2019/8/23

『拝謁記』は昭和天皇による極めつきの正当化・言い訳・強弁集  \増田の部屋
 ◆ (続)NHK特集『拝謁記』が暴露する昭和天皇の極貧しい人間性!?

皆様 こんばんは。増田です。これは、BCCでお知らせしています。またまた(笑)重複・超々長文、ご容赦を!

 先日、NHK特集『拝謁記』について、内容のご紹介と、自分的には(笑)最低限のコメントを付けました。
 しかし、1、「南京事件も懐古」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-repentance-02.html
 2、「基地反対闘争に批判的見解も」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-armaments-04.html
 には、またまた呆れてしまい、もう一度、史料を基にご紹介しておいた方がいいと思いました。

 1、「南京事件」について、初代宮内庁長官・田島道治の昭和27(1952)年2月20日記録では、昭和天皇は以下のように述べています。


 「支那事変で南京でひどい事が行ハれてるといふ事をひくい其筋(そのすじ)でないものからウス/\(うすうす)聞いてはゐたが別ニ表だつて誰もいはず従つて私は此事(このこと)を注意もしなかつたが、市ケ谷裁判で公ニなつた事を見れば実ニひどい。」(下線は増田)
 つまり、南京虐殺事件については「ウス/\(うすうす)」しか知らず、一般国民と同じように1948(S23)年5月から始まった東京裁判で初めて知った、ということにしています。
 しかし、これは真っ赤なウソであることを、昭和天皇の末弟・三笠宮崇仁さんが暴露しています。「ウス/\(うすうす)」しか知らなかった、というのは「統治権の総覧者&統帥権者=大元帥」としての自分の不作為の正当化のためです。

 三笠宮さんは『THIS IS読売』1994年8月号の「殿下に独占インタビュー」の中で、以下のようにハッキリと証言しています。
 「中国側は、日本軍の残虐行為を『勝利行進曲』という映画にしていましたが、それを日本側が重慶あたりで没収してきたものを手に入れた私は、東京に連絡で戻った時に、その映画を持っていき、昭和天皇にもお見せしたことがあります。もちろん中国が作った映画ですから、宣伝の部分も多いでしょうが、多くの部分は実際に行われた残虐行為だっただろうと私は考えています。」
 三笠宮さんは「若杉参謀」として中国での皇軍の残虐行為をいやというほど見聞して、それを直接、兄の昭和天皇に「ウス/\」どころか「濃く濃く」(笑)伝えていました。
 「三笠宮(若杉参謀)」って「ひくい其筋(そのすじ)でないもの」ですか?
 宮さんは、兄昭和天皇が、田島に対してそんな真っ赤なウソを言っているとは考えたことは無かったでしょうし、昭和天皇は死後5年経って、弟が自分のウソを暴露するなんて考えたことは無かったんでしょう。嘘はいつかはバレル…ものなのかも…

 この『拝謁記』は、最悪の場合は絞首刑、そこまでいかなくとも証人として出廷を命ぜられる可能性はあった東京裁判の弁明用に昭和天皇の発言を記録した『昭和天皇独白録』(文藝春秋)をさらに詳細にした、昭和天皇による極めつきの正当化・言い訳・強弁集と言っていいのではないでしょうか? 「真の『反省』や『悔恨』などは含まれていなかった」ということをこの上なく明瞭にしています。

 それは、さらに以下2−@ABが、極度に(?)証明しています。

 2、昭和天皇の「米軍基地反対運動」嫌悪!?
 @「昭和28※年6月1日)では『平和をいふなら一葦帯水(いちいたいすい)の千島や樺太から 侵略の脅威となるものを先(ま)づ去つて貰ふ運動からして貰ひたい 現実を忘れた理想論ハ困る」(※1953年)
 「田島長官が、理想論者は『千島の前ニ日本国土から 米軍を引いて貰ひたいを申すかと思ひます』と述べると、昭和天皇は「それニ対してハ 私ハ朝鮮を見たらすぐ分ると思ふといひたい」

 A「昭和28年5月25日…、石川県内灘(うちなだ)の米軍基地反対闘争に触れ、「小笠原でも奄美大島でも米国ハ返さうと思つても 内灘でも浅間で貸さぬと(原文ママ)いはれれば返されず、米国の権力下ニおいて そこでやるといふ事になる。
 米国の力で国防をやる今日 どこか必要なれば我慢して提供し 小笠原等を米国が返すやうにせねばいかんと思ふのに(※米軍基地反対運動する国民がいるとは)困つた事」(※は増田の補)
 「昭和28年6月17日…『日本の軍備がなければ米国が進駐してヽ 守つてくれるより仕方ハないのだ。内灘の問題などもその事思へば 已むを得ぬ』」

