2020/3/15

在日の生活実存を、民族融和の展望まで高めていく意志的な生き方が「在日を生きる」こと  ]平和
 ◆ 金時鐘・佐高信『「在日」を生きる ある詩人の闘争史』
   〜民族融和の展望まで高める
(週刊新社会)
女性史研究家 鈴木裕子

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 ◆  南北融和を説き、休戦協定を平和協定に、日本は北朝鮮との対話を説く
 本書は、評論家の佐高信氏が聞き手になり、在日詩人の金時鐘氏がこれに応答するという形の対談集
 1945年にせっかく解放に接しても、米ソの冷戦体制が南北を分断、積年の課題として南北朝鮮は「一つの国」「そのための和合が必要」と金時鐘氏は考え続けてきた。
 金時鐘氏は、いま核保有を誇示している北朝鮮とどう向き合うかが同じ民族なら深く考えねばならない焦眉の課題としてあり、好き嫌いを別にして絶対、対話の道を見つけ出さなくてはならないと語る。


 ◆ 38度線をどう越えるか〜48年4・3事件と、長編詩集『新潟』

 48年の李承晩の専制政治に反対し、激しく闘われた済州島の4・3事件に金時鐘氏は身を投じた。
 区長を務めていた母方の叔父の家に逃れ、潜んでいた。
 4・3事件のパルチザン(山部隊)は、叔父を「討伐隊」に加担しているとみて、竹槍で腹を突き刺し、叔父は3日間ほど断末魔の呻きを挙げ、死去した。

 痛恨の思いを抱えつつ、金時鍾氏は、日本に亡命、共産党に入党
 51年、金時鐘氏は、韓鶴洙校長に乞われて民族学校に赴任
 のち韓鶴洙夫妻は、北朝鮮労働党の権力闘争に敗れ、北への帰還を命じられ、そのまま強制収容所に送られ、悲惨な末路を遂げる。

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への金時鐘氏の違和感は、さらに朝鮮プロレタリア芸術同盟の主要メンバーであった林和や、南朝鮮労働党の書記長であった朴憲永が北に渡り、活動、反党的行為を働いたとして粛清されたことにより高じる。
 金時鐘氏は4・3事件当時、朴憲永に私淑しており、そのショックは大きかった。

 朝鮮総連が結成され、北朝鮮の直接指導下に入ると、総連は組織的権威を高め、「民族的主体性」「主体性確立」が行動原理のように幅を利かせる。
 民族教育はもとより創作・表現行為のすべてにわたり、「共和国公民」としての責務として強要される。
 金時鐘氏は批判の槍玉にあがり、「民族虚無主義者」というレッテルを貼られた。

 北への帰国運動が始まり、59年帰国第1船が出発、これを契機に長編詩集『新潟』を書き上げたものの、11年間もの間、表現行為から逼塞され、70年にいたり、『新潟』は日の目をみた。
 『新潟』は、本国で越えられなかった38度線を越えるという発想がモチーフで、「在日」を生きるという命題に繋がる。

 日本の教師たちとの現場交流を思い立ち、「解放教育」運動の後押しを受けて、兵庫県立湊川高校の定時制の社会科教員として、73年から88年まで在職
 湊川高校は大きな都市部落の番町地区と川を隔てて向い合っていた。
 部落、朝鮮と絡む差別問題はは日常的課題としてあり、このなかで金時鐘氏は朝鮮語も教えた。
 部落の生徒たちの「ワシら日本人や、日本語をもっと教えてくれ」の声に応えるために、日本語の諺などを努めて引き、半ば日本語の授業といっていい形の授業を行う。

 「差別されているからこそ、差別したり、されたり、されなかったりする関係を知ることは大事なんやないか」と言い返し、「部落の生徒たちを再び朝鮮語を辱める側に入れてはならない」という強い思いがあった。

 ◆ 軍事制裁は日本をも焦熱地獄と化す。日本は北共和国との対話を

 北朝鮮の民衆の本当の不幸は、政治というのは民衆の意向によって定まるものだということを知らされていないところからもたらされている。
 北朝鮮の民衆は神がかり的な金王家体制、その絶大な権威がなくては国家は成り立たないと信じこまされている。
 民衆の意識に方向性を持たせる意味で、まず日本は韓国と日本の修好条約(65年の日韓基本条約)ができたように、北朝鮮との間でも修好条約を提起し、会談を実現することで、「拉致」、「朝鮮人徴用」問題等の目途もつくという。

 トランプ大統領のパートナーを自認して、北朝鮮を締め上げて軍事制裁が真っ当だと安倍首相は口にするが、それは日本を守るどころか、自らも焦熱地獄に陥ることを認めているようなもの。北共和国との対話以上のものはないと説く。

 日韓基本条約は、韓国民主化闘争の大きなきっかけとなり、3代にわたる軍事独裁体制を打倒した。
 日本と北共和国の会談が始まると、北でのラジオの目盛りやテレビチャンネルの規制ができなくなり、北では偉大な将軍様が導く国だという国民の通念も、偉大な将軍様が一人もいない国で、もっと楽に飯が食えるし、旅行もでまることがわかる。
 それが風穴になり、風穴は視野を開かせ、覚醒をもたらす。

 在日朝鮮人の生活実存は民族融和を醸成していく上で、先験性に富んだ可能性を抱え持つ。
 この在日の生活実存を意識目的化して、民族融和の展望まで高めていく意志的な生き方を、金時鐘氏は「在日を生きる」ということだと述べている。

 金時鐘氏は、僕は今でも社会主義への憧れは続き、「年がいっても生活の不安がなく、子どもたちを競い合わせて教育することもなく」、「働くことに収奪されることがない体制が悪いとば思わない」といい、官僚主義と国家主義が背中合わせになっているような専制政治がいけなかった、と述懐。示唆に富み、心に深く残る著である。

 ※ 金時鐘(キムシジョン)
 在日朝鮮人の詩人、文学者。1929年、朝鮮の釜山市に生まれる。戦争のためハングルの言葉を書けないまま敗戦を迎えた。社会主義を信じ朝鮮労働党に入る。済州島四・三事件にかかわったりした。在日朝鮮人の政治・文化活動に加わり、2003年には韓国籍となった。

『週刊新社会』(2020年2月4日)

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