2005/3/31

目には目を 投稿者:なまはげ  投稿日: 2月 5日(土)22時02分34秒

徳島と言えば、ITベンチャーの雄ジャストシステム【一太郎・花子】の本拠地だ。
【特許権侵害】が裁判所で認定されたらしい。(・∀・)氏なら、さしずめ、

> んで、ルールを破った者たち【一太郎・花子】を「自由な一般市民」としているあたりは、完全に印象操作しているのではないかと弱く批(略wwwww
> 多くの一般市民には、自由を争う正義の市民ではなく、【一太郎・花子は】ルールを破ってゴネてる人にしか見えていないと思うのだがwwww
> ゲーム【特許権侵害】をするには、自由な時間に自宅とかでするのが吉。思想活動【特許権侵害】するなら勤務時間外に警察許可とって集会場や駅前でするのが吉w

と、けなしまくるのかな。
んで、

> 国民の8割が日の丸君が代【ワード】で満足してるのに、反対している先生達【一太郎・花子】の活動は「奇異」なんですよwwwww

てな、お得意の「多数派の専制」のロジックで、とどめを刺すと。

ちなみに私自身は「一太郎vol.6」以来の愛用者という天然記念物的少数派だが、
このまま一太郎を使い続けていても、(・∀・)殿から許していただけるのだろうか。

「印象操作」には「印象操作」でおかえししてみました。

詭弁を弄して一般市民を煙に巻いた、前6C頃のアテネの徳の教師たちをソフィストという。(ギリシア語でsophia=知、知の使い手、即ち「知者」)

 人間は全て死ぬ。ソクラテスは人間である。ソクラテスは死ぬ。(ん!正しい)
 人間は嘘をつく。ソクラテスは人間である。ソクラテスは嘘つきだ。(ん?変だぞ)
 「正義は強者の正義に他ならない」(トラシュマコス)
 「正義とは、強者が弱者を支配し、そして弱者よりも多く持つことである。」(カリクレス)
 「人は安心して決まりを破ってよい。ただし誰からも見られていないことが必要である。」(アンティフォン)
ソフィストの詭弁をうっかり受け入れると、「言論の自由に立脚するデモクラシー」が、弁論術という名の「力が支配する荒廃した世界」に堕してしまう。アテネ自壊の故知から何を学ぶか。

現代の若者も、けっこう詭弁好きである。
 「英語の未来形を表す助動詞 will の過去形は would だと言ったが、未来の過去なら現在じゃないですか。」
 「バスは走るのになぜ動詞でなく名詞なのか」
こんなふざけた質問にまともにお付き合いしていたら、時間と言葉がいくらあっても足りない。言葉のお遊びは、それこそ自由なお時間にご自宅でなさっていただきたいもの。公共の場で詭弁を振りまかれるのは迷惑で社会の害悪である。日本を衆愚政治に陥らせたいのか。私はそんな邪悪な営みに関わりたくないし、関わっている暇もない。印象操作合戦はこれでお終い。お互い時間は大切に使いましょう。

それにしても、今の日本には、ソフィストが跋扈しすぎている。詭弁、皮肉、冷笑主義、の類を得意げに振りまく若者が何と増えてきたことか。そしてそれを煽る口先達者な政治家や知事や役人たち。
こんな時代、ソクラテスの登場が待たれる。




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多神教 投稿者:なまはげ  投稿日: 2月 5日(土)22時01分38秒

それでは日本における多神教の特徴とはどんなものであったか。
日本の伝統文化の本来の姿を、江戸中期の国学者の大人本居宣長の言葉に見るなら、

「されば人の情のありていは、すべてはかなく、しどけなく、をろかなるもの也としるべし。歌は情をのぶるものなれば、また情にしたがふて、しどけなく、つたなく、はかなかるべきことはり也。これ人情は古今和漢かはる事なき也。しかるに、その情を吐き出す咏吟の、男らしく、きつとして、正しきは、本情にあらずと知る可し。」(排芦小船)

「もろこしの書は、そのまことの有のまゝの情をはかくして、つくろひたしなみたるところをいへば、君のため国のために、命をすつるなどやうの事計をかけるもの也。すべて人の情の、自然のまことの有のまゝなる所は、はなはたおろかなる物也。それをつとめてなをし、かさりつくろひて、かしこけにする所は、情をかされる物にて、本然の情にはあらず。」(石上私淑言)

かように、日本の古道とは、しどけなく(⇔男らしくきっとした)、愚かな(⇔賢げ)ものなのであり、そして、これこそ「多神教」の本来の姿なのである。

江戸時代以前の日本人の感覚では、天皇は古都の(武士に比べて女々しい)公家集団の頭目か、祭事の主宰者程度の受け止め方でしかなかった。これこそ貴君の言う

> 神道ではシンキロウと同じ物言いですが、天皇陛下(天照大神?)が一番偉い神様になっていますが、あくまで八百幡(八百万?)の神の中の一柱にすぎないので、もともと強い神様では有りません。

