2013/8/10

長崎の鐘 in Switzerland 2013年8月9日  私の中のスイスと日本
約一年前に、スイスにある長崎の鐘について書きました。

東スイス、アッペンツェルの小さな村ハイデンの
赤十字創設者アンリ・デュナンの記念館に寄贈された「長崎の鐘」の
レプリカのことです。

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折しも、今日8月9日長崎原爆記念日に、村人たちが集って
平和を祈り鐘を撞く、という催しに、
縁あって演奏する機会をいただきました。

生憎の雨でしたが、思いがけなく多くの人が集まりました。
2011年4月に寄贈され、8月9日に平和の集いが行われる年ごとに
たくさんの人が集まるようになったとのことでした。

演奏の後、40人ほどの人が並んで鐘を撞き、そのあとは
簡単な飲み物で乾杯する、という本当に簡素な集まりでしたが、

この小さな村の人々が、遠い長崎と思いを同じく
平和を祈って鐘を撞く、というその情景に

そして、核廃絶を誓い世界平和に貢献しましょう、という
その言葉に本当に真実味を感じ取って

思っていた以上の感銘を受け、勇気づけられる思いがしました。

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デュナン記念館プレジデントのネフ氏と。

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私も並んで鐘を撞きました。

良かった・・・。
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2013/8/2

68年ののちに  
私と同世代のドイツ人の友達に、
ドイツがナチスの台頭を許した当時
若い庶民であった彼女の両親たちが
何をどう見ていたのか、聞いたことがありました。

「いつの間にか、周囲にいたユダヤ人たちがいなくなった」
・・・「しかし、その時は大して疑問を持つことはなかった」

そして、戦後彼らは東ドイツの国民となり
私の友人である彼らの娘は、偽のパスポートで
国外脱出を図った際にハンガリーとの国境で逮捕され
一年間の刑務所生活ののちに西ドイツに放逐されました。

同世代の身近なドイツの友人のそういう体験を聞いて
日本人としての私たちの戦後を思ったものでした。

そしてその話を聞いて30数年ののちの今、
その戦後が次の戦前に繋がって行くような
なんともいえない気持ちを抱きます。
いつだって次の戦前になりうるような、そんな気持ちを抱きます。

・・・「その時は大して疑問を持つことはなかった」

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 ナチスが共産主義者を弾圧したとき
 私は不安に駆られたが
 自分は共産主義者でなかったから
 何の行動も起こさなかった

 その次、ナチスは社会主義者を弾圧した
 私はさらに不安を感じたが
 自分は社会主義者でないので
 何の抗議もしなかった

 それからナチスは学生、新聞、ユダヤ人と
 順次弾圧の輪を広げていき
 その度に私の不安は増大したが
 それでも私は行動に出なかった

 ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた
 そして私は牧師だった
 だから行動に立ち上がったが

 もうそのときはすべてがあまりにも遅すぎた
 (マルチン・ニーメラー牧師)
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