2019/11/5

河原井・根津裁判「江藤意見書」「武田意見書」の要約  X日の丸・君が代関連ニュース
  ◇ 09事件控訴審第2回11月11日(月)15:00〜東京高裁809
  ◇ 09事件控訴審・結審12月18日(水)14:00〜東京高裁809


  《河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会 会報から》
 ◆ 2008年事件 最高裁第一小法廷係属
   2009年事件 高裁で結審に向かう

根津公子

 いずれの裁判も、河原井さんは損害賠償を、根津は処分取り消しと損害賠償を求めています。
 08年高裁判決は、河原井さんの処分は取り消したものの、「10・23通達及び職務命令を通じて…教員らが…尊重する態度を示すことにより、生徒らにも同様の態度が涵養される」と、教育勅語が使った「涵養」という言葉を使って職務命令についての基本姿勢を示します。「違憲違法とはいえない」とした、それ以前の判決から先祖がえりをした判決でした。


 根津については、日常着としていたトレーナー着用を職務命令違反・職務専念義務違反だとして、「(加重処分の)相当性を基礎付ける具体的事情」としました。
 「過去の処分歴」については、07年事件高裁判決が「既こ停職期間3か月とする前回根津停職処分で考慮されている」ことから、「具体的事情」として繰り返し使うことを実質禁じましたが、08年高裁判決はそれを反故にして、この2つ(トレーナー着用と過去の処分歴〉を「具体的事情」とし、停職6月処分を適法としました(詳細はニユース前号)。

 09年地裁判決も、08年高裁判決と同じに「涵養」を使った判決。さらには、08年事件は上告中であるにもかかわらず08年停職6月処分適法を前提に、「前回の停職6月処分をさらに加重するものではなく」と言い、根津処分を違法とした07年控訴審判決については「同判決は本件とは事案を異にする高裁判決であって、本側こ適切であるか自体に疑問がある」と、理由も示さずに切り捨てました。

 09年控訴書は「今後の予定」に示すように、11、12月と法廷が開かれます。
 11月の法廷では、こちらが要求していた本人尋問さえ認めず、二人とも意見陳述をすることになりました。
 天皇代替わりに際して出された「天皇奉表」の指導を求める文部省通知、通知にしたがってそれが実際に行われている現実、こうした動きは「日の丸・君が代」の強制と処分の「定着」によって成し遂げられたこと。春以来ずっとこう考え、忸怩たる思いを持ってきたので、この点についても陳述書で強調しました(根津)。
 判決は今年度中に出されるでしょう。

 08年上告書、09年控訴審では、起立斉唱を求める職務命令は憲法19条違反であること、及び根津に対する停職6月処分を維持することは懲戒権者の裁量権の範囲を逸脱することについて、上智大江藤祥平准教授に、損害賠償請求については成蹊大法科大学院武田真一郎教授に意見書書を書いていただき、こちらの主張を十分に展開しました。以下は、お二人の意見書の要約です。


 ◆ 江藤祥平准教授の意見書

 1,起立斉唱を求める職務命令は憲法19条違反ではないとする立論の問題点

 まず問題なのは、国旗・国歌というナショナル・シンボルをめぐる争いが、単なる「職務命令→拒否」の図式に落とし込まれている点にある。
 国家が国民教育において国旗や国歌をかつぎだすのは、国民精神を集中させて「統制」を実現するという政治目的からである。国家権カが強制力を背景に実施するときに、これを、各小法廷が言う、「儀礼」と評するのは不可能である。
 そもそも、もしそれが本当に儀礼なのであれば、強制力は不要のはずである。強制力を用いなければならないところに、政治性が露見している。国家が国旗・国歌をめくり強制力を行使するときに、「統合」とは切り離された意味での「敬意」などというものは観念しえない。