のイメージであったものである。

それが、ある日突然西洋ナショナリズムと一神教にかぶれた薩長の成り上がり者たちにより、ぐちゃぐちゃに歪められ伝統文化とはかけ離れたものに変容させられてしまった。よーく歴史の実相を見極める目を持たれよ。

その一神教かぶれの結果が、幾百万の無辜の民を死地に追いやった軍国主義であり、近隣アジア諸国を蹂躙する侵略戦争だったのである。多神教的にアジアの独自の文化と歴史を持つ個性豊かな国々と共存を目指す道ではなく、一神教的にひとり上に立つ全知全能の日本にアジア諸国を跪かせ従属させる道であった。四海万国を治むべき天子などと称しつつ、実は西洋的絶対君主に祭り上げられ、侵略戦争のシンボルとして利用され、無辜の民を死地に追いやることになってしまった明治大正昭和三代の陛下は皇祖皇宗の前にさぞかし慚愧の念に堪えなかったことであろう。

『教育勅語』とは、中国思想と西洋一神教に染められた、非日本的なものであり、それを「伝統」などとは勘違いも甚だしい。その復活は、全体主義国家の再現であるばかりでなく、正しい古来の伝統文化を破壊するものなのであって、二度と復活させてはいけないものなのである。


2005/3/30

思想良心の自由 投稿者:なまはげ  投稿日: 1月29日(土)22時33分6秒

そもそも「政治的自由権」(civil liberties)は、「信教の自由」(freedom of conscience)から派生した権利で、すぐれて「内心の自由」に関わる概念である。
(英市民革命期の「審査律」信仰による公務員資格選別→19C自由主義的諸改革で審査律廃止、の流れを想起されよ)

そして、これらが、「内心にとどまる限り」自由なのは当たり前だが、外面的行為の自由を保障しなければ無意味なものである。

たとえば『ドイツ基本法』には〔良心的兵役拒否〕(第4条)の規定があるが、これは「内面」にとどまっていては意味をなさない。行為としての表現を保障しているのである。戦争反対の言論を保障するということは、行為まで保障して完結する。

また『国際人権規約』第18条〔思想、良心及び宗教の自由〕には、「礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む」と、外的表明を権利として明記している。

内面にとどまるならば、物理的に捕捉不可能で処罰したくても出来ない。それを懺悔させ自省させるとしたら、「心の中の姦淫」戒める宗教次元の話になってしまう。裁判所なんかいらない。外的表明を保障して初めて「権利」といえるものである。

どなたかが引用していた「エホバの証人」格技拒否を合憲と認めた最高裁判決(1996)は、日本で外的表現を認めた一つの例だ。なぜそれが、教師のピアノ伴奏の時は、外的表現が許されず、受忍しなければならないのか。他人の人権との衝突の可能性のない人権には「公共の福祉」による制限の余地はないと政府も認めているのに。

憲法第19条〔思想・良心の自由〕の存在は戦前との大きな違いである。それがなかった戦前には、滝川事件・天皇機関説事件・矢内原事件・津田左右吉事件と、弾圧例は枚挙にいとまがない。内村鑑三不敬事件もあった。

君が代強制不服従は、憲法第19条の存在意義が問われている問題なのである。どうしても強制したいなら、憲法第19条は廃止すべきである。既に憲法第9条の下で、世界第3位(予算規模)の自衛隊が存在するのと同様の解釈改憲はもう願い下げにしたい。

一体、「学校行事」とは、「憲法」を解釈改憲しなければならないほどの問題なのだろうか。
フランス留学中に子どもを現地の小学校に入学させた学者が言っていたが、フランスには、入学式・卒業式がないのだそうだ。運動会でも、開会式・閉会式がない。時間に集まって自然に始まり自然に終わる。ドイツ・オランダも同じと言っていた。厳粛な儀式にどんな意味があるのか。オリンピックの開閉会式を見ると、日本の高校野球やインターハイのそれと比べて随分なごやかで無秩序にやっている。日本も戦後はかなり緩やかになってきたものが、最近になってまた急に厳しくなってきた。なぜ儀式を復活するのか。それは何を意味するのか。

生徒も敏感に受け止めている。卒業式での国歌斉唱について意見を問うと、
「儀式で全員が声を揃えて歌うことはいいことだ」という声がある一方で、
「今まで強制してこなかったものになぜ命令するのか」「なぜ急に歌わせるのか」
「天皇を神のように敬っていた昔、君が代を強制していた」
「強制するのは、国家に個人を従わせようとするから」
「『君が代』よりも『強制』させることがねらい」
などの指摘もある。生徒にもちゃんと見えているのだ。

ある哲学者は、「教育勅語による国民教育」の地金が出た、という言い方をした。
強制される思想は、ニセの思想であり、強制された愛国心は、ニセの愛国心である。何の役にも立たないばかりか、有害ですらある。

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日本は戦前と比べて何が変わったか 投稿者:なまはげ  投稿日: 1月29日(土)22時32分17秒

