで酷くなり辛い日々が続いておりました。
激しい咳、全身の関節痛、身体の至るところが「つる」、食欲がない等の症状が続きましたが、5月になって暖かくなり、快方へ向かっています。
先週6日間東京で会議の連続や講演会そして堅生式などの仕事をして参りましたが、また咳が酷くなってきました。呼吸器科へ行きましたが、どこも悪くないそうです。どうやら魂が疲れているのでしょう。
今まで日本のキリスト者共同体の為にと、がむしゃらに突っ走ってきたのももう限界に来た、と言うことなのでしょう。
「諦観」してゆっくりと第二の人生をおくりたいと考えております。執筆や講演会に専念して、自由に生きたいものです。
もう還暦をすぎましたので、「普通」ならもう仕事は定年退職ですが、意外なことに、キリスト者共同体の司祭の定年は70歳。65歳から希望すれば退職できます。健康上等の理由があれば、さらに早い退職も可能なのです。
司祭は定年退職後は、集会の運営等にかかわりません。集会の希望があれば講演会も集会で出来ますし、人間聖化式も執りおこなうことが出来ます。
こんな事を考えるのもやはり突っ走ってきた疲れがあるからなのでしょう。
最近、日常生活で意外なことに気がつきました。
「珈琲専門店」って、かなり煩いところなのですね。人と会ってゆっくりと話をしていると、あの豆を挽く「ガーッーーー」と言う機械音がかなりの音量で響き渡ります。
あの音を聞いて「旨そうな珈琲が出来るんだな」と穏やかに思う人がいるのでしょうか?
ただただうるさいだけだと思うのですが、店としてはどう考えているのでしょうか。教えてもらいたいものです。
あの小出裕章氏も言っていましたが、どうして、健康そうな若者がエスカレーターを使うのでしょうか?それも東京では左側にのみ立ち、大阪では右側のみに立っています。反対側は「歩き」専用なのだそうですが、時々誰も歩いている人はいない事があります。でも、皆一列にならんでいます。
だから、自民公明がいつも選挙で勝つのでしょう。みんながするから私もそうする。これによって日本は滅びるのかも知れませんな。
やはり「自我」を持つことです。人智学はそのためにあるのですが、意外と、権威主義者が多いのにビックリします。
長いものには巻かれろ、寄らば大樹、この感情が少しでもあるなら人智学には向いていないのですが、いかがでしょうか。
嗚呼、人智学と秘教的キリスト教による「革命」は無理だった。あとは、革命の為に同士を探すことが人生後半の楽しみなのかも知れません、意外と。

「霊視」中のルドルフ・シュタイナーの顔です。貴重な写真です。
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激しい咳、全身の関節痛、身体の至るところが「つる」、食欲がない等の症状が続きましたが、5月になって暖かくなり、快方へ向かっています。
先週6日間東京で会議の連続や講演会そして堅生式などの仕事をして参りましたが、また咳が酷くなってきました。呼吸器科へ行きましたが、どこも悪くないそうです。どうやら魂が疲れているのでしょう。
今まで日本のキリスト者共同体の為にと、がむしゃらに突っ走ってきたのももう限界に来た、と言うことなのでしょう。
「諦観」してゆっくりと第二の人生をおくりたいと考えております。執筆や講演会に専念して、自由に生きたいものです。
もう還暦をすぎましたので、「普通」ならもう仕事は定年退職ですが、意外なことに、キリスト者共同体の司祭の定年は70歳。65歳から希望すれば退職できます。健康上等の理由があれば、さらに早い退職も可能なのです。
司祭は定年退職後は、集会の運営等にかかわりません。集会の希望があれば講演会も集会で出来ますし、人間聖化式も執りおこなうことが出来ます。
こんな事を考えるのもやはり突っ走ってきた疲れがあるからなのでしょう。
最近、日常生活で意外なことに気がつきました。
「珈琲専門店」って、かなり煩いところなのですね。人と会ってゆっくりと話をしていると、あの豆を挽く「ガーッーーー」と言う機械音がかなりの音量で響き渡ります。
あの音を聞いて「旨そうな珈琲が出来るんだな」と穏やかに思う人がいるのでしょうか?
ただただうるさいだけだと思うのですが、店としてはどう考えているのでしょうか。教えてもらいたいものです。
あの小出裕章氏も言っていましたが、どうして、健康そうな若者がエスカレーターを使うのでしょうか?それも東京では左側にのみ立ち、大阪では右側のみに立っています。反対側は「歩き」専用なのだそうですが、時々誰も歩いている人はいない事があります。でも、皆一列にならんでいます。
だから、自民公明がいつも選挙で勝つのでしょう。みんながするから私もそうする。これによって日本は滅びるのかも知れませんな。
やはり「自我」を持つことです。人智学はそのためにあるのですが、意外と、権威主義者が多いのにビックリします。
長いものには巻かれろ、寄らば大樹、この感情が少しでもあるなら人智学には向いていないのですが、いかがでしょうか。
嗚呼、人智学と秘教的キリスト教による「革命」は無理だった。あとは、革命の為に同士を探すことが人生後半の楽しみなのかも知れません、意外と。

「霊視」中のルドルフ・シュタイナーの顔です。貴重な写真です。

タグ: キリスト者共同体
2015/4/25
ルドルフ・シュタイナーの愛犬 21世紀の人智学
「お前は犬智学をつくるんだろう?」とルドルフ・シュタイナーがこの愛犬「プシュレック」(Pschulek)に言ったそうです。