 次に問われるべきは、職務命令が教職員の憲法上の自由を制約するか否かの以前に、そもそも国家の側にそのような命令をする権力があるのか否かである。
 ビアノ伴奏裁判の最高裁判決で藤田宙靖裁判官(反対意見)は【「『君が代曇が果たしてきた役割に対する否定的評価という歴史観ないし世界観それ自体」もさることながら、「『君が代』の斉唱をめぐり、…公的機関が、参加者にその意恩に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価(このような行動ご自分は参加してはならないという信念ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり、また、後者の側面こそが、本件では重要と考える。」】と述べた。
 そここそが「君が代」強制と処分の「真の問題」なのだ。

 教職員の思想信条を理由に起立斉唱行為を「免除」するかどうかではなく、国家が国旗・国歌をめぐり強制力を行使する「一般的」な権力を有するかどうかということである。
 国政は「信託」された権力の範囲内で行われなければならず(憲法前文より)、その範囲を逸脱した場合は、市民は公共を共に形作る一市民としての異議・市民的不服従が正当化される。
 教職員が起立斉唱命令に従わないことは「市民的不服従」として認められなけれはならず、各小法廷の判断には、法令解釈の違法がある。

 藤田意見は判例法理に照らして採用の余地はないという見方もあるだろうが、12年1月最高裁判決の法理は、藤田反対意見の延長線上にあるとみて間違いない。12年1月最高裁判決が停職処分の選択に「相当性を基礎付ける具体的な事情」を要求したのは、国家権力の行使に「不当な動機」がないことを確かめる趣旨からである。加重処分の場合には、起立斉唱行為が「儀礼」というのが「政治のウソ」である可能性が高いことに鑑みて。

 2.根津停職6月処分は裁量権を逸脱し、違法な処分である

 12年1月最高裁判決のいう「相当性を基礎付ける具体的な事情」においては、単に被処分者の「過去の処分歴等」を考慮するだけでは足りず、思想良心の自由の重要性に鑑みて、懲戒処分者の側で当然考慮すべき事項を考慮していたかどうかも併せて問題にされなければならない。
 根津停職6月処分を取り消した須藤判決が、停職3月とする前回処分をさらに加重するには、「特に処分の加重を必要とするような特段の事情」を要すると判示したのは正当であった。
 08年処分で「過去の処分歴」のみをもって本件停職6月処分を正当化することは、12年1月最高裁判決の法理に抵触する
 したがって、トレーナー着用行為が特に処分の加重を必要とするような事情を構成するか否かに集約される。

 公的な関心ごとにわたる場合には、その表現を社会が受け取ることの重要性に鑑みて、それを制約するには実質的な論拠が求められると解される。学校側の行政の効率性よりも、公的関心事項についての表現を社会が受け取る利益が上回る場合には、表現を許容する方がより公共の福祉の増大につながるからである。
 その表現が重要な問題提起をしていることに鑑みると、懲戒権者としてはそのことに十分配慮し、処分を選択する必要があり、トレーナー着用行為を「特こ処分の加重を必要とするような事情」として考慮することは裁量権の逸脱・濫用に当たり違法というべきである。
 なお、トレーナー着用行為が仮に処分の対象になるとしても、行為の態様からして、せいぜい戒告にとどまる性質の行為である。


 ◆ 武田真一郎教授の意見書

 1.国賠法の違法性につて

 民法違法行為法の違法性は「他人の権利又は法律上保護される利益を侵害」することであり、損害とは「他人の権利又は法律上保護される利益を侵害」することによって発生するのだから、民法違法行為国賠違法は同じとみていい。
 しかし、実際には民法の違法性と国賠違法は異なるという考え方が有力であり、国賠違法については、@公権力発動要件欠如説(法令違反説)、A職務行為基準説、B相関関係説が並行している。
 最近の最高裁判例と原判決がAの考え方に立っていることから、本意見書もAを前提とする。