@@@殿と、「国家と個人」の関係についてやりとりを重ねてきたが、こんな感じの整理でどうだろう。

まず、民主主義国家と全体主義国家とでは、民主主義国家の方がよい。
(今の日本⇔過去の日本、ナチスドイツ、北朝鮮)。

両者の違いは何かというと、「個人の自由」を尊重するか否かである。
これも共通認識といってよいだろう。

問題は、「個人の自由」と「国家の権能」のバランスにある。
「国家の権能」を極大化すると「ファシズム」に行き着く。
「個人の自由」を極大化すると「アナーキー」に行き着く。
この極論の印象操作の中間のどこかに、着地点があるのかもしれない。

私が言いたいのは、「まず国家ありき」ではなく、「個人があって国家を作る」という考え方だ。それが市民革命以降形成されてきた「近代民主主義」の原理である。
生まれながらに自由な人間が、相互の利害を調整するために国家を作ったのだから、国家の本来的目的は、基本的人権の尊重にある。国家の権能はそのために使われるのであり、それ以上個人の領域に踏み込むことは制限されなければならない。それを超えると全体主義に陥るし、調整機能を発揮できなければ無政府状態に陥る。自由権の成立を「国家からの自由」と称し、「人権とは前国家的権利である」と称する所以である。

この前提から、次の具体的な争点が問われていく。

> 伴奏者は公務員ですが、伴奏は職務であり、その職務上思想良心の自由が一定の範囲で制限されるという事だけです。

貴殿の主張を整理すると、次のようになるだろうか。
@君が代指導は職務である(学習指導要領)、
A公務員は職務命令に拝命義務がある(地方公務員法)、
Bそれが思想良心に触れても、服従しなければならない(ここが問題)

これに対し、私は次のように考える。
@君が代強制は自由権の侵害である。(憲法)
A職務命令は上位法に整合しなければならない。(地方公務員法)
B間違った職務命令に従うことは、職務上の責任と良心にかけて出来ない。

公務員には「思想良心の自由」を認めない、なんて条文はさすがにないだろう。
(この掲示板に登場する推進派の面々は、公務員をまるで奴隷扱いするのが不満だ)。
問題はただ、「職務」と「自由」は、どちらが優先するのか、という法解釈の次元で争われることになる。

判断の物差しは、民主主義の原則によるなら、まず憲法の基本精神でなければならない。主権在民、平和主義、基本的人権の尊重に照らしてどうか、ということだ。
その場合、君が代の強制はその基本精神に照らしてどんな意味を持つのか。戦前の全体主義・軍国主義教育と同じ状況(問答無用の権力⇔卑屈な全面服従)になっているとしたら大問題だ。
もう一つは、帝国憲法にはなかった「思想良心の自由」が出来たことが、どんな意味を持つのかということだ。戦前と同じなら、「全体主義国家」になってしまう。そうなってはいけないという話だろう。

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ニート 投稿者:なまはげ  投稿日: 1月29日(土)22時27分27秒

あっと言う間の一週間。堂々めぐりに陥りそうな議論を何とか一歩でも前に進めるために今回は少し整理を試みることにした。

最初は、教師への起立と礼に反対する市民殿の書き込みに心が引っかかっるものがあったので、そこから始めたい。

様々な指摘の中で、耳慣れないニートを検索したら、次のような説明があった。

NEETとはNot in Employment, Education or Trainingの略で、「職に就いていず、学校機関に所属もしていず、そして就労に向けた具体的な動きをしていない」若者を指します。
労働政策研究・研修機構副統括研究員の小杉礼子先生はニートを四つ類型化しています。
Tヤンキー型 反社会的で享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ
Uひきこもり型 社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ
V立ちすくみ型 就職を前に考え込んでしまい、行き詰ってしまうタイプ
Wつまずき型 いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ

これは私自身、いささか身に覚えのある話である。高校から大学、大学から社会人の転換期に、当時の言葉でカルチャーショックを受け大いに戸惑った覚えがある。
例えば高校では、酒・タバコはもちろん、麻雀も喫茶店もひどいところでは男女交際も禁じられている。優等生(?)だった私は、不良のやることには一切手を染めずに大人になった。ところが、実社会では価値観が逆転するのだ。麻雀や酒は強い方が使える人材で、女の子と上手く付き合えないと業務にも支障が出る。また処世術も逆転する。与えられたカリキュラムを受け身でこなす高校と、自分から課題を見つけクリエイティブな解決能力を求められる大学の勉強は全く違った。実社会でも、目立たず同調しておけばいい教室の処世術は、「私がやります」「私にやらせて下さい」とやる気元気根気人気勇気を求められる企業では180°違っていた。学校で教えてくれないことを、みなどこで身につけたんだろう、不思議に思ったものだ。それから私は「建前」を○○正直に受け入れることには慎重になった。自慢できない話である。

