2017/1/9

〈中国通信1081〉鑑真と芭蕉  
 皆様へ、日中友好と教育の自由のために〈中国通信1081〉を送ります。
重複お許しください。ご意見ご批判をお願いします。転送OK。

 ◆ 鑑真と芭蕉
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 松尾芭蕉 《若葉して 御目の雫 拭はばや》
  (チャイナデイリー 中国日報2016.10.27) 
 「芭蕉が17世紀末、鑑真に敬意を表して奈良の唐招提寺を訪れた際、尊敬の念をかつてないまでに高まった。意味は『折しも初夏、あたりの木々に若葉の色がみずみずしい。この若葉で、和上の失明した目の涙をそっと拭ってさしあげたい』」
 *日中友好の歴史は深い。(近藤)

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 ◆ 日本の街でスーツケースを引っ張る中国人
   原文:『読者』  作者:蓮悦 (日本語訳の簡約:近藤)

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 友達が日本旅行から帰ってきて、手土産―1箱の唐招提寺の天平の香料をくれた。私は喜んで、聞いた。


 “唐招提寺に行ったのは鑑真にお参りするためだね?”というと、友達は訊き返した。“鑑真って誰?”

 鑑真って誰?鑑真は1000年以上前、唐朝改元の天宝年間の高僧だ。

 鑑真は55歳のとき、日本留学僧の要請で日本にわたり仏教を広めようとした。その後10年、彼は6回日本へ渡ろうとして生死を懸けた。

 ついに日本に到達した時、潮風に襲われ両目を失明した。唐招提寺は鑑真が日本に到達した後自ら建設したものだ。

 寺院の中には今も鑑真座像が置かれている。

 旅行は極めて個人的なもので、ある人は、歴史遺跡、ある人は自然の風景を好み、さらにある人は単純な1字《?》―買うためである。

 しかし、今日の中国人にとって、どこへ行っても、どんな方法の旅行でも、日本に行くものではないとのさまざまな非難を受ける。

 便座のような上流の席には出せない物でさえ、長期休暇の後には人々の口に上ることになった。

 日本に行くべきか、日本に行って我々は結局どのようにすべきか、多くの中国人にとって絡み合う問題だ。

 中国と日本は一衣帯水で、唐の最盛期、日本の政治・経済・文化は全面的に中国に学んでいた。

 1000年以上の歴史の変遷を経て、天災・人災、戦乱の影響の後でも、今日の唐代の木造建築を残すことができている。

 中国では、ただ4か所、全て山西境内にあり、有名なのは五台山南禅寺正殿、仏光寺正殿である。この四つの建造物は全て唐招提寺の金堂よりも遅く建てられている

 道理で、有名な建築学家・梁思成先生がかつて感激して“中国唐代建築の研究にとって、唐招提寺金堂ほどよい手本はない。”と述べた。

 1000年以上前、鑑真の弟子たちは鑑真に、大唐に残ることを希望して懇願した。

 自然は異なれども、風月は同じ、仏教に身を寄せる者は、共に縁があるのだよ。”
 《天平の甍》の中で、鑑真はこの言葉で弟子に、日本に行く決意を語り、ついに仏教戒律を携えて日本に行ったといわれている。

 今日、多くの中国人が日本のあちこちを彷徨い、重いトランクを引っ張っている。
 旅行の目的がどうであれ、願わくば彼らの心にもこの一句、“自然は異なれど、風月は同じ。”があることを願う。
 ひとつの盛唐の遺跡の風格を、我々中国人自身の文化として、持ち帰ってもらいたいものだ。

【夏天が、《財経国家週刊》2015年第24期より選出、挿絵:王青】
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