 ここで問題となるのは、Aの考え方だけで本件が適切に解決できるかどうかということである。民法不法行為法の違法性と国賠違法は本来は同じ意味であり、「他人の権利又は法律上保護される利益を侵害」することであったはずである。
 民法不法行為法では相関関係説によって違法性を判断するのが通例であり、特に「正当な権利行使が一定の限度を超えることによって不法行為を構成する事案においては、故意・過失とは別に『権利』や『法律上保護される利益』の侵害の要件は積極的な意味を持ちうる。むしろ、これらの要件こそが不法行為の成否を決する役割を演ずることが多い」ことが指摘されている。
 本件は本来は正当な権限行使であるはずの職務命令が一定の限度を超えることによって不法行為を構成する事案であるから、Bによって都教委の行為の違法性を厳密に認定し、次にAによって最終的な賠償貴任を認定することが可能であり、必要であると考えられる。

 2.本件こおける違法について

 @本件こおける被侵害利益の性質は、思想及び良心の自由と人格的利益の侵害による精神的苦痛である。
 「思想及び良心の自由は、内面的精神活動の自由のなかでももっとも根本的なもの」(芦部信喜・高橋和之)である。したがって、控訴人らの考え方も最大限の尊重を必要とするというべきである。

 なお、本件は公教育の場で発生しており、公権力と国民(控訴人ら)との関係が問題となる事例であるから、両者の関係を規律する憲法の規定が直接適用され、強い規範性を持つことになる。
 違憲の行為でなければ国賠法上違法でないとはとうていいえないし、職務命令や懲戒処分が違憲でないとしても、その運用や内容が的確さを欠くことによって一定限度を超える損害を発生させ、他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した場合は、違法性を阻却する旨の法令がない限り、国賠法上は違法となるというべきである。
 最高裁は本件職務命令が「思想及び良心の間接的な制約となる面がある」ことを認めている。このような制約が一定限度を超えることにより、控訴人らの思想及び良心の自由又は法律上保護される利益を侵害する場合は、国賠法上は違法となると解すべきである。

 2012年1月の最高裁判渕こおける宮川光治裁判官の反対意見は、本件職務命令が控訴人らの思想及び信条の自由を侵害し、国賠法上違法となる場合を考える上で極めて示唆的である。
 同裁判宮は、上告人ら(河原井・根津)が不起立した理由は、「第1に、上告人らにとって『日の丸』に向かって起立し『君が代』を斉唱する行為は、慣例上の所作ではなく、上告人ら自身の歴史観ないし世界観等にとって譲れない一線を超える行動であり、上告人らの思想及び良心の核心を動揺させるからであると思われる。第2に、これまで人権の尊重や自主的に思考することの大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者として、その魂というべき教育上の信念を否定すると考えたからと思われる」と指摘している。
 控訴人らはこの指摘の通りであって、多大な精神的苦痛を与えたことは明らかである。よって、本件職務命令とこれに基づく本件処分は相当とされる一定限度を超えることにより、控訴人らの思想及び良心の自由(思想及び良心の自由を侵害されない権利)並びに人格的利益(法律上保護される利益)を侵害しており、国賠法上は違法というべきである。
 なお、同裁判官は、「上告人らが抱いている歴史観等は、ひとり上告人ら独自のものではなく、我が国社会において、人々の間に一定の広がりを有し、共感が存在している」ことも指摘している。控訴人らの精神的苦痛は客観性のあるものであり、社会通念上も受忍すべき限度を超えているというべきである。

 慣例上の儀礼的な所作に過ぎないなどの多数決原理に基づく一般論は、通達や職務命令の適法性を説明する理由にはなるとしても、控訴人らの思想及び良心の自由や法律上保護される利益の侵害を正当化する理由にはならないというべきである。

 本件職務命令が「慣例上の儀礼的所作」であり、「教育上の行事にふさわしい秩序の確保」と「式典の円滑な進行を図る」ことを名目にして、その実質が日の丸・君が代に対する否定的な評価を有する教員を圧迫し、排除する目的ないし効果を有することになり、上記教員らの思想及び良心の自由を侵害したときは、当該職務命令は憲法19条に違反するというべきであり、また、本件職務命令が現実に上記教員らの権利又は法律上保護される利益を侵害したときは、国賠法上も違法となるというべきである。
 そもそも起立斉唱行為が「慣例上の儀礼的所作」に過ぎないのであれば、これをしないことによって式典が混乱したり、秩序の確保ができないということは考えにくいから、職務命令によって強制したり、従わない教員に対して懲戒処分を行う必要性はないはずである。