ニートを生み出す構造的な欠陥が、今の学校教育には確かにある。
体系的な批判はすぐには出来ないが、思い当たることを一二あげるなら、生活に不可欠な税金、年金、医学などをきちんと学ぶ機会がない。消費税が導入されたその年に、自分自身の関心から2ヶ月くらいかけてその問題を授業で取り上げたことがある。税は取られるものではなく、納めるものである、という基本から、不公平税制の実態と拡大してきたいきさつ、消費税導入の意図と益税発生などの欠陥、諸外国との比較など、社会人になって納税する時に絶対に役に立つ知識と、税制の根本である「公平さ」についての見解が身に付くいい授業だったと自負もあり、生徒からの評判も良かった。ところが感想を書かせると「なぜ教科書を使わないのですか」というお決まりの意見がでる。私は胸を張って、その後も、時々の時事的テーマを掘り下げてやってきたのだが、最近は一段と「学習指導要領」から外れるなとか、「受験に役立つ」こと以外はやるなとか、圧力が強まって来てつまらないことおびただしい。「生きる力」を身につける教育と称して「総合学習」など上から押し付けられても、生徒も乗らないし教師もやる気が湧かない。また不登校やリストカットを繰り返す生徒との付き合いは、徹底した相手への理解と誠意それとちょっとした処世のコツの相談役しか方法はない。マニュアルもなければ、人に教えてもらうものでもない。ところがさっさと切り捨てる教師の方が評価が高かったりする。ものさしがそうなのだ。
こうして、実社会とは隔絶した受験教育をやって、ますます不適合ニートを生み出していく。

氏が列挙したことがらすべてが「学校教育」のせいであるとも、「学校教育」だけの責任とも思わないが、責任の大きな部分がそこにあることは否定しない。

> 授業参観で子供に起立と礼などするなと呼びかけるから覚悟しておけよ。

この呼びかけ、ぜひ実行されたい。「いやいやするなら」という枕詞を付け加えるなら、私も賛同しよう。

2005/3/30

aの追記 投稿者:在日地球人  投稿日: 2月 3日(木)01時35分59秒

5、くどいかもしれませんが、フランス革命以来の民主主義の流れは、より自由に より平等に より優しく(博愛)、という方向に向かっていく流れです。それはまた、自分と同じようにすべての人間を等しく個人として尊ぶ(=個人主義)、というスタンスの上に成立しています。
 一応念のために
(ところで、ウザイくん にしろ (・∀・)さん にしろ、天皇をはるかに尊い存在として民衆に仰がせるために考えだされた反民主的な儀式(日本の卒業式・入学式)の中で、日の御子である天皇の象徴と教えられた反民主的な旗を仰ぎ、そのような天皇がいつまでもわれわれの上に君臨してくださるようにという反民主的な歌を強制的に歌わされることに対して、本気で何の抵抗も感じないというのですか。だとしたら、あなた方の反骨心の正体って言うのはいったい何なんでしょう。まさか、自分が弱くて逆らえないから 逆らう勇気のある奴は許せない、というあのレベルと同じだなんてことは…)

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c、@@@さん 他の皆さんに 投稿者: 在日地球人 2月2日(水)22時

 @@@さん 他の皆さんには、なまはげさんが実に入念に書いて下さいましたので、これ以上書く必要もないだろうと思うのですが。愛子様の弟さん にはまた次回にでも。
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b、ウザイくん / 「教師への起立と礼に反対する市民 さん」へ 

よほどひどい教育を受け怨念をもたれているようですね。
下記のaにも「あなたが、何を批判し何の改善を迫るかというときに、上記の人類史の流れの中でのあなたの行為や発言の意味が、同時に問われるのです。」と書きましたが、どうか感情的な反発を克服して、冷静な意味ある批判者であり続けられることを願ってやみません。すでに冷静な発言をされるようになっておられる (・∀・)さん他の皆様にも、この流れの方向性とご自分のスタンスについてもう一度考えていただきたいと思います。

さらに、「教師への起立と礼に反対する市民さん」には、以下をすべて自民党にぶつけていただきたいと思います。私どもの大半は、その政策は必ずや以下のような結果を生むことを常に警告してまいりました。
・自殺増加
・メンヘル増加
・ニート増加
・ひきこもり増加 ・失業率増加  ・虐待死増加  ・学力低いやつ増加
・性感染症にかかる少女増加  ・中絶する少女増加 ・常識知らず増加
・少年犯罪増加

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a 民主主義と自由 投稿者: 在日地球人     投稿日: 2月 2日(水)21

1,近代民主主義における「自由」について、著名な研究者の一人は以下のように記しています。
「自分の倫理的弱さを知りつつ、あらゆるよきものを希求してやまない人間、つまり自分の良心に従って生きていこうとする真に自由な人間は、社会的にも、古い束縛に抗して良心の自由を要求し始める(中略)
それ(良心の自由)を基礎としてあらゆる社会的自由が次々に獲得されていく。これこそが真実の近代的な自由であり、そうした精神が歴史的生命を保っている限り、真実の自由主義は生き続けていくであろう。(中略)
(自分の利害しか眼中になく、他者の自由を侵害してはばからない「利己主義的自由」は)真の自由や自由主義とはおよそ正反対のものなのである。(中略)
(この決定的な違いがわからず、混同が起こると)自由や自由主義はやはりよくないことなのだと、保守的な人々が言い出し、古い秩序へ復帰しようとする危険が生まれてくる。」(『近代における自由と自由主義』大塚久雄)
 