「犬智学」!は、意外と「人智学」より良いのかも知れません。
「ワンリュトミー」とかあるんでしょうか。「シュタイナー教育」ではなく「シュタイナー調教」とかなんでしょうね。

このルドルフ・シュタイナーの顔は「犬智学者」っぽいですな。
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「犬智学」!は、意外と「人智学」より良いのかも知れません。
「ワンリュトミー」とかあるんでしょうか。「シュタイナー教育」ではなく「シュタイナー調教」とかなんでしょうね。

このルドルフ・シュタイナーの顔は「犬智学者」っぽいですな。

2015/4/17
40年間ルドルフ・シュタイナーを学んだ 21世紀の人智学
人間が獲得できる最高の「霊的能力」とは、孤立できる勇気、そして、すべての過去に「意味と目的」を見出せる能力である。
これが「霊学」によって得ることの出来る最高の「現世利益」である。
40年間ルドルフ・シュタイナーの人智学を学んでこう確信するに至った。

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これが「霊学」によって得ることの出来る最高の「現世利益」である。
40年間ルドルフ・シュタイナーの人智学を学んでこう確信するに至った。


2015/3/6
バリ島から戻りました 21世紀の人智学
昨日の朝にバリ島から関空に着き、昼前に帰宅いたしました。
なんと日本は寒いことか!冷え切った家は温まるのに時間がかかります。オーッ、寒っ!!
バリ島のウブドは標高が高いので、暑すぎず、朝夕はとても涼しく快適でした。
日程は、2月26日から実質3月4日までの滞在でした。5日は機内泊の午前1時発の便でした。
27日はルドルフ・シュタイナーの誕生日でしたが、この日、ウブドで「神智学」の集中読書会を開催したところ、なんと18名の参加者!! ほとんどの方がバリ島在住の方でした。
全部で5回、計11時間の「神智学」研究でしたが、皆さん猛烈に熱心で興味を持って頂けました。嬉しいことです。最も参加者が少ないだろうと思っていた「神智学」がこんなに熱心に迎えられるとは、本当に嬉しいことです。
人間聖化式も土曜日と日曜日の二回とりおこなわれました。インドネシア人二名の参加があり感激いたしました。
「子どものための性教育」の時間も多くの参加者があり嬉しいかぎりです。
講演会は三回でした。「四大と子どもの教育、大人の自己教育」、「ルドルフ・シュタイナーの死生観」二回。それぞれ15名前後の参加者でした。
写真を紹介いたします。

ウブドのホテルにいる子猫。

まだ、観光客にあまり知られていない聖地の「滝」です。

ウブドのカフェレストラン「シークレットガーデン」の講演会場です。

人間聖化式のとりおこなわれた部屋です。

ウブドの石垣にはこんな顔がいっぱいあります。3月3日で私は司祭に就任して丸30年になりました。こんな石垣の顔みたいなことも沢山ありました。ああ、30年!

素晴らしいウブドの空です。ではまた。
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なんと日本は寒いことか!冷え切った家は温まるのに時間がかかります。オーッ、寒っ!!
バリ島のウブドは標高が高いので、暑すぎず、朝夕はとても涼しく快適でした。
日程は、2月26日から実質3月4日までの滞在でした。5日は機内泊の午前1時発の便でした。
27日はルドルフ・シュタイナーの誕生日でしたが、この日、ウブドで「神智学」の集中読書会を開催したところ、なんと18名の参加者!! ほとんどの方がバリ島在住の方でした。
全部で5回、計11時間の「神智学」研究でしたが、皆さん猛烈に熱心で興味を持って頂けました。嬉しいことです。最も参加者が少ないだろうと思っていた「神智学」がこんなに熱心に迎えられるとは、本当に嬉しいことです。
人間聖化式も土曜日と日曜日の二回とりおこなわれました。インドネシア人二名の参加があり感激いたしました。
「子どものための性教育」の時間も多くの参加者があり嬉しいかぎりです。
講演会は三回でした。「四大と子どもの教育、大人の自己教育」、「ルドルフ・シュタイナーの死生観」二回。それぞれ15名前後の参加者でした。
写真を紹介いたします。

ウブドのホテルにいる子猫。

まだ、観光客にあまり知られていない聖地の「滝」です。

ウブドのカフェレストラン「シークレットガーデン」の講演会場です。

人間聖化式のとりおこなわれた部屋です。

ウブドの石垣にはこんな顔がいっぱいあります。3月3日で私は司祭に就任して丸30年になりました。こんな石垣の顔みたいなことも沢山ありました。ああ、30年!

素晴らしいウブドの空です。ではまた。

2015/2/10
スターリン時代のソ連 21世紀の人智学
スターリン時代のソ連は「密告」の時代でありました。
その当時、こう言われたそうです。「密告者は密告されない」。
だから、嘘であっても、密告者は密告し続けました。
そういえば、私の恩師について、ヨーロッパの何十人もの著名な人智学徒に密告文を送った当人は、今も「権威」を維持して元気なようです。
スターリン時代は人智学やキリスト者共同体の世界にあってはならぬと思います。

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その当時、こう言われたそうです。「密告者は密告されない」。
だから、嘘であっても、密告者は密告し続けました。
そういえば、私の恩師について、ヨーロッパの何十人もの著名な人智学徒に密告文を送った当人は、今も「権威」を維持して元気なようです。
スターリン時代は人智学やキリスト者共同体の世界にあってはならぬと思います。