 B「外交上正しく主張するに 軍備がものをいふ訳故、日本の軍備をやめた事は現実の状況としてハ 米軍二依る外(ほか)ない。米軍中 不都合を働くものは不都合故 これハ罰すればよい そういふ難点ハ難点で考へてもよろしいが その事の為ニ 根本的ニ反米とか 米軍が日本の準備なき内ニ 退去するやう仕向ける事ハいかんと思ふ。私ハむしろ 自国の防衛でない事ニ当る米軍ニハ矢張り感謝し酬(むく)ゆる処なけれバならぬ位ニ思ふ」
 「昭和28年11月24日…基地の問題でも…全体の為ニ之がいゝと分れば 一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ 一部の犠牲となる人ニハ 全体から補償するといふ事ニしなければ 国として存立して行く以上 やりやうない話であるのを、憲法の美しい文句ニ捕ハれて 何もせずに全体が駄目ニなれば 一部も駄目ニなつて了(しま)ふといふ事を考へなければと私ハ思ふ」
 「自分の利益権利といふ方に重きをおいて 全体の為ニする義務といふ考えがないから困ると思ふ。日本の国防といふ事を現状ニ即して考へて、日本としてなすべき事たるが分かれば 誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ その犠牲ニハ 全体が親切ニ賠償するといふより仕方ない」
 ***************************

 ◆ 2−@から分かること

 1945年8月に「千島や樺太」がソ連に占領されたのは、昭和天皇が当年2月、近衛からの講話提案を「もう一度、戦果を挙げてから」と拒否し、3月東京大空襲〜の米軍全国空襲にも講和を考えず、4月〜6月の凄惨な沖戦敗北も依然「もう一撃」にこだわり、7月26日のポツダム宣言さえ、「国体=天皇制」の保障がはっきりするまでは、と直ぐ受け入れず、やっと8月9日未明のソ連参戦によって、初めて講和を決意した、という経過がありました。(詳細は『昭和天皇葉戦争を選んだ!』社会批評社、参照)

 昭和天皇は、自分が何をしたのか、何をしなかったのか? 「千島や樺太」がソ連に占領されたのはなぜか? について、全く無反省? であることがわかります。

 その無反省の上に、連合軍の占領が終わり独立国家となった日本国の主権を守る立場なら当然の「千島の前ニ日本国土から 米軍を引いて貰ひたい」という主張に対して「朝鮮を見」ろっ? とは…

 2−Aについて

 「米国の力で国防」とは昭和天皇にとっては「米国の力で天皇制防衛」です。もう少しはまともな講和・安全保障体制を考えていた吉田茂首相を差し置いて、積極的に沖縄県&県民をアメリカに差し出し、日本国憲法に違反する政治干渉をして日米安保体制を敷いた昭和天皇(豊下楢彦『安保条約の成立』『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波書店、参照)にしてみれば、あのアジア太平洋戦争のときと同じく、天皇制護持の為には米軍のために自分の土地を「我慢して提供し」ろっ!?
 米軍基地に苦しむ「国民の幸福」なんぞ全く全く考えず、「米国の力で国(天皇制)防衛」のためには、税金から金をやってそれぐらい「我慢」させろっ

 2−Bについて

 「外交上正しく主張するに軍備がものをいふ」!? とは…相変わらずのパワーポリティクス信仰…「軍備がものをいふ」と「日中戦争が拡大した1937年(昭和12年)に軍事費は激増し、以後終戦まで軍事費は国家予算の7割台から9割近くにまで拡大」し
akahata/aik07/2008-04-26/2008042612_01faq_0.html
 軍備に邁進したにもかかわらず、「外交上正しく主張する」どころか、あの凄惨な戦争と日本史上最大の犠牲を国民…植民地台湾・朝鮮半島出身者を含め…に強いた人物が、これを言う!? 若い人のスラングでいえば「おまゆうっ」…「お前がゆうかっ」!?

 「戦争に対する反省と深い悔悟」が、どこにあるのか?