2,またまたドイツの教育の例で恐縮なのですが、たとえば当然体罰は厳禁で、大声で怒鳴ったりすることも体罰に当たるとされているそうです。そこで、大学の教員養成課程では、発声方・話し方の修得が、かなり大きな比重を持たされていると言います。以前、ユーロの基準では私を含め日本人の大半が右翼に分類されてしまうだろう、と書いた所以の一例です。

3,「民主主義先進国であるはずのアメリカで、人種差別を禁じた公民権法が成立したのはなんと1964年(それまでは公の場であってさえ公然と人種差別がされていたのです)、それからわずかに40年ほどしかたっていないぐらい、実は人類にとって民主主義の歴史は底が浅いのです。」と前にも書きましたが、このように発展途上にあり、本質的に不断の努力の上に成り立つ未完のプロジェクトでもある民主主義、この人類史の流れの中で、どのようなスタンスに立ち 流れの方向を見失わずに参与してゆくかが、そのセンスが、常に個々人の日々の判断と営為の内に問われ続けているのです。

4,なまはげ氏も書いていますが、当然、今の日本の学校教育には、克服・改善さるべき欠陥が少なからずあります。あなたが、何を批判し何の改善を迫るかというときに、上記の人類史の流れの中でのあなたの行為や発言の意味が、同時に問われるのです。


愛子様の弟 さん(1月21日投稿)へ 2 投稿者:在日地球人 投稿日:1月27日(木)

その他については、失礼ながら、何の根拠もなく右翼マスコミの大本営発表に踊らされた結果のようなご発言ばかりでちょっと論争する気が起きないのですが(日本の経営者のモラルの低さは、むしろ先進国の中では際立っていますし、教育勅語で教育されたのは東条英機一人でもないですよ。めざしが好きで立派な人も他にいっぱいいるでしょう)、皇室についてだけでも少しだけ書いておきましょう。
 天皇と皇族合わせて22人のために使われる国費・血税は1年で168億円。そのうち内廷費といって、天皇夫妻と皇太子一家の計7人が自由に使える私的なお金だけでも2億5千万円(ちなみにこれは1988年度の予算、聖域なき改革といいながら、軍事費や宮廷費が削減された話はこれ以後も聞いたことがない!)。これは宮内庁や会計検査院が関知しない検査義務もなく、あまっても返さなくてもよい、税金の一切かからない手取額のお金です。質素に見える味噌醤油野菜や米でさえ、あなたがいくらお金を積んでも口にできないほど高価で貴重な有機農法・無公害の超特選安全食品ですよ。食肉や乳製品を含めてそれが宮内庁所管の特別な農場や牧場から無料で直送されています。所有資産にいたっては胸が悪くなるのでもう書きませんが、世界有数の贅沢放題の公務員ですよ。あなた本当にお人よしですね。
 
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愛子様の弟 さん(1月21日投稿)へ 1 投稿者:在日地球人  投稿日: 1月26日

1、戦後賠償については、相手の受け取り方は当然ながら「金だけ出せばいいという問題ではないでしょう」という事が、もっとも大きなドイツとの違いでしょうね。教育・教科書での扱い等、謝罪と反省の真心を前面に出しているドイツの態度ととにかく謝罪を避けようとする日本の態度とでは、いくらお金を使っても和解の成立の困難さはまるで違うでしょう。アジア各地にある日本軍の蛮行を伝える記念館には、たいていその罪を許すために憲法9条が紹介されているそうですが、ことほどさようにまず和解にはまず何より「真心からの謝罪ありき」でしょう。
2、中国の「当時の戦争時の罪も相当なものだと思います」、という根拠の薄い想像なさってはいけません。三笠宮でさえ婦女暴行のうわささえない「八路軍(中国共産党軍)は去勢しているのではないか」と疑ったというほどですからね。その道徳性の高さが彼らの最大の武器で、まるで漢の劉邦軍のように急速に支持を広げていったわけです。それから、『三光作戦』というのは、確かに中国による命名ですが、中国軍の行った作戦ではなく、あくまでも広範に繰り返された日本軍の蛮行への命名ですから、すりかえないようにしてください。(日露戦争時の日本軍も国際法をしっかり守って評判は悪くなかったようですが、第2次大戦での蛮行悪行はひどすぎます)あと、侵略やユダヤ人虐殺等のナチスの悪行を非難していたのは、日本ではなく日本の敵国である英米であり、日本はナチスを支持していた国の方ですからね(この点の反省も忘れないように)。
3、確かに、日の丸君が代の強制がいかに『良心の自由』と深く関わるかについての説明に丁寧さがかけていたようです。なまはげさんによる説明がありましたが、まだ納得いただけないなら、私のほうでもいずれしっかりと説明いたしますのでしばらくお待ちを、何しろ多忙で。
4、教育勅語については、あなたの現代語訳が余りに素敵な上にまるで当たり前のことの羅列で問題ないように感じますが、あのように対等の立場からの言葉でなく至上からの勅語ですからね。その点を見落とさないでください。
5、「人間が他の動物より上位に立っているのは言語と文字を持った事により、古今東西の他人の知識を共有でき、限りなくたくさんの人と協力できるようになったからであり、我々はどんな天才・偉人でもたくさんの先人・他人の努力の上に安穏と暮らしている事を想起して、感謝するほうが先でしょう。それが他の個人の権利を尊重にもなりますし」そのとおりです、むしろそれこそがすべての人間を等しく個人として尊重する個人主義にほかならないのですが。
6、教育学の上では、強制的な躾はもっとも低レベルな教育です。上意下達の時代遅れのトゥリー型の組織作りには有効ですが、自主的主体的に判断し動ける人間がどれほどいるかがカギになるリゾーム型の現代的未来的組織作り(軍隊組織でさえ最新のモデルはこれを目指してしています)の上では、常に命令待ちで単純な作業やマニュアルなしではどうにも動けない自衛隊型の人間ばかりを生み出しかねないその教育システムは、ゴミ箱に最も捨てたいものの一つでしょうね。いい加減にノモンハン事件を徹底的に反省しないまま、またぞろこのようなような判断しかできないなら、これまた亡国の道へ一途でしょうね。