 A河原井については、本件処分は取り消されたので、6か月にわたり教壇に立つ機会を失ったことによる不利益を受忍すべき法令上の根拠は全くない。強い違法性がある。

 根津については、同人に対する本件処分が適法とされたので、同人が教壇に立つ機会を失ったことに対する不利益こついては、制度的には受忍しなければならない。
 しかし、本件処分が適法とされたことは、処分権者の裁量権の逸脱濫用があるとはいえないことを意味しているに過ぎず、同人に受忍限度を超えた精神的苦痛を与えたことが違法でないことを意味するのではない
 根津本件以前の根津の非違行為の内容こよると、同人の日の丸・君が代に対する否定的な評価は人一倍強いと推認されるが、そうであるとすれば、本件職務命令が同人の思想及び良心の自由並びこ法律上保護される利益を侵害する程度はより強固であったといえる。したがって、同人に国賠違法が認められると解するべきである。

 日本の教育は「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養う」(教育基本法2条2号)とともに、「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」(同条5号)を目標としている。
 都教委の本件職務命令及び懲戒処分は、教育基本法2条2号と明確に相反しているし、自らの思想及び良心にしたがって起立斉唱を拒否した教師に対して過大な懲戒処分をなされているの見た生徒に「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度」が涵養されるかどうかはきわめて疑わしい。
 よって、本件処分は根津の思想及び良心の自由を侵害し、教育の目的にも反するものであって、きわめて違法性が高い態様のものである。

 なお、最高裁2016年12月8日判決は、厚木基地における航空自衛隊の運航に係る防衛大臣の公権力の行使に裁量権の逸脱濫用はないとしたが、同日に言い渡された最高裁判決は、同基地における航空自衛隊機等の運航に起因する騒音被害に対する国賠請求を容認している。
 同様に、根津についても取り消し訴訟が否定されたとしても、国賠違法が肯定される可能性はあるといえる。
 原判決は、「法令の解釈につき異なる見解が対立して疑義を生じており、寄るべき明確な判例学説がなく、…直ちに公務員に過失があったとすることはできない」とするが、都教委が控訴人らに受忍限度を超える精神的若痛を与えたのだから過失があり、控訴人らに生じた損害を賠償する責任があるというべきである。

*** *** *** *** ***

 江藤意見書が書うように、私たちが「君が代」起立をしなかったのは、個人としての歴史観や世界観というよりも、藤田裁判官が指摘した、「『君が代』の斉唱をめぐり、…公的機関が、参加者にその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価(このような行動に自分は参加してはならないという信念ないし信条)」からでした。公教育を担う教員として、担当する生徒たちの前で間違った命令に従ってはならないと思ったのです。

 河原井さんの停職1月損害賠償請求についての差し戻し審の南判決及び根津処分を取り消し損害賠償も認めてくれた07年事件の須藤高裁判決は、武田意見書が言う「違憲の行為でなければ国賠法上違法でないとはいえない」ことを採用しています。
 須藤判決は、「都教委において控訴人らに対して何らかの懲戒処分を科すことができるとしても、そのことと、都教委こおいて、控訴人らに対して本件各処分を科すに際して、その職務上尽くすべき通常の注憲義務を尽くしたか否かは別問題であるから、被控訴人の上記主張は、前提において失当であり、しかも、上記認定のとおり注意義務を果たしたといえないから、当裁判所の採用する限りではない」としています。
 この判断基準に立って、上告理由書及び準備書面では、たとえ根津の停職処分を取り消さないとしても、損害賠償は認めるべきと主張しました。改めて、須藤判決の意味を確認しています。

 08年事件が係属された最高裁第一小法廷には、安倍首相が「指名」した木澤克之裁判官(加計学園監事)と山口厚裁判官がいます。よりによって、そこに係属されるとは!と腹立たしいですが、それが「戦争する普通の国」の現実。須藤判決との対比でしっかりみていきたいと思います。

『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会 会報 no.69』(2019年10月23日)

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