 そして「米軍中 不都合を働くものは」いるけれど「その事の為ニ 根本的ニ反米とか 米軍が日本の準備なき内ニ 退去するやう仕向ける事ハいかん…私ハむしろ 自国の防衛でない事」日本の天皇制防衛「ニ当る米軍ニハ 矢張り感謝し酬(むく)ゆる」ことをしないといかんぞっ?

 そして、極めつけの名(迷)モンク!?
 米軍「基地の問題でも…一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬと考へる事、その代り…全体から補償する」
 「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ その犠牲ニハ全体が親切ニ賠償する」!?

 米軍基地の犠牲になる「国民」はしょうがないよ、一部だし…税金で補償金出してやればいいんだよ?
 自分及び一家一族は絶対に20000%? 「犠牲」に中に入ることは無いので、「犠牲」になる人たちへの想像力・思いやりゼロの極貧しい人間性?

 これが、後掲、前天皇明仁さんが言う「ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され」「いかなるときも国民とともにあることを念願された」昭和天皇の実像です。

 昭和天皇は、戦争中はもちろん、1989年に死ぬまで、こういう考え方で生きていたんですね
 …だから、国体護持=天皇制護持のために、原爆を除けば日本国内で最大の戦争の犠牲者を生んだ沖縄県&県民を、敗戦後「一部の犠牲」は「不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」として、アメリカに差し出すことも躊躇しなかったし、
 原爆犠牲者に対しても「この原子爆弾が投下されたことについて遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒ですが、やむを得ないことと私は思っております」(75年10月31日、昭和天皇初の訪米後の記者会見)などと平気で述べることができました。

 さて、裕仁さんの息子の前天皇明仁さんは即位時1989年1月9日、以下のように述べました。
 「(昭和天皇は)御在位60有余年,ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され…ここに,皇位を継承するに当たり,大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし,いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ,皆さんとともに日本国憲法を守り…」
 今までも、たくさんの昭和天皇研究によって、この天皇明仁さんによる昭和天皇評価が真っ赤なウソであること、昭和天皇は、国民主権の日本国憲法を蹂躙し続け、憲法9条が大嫌いで、米軍に感謝し続け日米安保条約の絶対順守を憲法に違反して渡米する重光葵外相に命じたりした…詳細は前記『昭和天皇は戦争を選んだ!』参照…人物であることは、証明されていました。
 この『拝謁記』は、更にその見方が正しかったことを十二分に補強するものだと思います。

 昭和天皇は「ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され」どころか、「いかなるときも国民とともにあることを念願された」どころか、「御遺徳」どころか、
 「彼にとっての国=天皇制」を守るための戦争と米軍基地の犠牲になる国民への思いやりのかけらも無い「極貧しい人間性」の持ち主であったことの証拠を、この『拝謁記』は、更に上積みしました。

 以前の扶桑社歴史教科書…現在、後継は育鵬社歴史教科書…は、1頁をまるまる割いて『国民とともに歩んだ昭和天皇』なんぞというコラムを載せ「昭和天皇は生涯を通じて、常に国民の幸せを願っていた。対英米開戦は昭和天皇に責任は無く平和主義者だった」などと、中学生たちに真っ赤なウソを教えています。日本人の大多数は、1945年8月15日〜現在まで続くマスメディアによる大宣伝によって、この嘘を信じ込んでいると思いますが…

 私は中学校社会科教員として、この扶桑社歴史教科書は「歴史偽造の教科書です」と教えたことで、石原慎太郎都知事配下の都教委によって「文科省検定を通った教科書を誹謗したのは公務員として中立公正を欠き、公務員不適格」と2006年3月末分限免職されました。

 裁判所も同じ理由で「分限免職正当」としましたが、これからも、新しい史料が出るたび、私は「真実を教える」という教員として当たり前のことをしただけであって、公務員不適格はどちらなのか…実は現在、都教委も裁判所も公務員不適格者だらけ…というか、アベ日本政府自体が歴史偽造主義者だらけで日本国憲法遵守義務違反を繰り返す公務員不適格者だらけ、という事は明らかでしょう!

 しかし、今、この時期にNHKが、こんな『拝謁記』を出してきたのは、「『昭和天皇も、ず〜〜っと、9条改憲をやれ』と政府に言ってきたんだよ」という証拠を出すことによって、9条改憲に暴走していくアベシンゾー政権の後押しするつもりだったんでしょうか!?

タグ: 増田都子

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