2005/3/30

5,教育勅語フリーク 投稿者:なまはげ  投稿日: 1月22日(土)

確かこの方は、J.S.ミルやベンサムを共産主義者と誤解なさっていた方ではなかったかと思うが(間違っていたら失礼)、愛子様の弟の年齢なら致し方ないのかも知れないが、『教育勅語』についても随分とずれた解釈を振りまいておられるので、僭越ながら根本的な誤りを指摘させていただく。

徳目を12ヶに整理されたのは一見分かりやすいが、何かからの引用だろうか。
ただしこの12項目が、勅語のすべてでもなければ、核心でもない。
広めたいのがこの徳目ならば、勅語でなくとも、『学問のすすめ』でも『西国立志編』でも十分なものである。

『教育勅語』の核心は何か?と問われて、何と答える。次の中から選びなさい。
 A,「記紀神話」に基づく天皇と日本国の神聖化
 B,「儒教道徳」による上下の人間関係賛美
 C,西洋の「実用主義」に進んで学ぶ姿勢
正解は、もちろんAである。
でも、Bの要素もCの要素も、取り入れられ、三者渾然としているのが勅語の姿だ。

貴君があげた12項目のうち、5番目から11番目までは、C,にあたる。
これは市民社会の徳目で、『教育基本法』にも共通するものである。(嘘だと思うなら、たった10ヶ条の法律だから、自らの目で確かめられよ)。

勅語が戦後、廃止されたのは、主にAとBの要素故である。
貴君の1〜4は、「五倫」のうちの4つであることをご存知か。
『孟子』に典拠する「五倫」は、儒教道徳(=B)の定理として古くから定着し、儒学を官学としていた江戸時代には広く使われていたものである。
 「父子親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり」
(天皇のお言葉だから、孟子の言葉遣いそのままではないが、)4つの同じ人間関係を取り上げているのが分かるだろう。おや、でも、1つ欠けているな。何かな?「君臣関係」がないではないか。それはどこにいったのだろう。
それは貴君の引用に先立つ冒頭に方に、臣民は皇祖皇宗に「克く忠に」あれと、いわば別格で取り上げているのである。
(便宜上3つの段落に分ける時、貴君の引用は第2段落である)
大体「忠義」という言葉や概念が、『古事記』や『日本書紀』の日本神話には見られない、中国儒教からの輸入概念なのである。

文明開化を叫びつつ、古色蒼然たる儒教道徳を持ち出さざる得なかったところに明治政府の底の浅さを情けなく思う。まして、今にそれを持ちだすなど、正気の沙汰とは思えない。

貴君の12番目の元の文章は、一番物議をかもした次の一節である。
 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし。」
貴君の意訳でも意は伝わるが、もうちょっと正確に補うと、
臣下である国民は、皇室の繁栄のために命を惜しまず戦場へ赴けと、言っているのだ。
なぜ皇室のためなんですか?それは冒頭にあるように、日本を作ったのは天皇の祖先で、徳も天皇が作ったのだ。君たち臣下の民は、天皇の定めた忠孝の徳(ほんとは中国人が作ったんだけどね)を身につけることが立派な日本人になることだ。君たちの親もその祖先もみんなそうして天皇に尽くしてきた。君たちも天皇のために命を捧げるのは臣民として当然の努めなんだよ。というわけだ。

