2018/5/31

学校を学びの場ではなく精神修養の場にしてしまう新学習指導要領(高等学校)  ]Vこども危機
 ◆ 高等学校新学習指導要領のとんでもない内容 (被処分者の会通信)
青木茂雄

 2018年3月に、前年の小中学校に続いて高等学校の新学習指導要領が改定「告示」された。教育基本法改悪以後、2度目の学習指導要領改定で、大改悪だ。

 《2006年の改悪教育基本法のねらいが全面展開》
 問題点は大きく次の3点。
 第1に、「道徳教育」を柱に据えたということ、その観点から新科目「公共」が設置された。
 第2に、「愛国心」が教科目の「目標」と「内容」に入ったこと。とくに「地歴」と「公民」。教科書検定や採択では猛威を奮うことが危惧される。
 第3に、学習指導要領はこれまでは教育の「内容」の大綱を示すものであるが、教育の「方法」つまり授業や評価に関してまで示すものとなった。大きな問題である。


 《高校でも「道徳教育」が本格化》
 「総則」では道徳は各教科目の特質に応じて行えとしているが、今回の改定では各学校で校長や「道徳推進教師」を中心として「全体計画」を作成することとし、「公共」「倫理」「特別活動」がその「中核」とされている。
 教科の専門領域にまで「道徳」が侵入し、その内容が歪められる危険が大きい。

 《新科目「公共」の最大の問題は》
 最大の問題点は、教科の専門性に裏付けられていないということである。
 「目標」から「現代社会」にはあった「人間尊重と科学的な探求の精神」が削除され、代わって「公共的」世界への参加が「目標」として並べられ、最後の「自国を愛し」が最終「目標」。
 「内容」からは「基本的人権」や「日本国憲法」の文字が消え去り、憲法学習ができない。そして、遵法と参加の心構えが強調される。
 もはや学びの場ではなく、ただひたすらに「公共的なもの」への「参加」を求める精神修養の場となりかねない(いくら討議をしても同じこと)。
 知識内容が問題ではなく、「資質・能力」の育成それに参画への「態度」が問題とされる。これは国民総動員体制への準備科目と言って良いのではないか。

 《新科目「歴史総合」は歴史修正どころか歴史の抹殺だ》
 知識内容よりも「資質・能力」の育成に力点が置かれていることは「公共」と同様。
 「目標」「日本国民としての自覚」に加えて「我が国の歴史に対する愛情」が入り、これが教科の内容を規定するという構造になっている。
 その「内容」は「近代化」と「グローバル化」が大きな柱。「近代化」は日本の近代化に力点が置かれ、これが無批判に肯定的に評価されるしくみ。つまり大日本帝国の美化である。
 東アジア侵略についてはまったくふれられず、アジア太平洋戦争についても独立した項目がない。日本が過去におこなってきた戦争に対する反省どころか事実の直視もできないようになっている。これでは歴史修正を越えて歴史の抹殺である。

 《「主体的・対話的で深い学び」と言うが》
 「アクティブラーニング」をこのような表現に変えたことが功を奏して、改定に批判的な人もこの部分についてだけは肯定的に見ている。私はこの部分が最悪だと考える。なぜなら学習指導要領の根幹部分を変更したからである。
 学習指導要領はこれまでは教育課程の「目標」と「内容」の基準であって「方法」については基本的に対象外だった(裁判における都教委側の主張に注目せよ)。
 今回の改定では、「総則」で教育の「方法」までが基準の対象(つまり規制の対象)となった。このことは大変に大きなことである。
 教員の教育活動のすべてに権力的な点検が入ることが、法制度上これで可能となった。

 《新学習指導要領の問題点を声を大にして訴えよう》
 各教科書会社ではそろそろ新教科書の編集態勢に入るが、改定の悪影響を少しでも除去できるしっかりしたものにするためには、教科書の執筆編集陣に頑張ってもらわなければならない。
 具体的には「公共」では「基本的人権」と「日本国憲法」をどれだけ書かせるか、「歴史総合」では戦争の反省と過去の植民地支配をどれだけ書かせるか、である。
 「検定」が次の勝負である。残された時間は少ない。声を大にして訴えていかなければならない。

『被処分者の会通信 117号』(2018年5月15日)

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