『教育勅語』は、戦後すぐ衆議院で「根本理念が主権在君並びに神話的国家観に基づいている」として、排除の決議が為されている。
貴君が、「主権在君」と「神話的国家観」を覆い隠して、市民道徳の部分を持ち出している点が、知らずか意図的か、卑怯なところだ。正味で「神話的国家」にしたいのなら、サメの脳みそシンキロウのようにはっきりそう言えば良いものを。もし本気でそう考えているのなら、とても付き合いきれない。君一人で醜の御楯になりなさい。私は何と言われようと御免だね。

今回はこれでお終い。またのご来店をお待ちしております。

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4,モヒカンを通して、再度、自由と身勝手 投稿者:なまはげ  投稿日: 1月22日(土)21時46分42秒

> おいらの考えは日本国憲法も地方の条例も学校の校則もキチンと守らなきゃならん。決まったルールは守らなきゃなw 気に入らないから守らないとかじゃなくてねwwwwwww

ほぉ、憲法を守ると明言された。この言葉私も全く同じ立場である。これで(・∀・)殿と同じ土俵に立てるわけだ。

ではまず、貴殿の質問は、下手な「印象操作」であることを暴露しておこう。

「職務命令」に従わない人→「あらゆる」決まりを守らない人。
→自分が守らないから生徒にも「あらゆる」決まりを守らせることが出来ない

どこかおかしくないかな。
私たちが君が代強制の「職務命令」以外に、どんな違法行為をしたのか、指摘してもらおう。それとも一つのルールに反対すれば、all無法者になるとでも。(誰も見てないから赤信号で横断したり、車の流れに乗って制限速度をオーパーして運転したり、大体訴訟を起こしている人すべてをアウトロー呼ばわりすることになってしまう。ついでに憲法否定発言の石原都知事もね。)これは、all-or-nothingのレッテル貼りでしかない。
君が代に反対するものは、あらゆるルールを破る恐ろしい人、と決めつけたいわけね。
根拠も示さず、「印象操作」だけで。

で、質問に答えさせていただくが、

> 校則ではモヒカンや刺青は禁止されている。
> 日本国憲法に保障された私の思想信条の自由、表現の自由を制限するつもりか!?

校則で禁止されている前提なら、「ダメ」以外に答はない。
タバコ、飲酒、カンニング、暴力、ついでに体罰も、みな「特別指導(処罰)」の対象だ。
もし校則で禁止されていなければ、指導は出来るが、処罰は出来なかろう。在日地球人さんが例示していたように、周りの受け止め方(好みの問題?)のレベルの問題となる。

次に、憲法を根拠に挙げているが、こんな類を一知半解と呼ぶのだろうか。
 「ブスをブスって言って何が悪い、表現の自由を認めないのか」
 「ボクは無免許だけど、人間は皆平等なんだから、車運転して何が悪いんだよ!」
 「ボクは確かに裏口入学だが、この世は金だという信念に文句があるか」
自由権と自分勝手の違いを、12/28の投稿でキチンと説明させていただいたが、やりたい放題と自由との勘違いが相変わらず横行している。一知半解の誤用・悪用である。憲法を楯にごねる生徒がいたら、良い機会だから、憲法の自由権とは、ego剥き出しの自然状態とは違うんだってことを、もう一度おさらいしてやろう。日本国憲法を守るとアナーキーな社会になるかのような妄想を振りまくのは止めた方がよい。自分の不勉強を公にさらすようなものでもあるし。

どんな答を期待されていたのかな?
もしも「憲法」と「校則」が矛盾してたらどうするかを問いたかったのなら、服装とか髪型ではなく、「思想信条による合格取り消し」みたいな、明確な例を出してもらった方が分かりやすかったろう。それなら、校則で決めたことでも、憲法に違反すれば無効である、ときっぱりとお答えすることが出来る。あらゆる校則が先験的に合憲であることはないし、校則のすべてが違憲であることもない。従って、憲法遵守義務に忠実であろうとする公務員たる教師が一切の校則を否定することはあり得ないし、そのような想定に基づく質問はばかばかしいとしか言いようがない。

せっかく憲法を守ると明言して下さったのだから、権利の「誤用・悪用」とはいかなるものであるかを、国連の定めた『世界人権宣言』から引用して差し上げよう。

all of the worldの人権水準を示したこの宣言の、最終条文第30条は次のような文言で締めくくられている。
第30条 〔権利と自由に対する破壊的活動〕
 この宣言のいかなる規定も、いずれかの国、集団又は個人に対して、この宣言に掲げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない。

2005/3/30


3,ピアノ裁判について 投稿者:なまはげ  投稿日: 1月22日(土)21時45分48秒

ピアノ裁判の判決は、正直言って取り上げにくい問題である。なぜなら私たちの主張が全面否定されているから。推進側がこれを正当性の根拠に持ち出すのは当たり前だ。もし最高裁でも覆らなければ、私たちも判決に従わなければならないだろう。

しかし私は、東京地裁の判決は間違っていると考えている。法律のプロではないが、ごく一般的な一市民の人権感覚からおかしいと思うのだ。

判決文では、「思想・良心の自由も、公共の福祉の見地から、公務員の職務の公共性に由来する内在的制約を受けるものと解するのが相当である」として、内心の自由を否定している。「思想良心の自由」は「公共の福祉」による制約を受けるというのが根拠だ。

市民感覚からしておかしいというのは、
「ピアノ伴奏したくない」というのは、明らかに思想良心に関わる問題で、裁判官も認めている。にも関わらず「受忍」してやれ、というのではもう戦争中の学校の状態の縮図ではないか。憲法第19条など無くした方が分かりやすいくらいだ。一人の人間、その人格、その思想の領域に、法律と言えども踏み込んではいけない、というのが「思想良心の自由」ではなかったのか。
また判決文は、心の中で反対して、口先だけ唄え(伴奏しろ)、と言っていることになるが、嫌々歌う「国歌」って何なのか、どんな意味があるって疑問に思ってしまう。お偉いさんは、子どもたちに心から歌わせたいのか、口先だけ歌わせたいのか、本当に心から歌わせたいのなら、罰則や押し付けなどかえって逆効果じゃないんだろうか。
それからスポーツですら強制しないのに、なぜ学校では強制されるのか。公教育は何よりも憲法や基本的人権を大切にし模範的に教育する場のはずなのに、憲法の精神を学ぶのとは逆のことをやってみせている。
そしてなぜそこまでして強制したいのか?結局は戦前みたいに「国家に個人を従属させたい」だけじゃないの?誰かはっきり正直に言ってみなよ。それを公務員の職務とか国際儀礼とかもっともらしい粉飾で本質から目をそらしている、そこもおかしい。

次に法律論で、裁判官に異を唱えるのもおこがましいことだが、最大の問題点は「公共の福祉」の解釈にあると考えている。1/2の「なまはげ」で、公共の福祉の正しい意味と歴史的形成過程を整理させていただいたが、山口幸雄裁判長の頭の中にはアナクロな「公共の福祉」=「お上の命令」の誤れる固定観念が巣くっているとしか考えられない。「公共の福祉」とは、特定個人の権利行使が大多数の弱者の権利侵害になるケースを防止するための概念であり、国家がそれを代弁してしまったら基本的人権のすべてが否定される全体主義国家に逆戻りしてしまうというのに。

「公共の福祉」が、両面に解釈できるような、こんなあいまいな状態で憲法に使われていていいのだろうか。実は、この点が不備であると、国連の人権委員会から、日本の人権の懸念事項の一つとして指摘されている。

第64回会期 人権委員会の最終見解 1998年11月19日 原文:英語
対象国:日本
          C.主な懸念事項及び勧告
8.委員会は、「公共の福祉」に基づき規約上の権利に付し得る制限に対する
 懸念を再度表明する。この概念は、曖昧、無制限で、規約上可能な範囲を超
 えた制限を可能とし得る。前回の見解に引き続いて、委員会は、再度、締約
 国に対し、国内法を規約に合致させるよう強く勧告する。

つまり、基本的人権を制限できる根拠であるだけに、厳密な適用範囲を定めなければならないのに、日本には憲法上もその他の法律上も「公共の福祉」の定義がない。このままだと、無制限に人権を制約する(=前近代国家)ことになると勧告をしているわけだ。こんな近代国家は他にないし、国際人権規約や子どもの権利条約など国際条約では考えられないことなのである。
従って、私は東京地裁判決は「公共の福祉」概念を誤用していると考えている。
もし最高裁で覆らなければ、ガリレイ宗教裁判並みの暗黒社会だ。日本の民主主義も息の根を止める。




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2,君が代に代わる国歌 投稿者:なまはげ  投稿日: 1月22日(土)21時42分31秒

ちょっと寄り道をして、なぜ国歌は君が代でなければいけないのかを考えてみたい。

若者に君が代強制について意見を求めると、「そんな面倒なことなら、国歌を変えればいいじゃない」と、軽い答が返ってくることが多い。この掲示板でも、その話題があった。
この提案には、君が代強制に反対する者はほとんど賛成するだろう。推進する側の中にも、誰もが素直に斉唱するならそれでもいい、と賛成する者も少なからずいるのではないか。それとも、絶対に君が代でなければダメだとする者が、かなりの数いるのだろうか。

仮に新しい国歌が決まったとしよう。「ふるさと」か「さくらさくら」か「世界にただ一つの花」か桑田佳祐に頼むかユーミンに頼むか、いろいろ好みが分かれるが国民投票でもやって「ふるさと」に決まったとしよう。
問題は解決するだろうか。

今も卒業式では「蛍の光」や「校歌」も歌うが、それに抵抗はない。それでも、照れくさがったり、単純な若者っぽい反抗心から歌わない者も必ずいる。だけどそこまで目くじらは立てない。集団に帰属意識や一体感を持てないまま卒業式を迎える可哀想な生徒たちには、暖かく抱擁し自然に一体感を持てるように仕向けるのであって、口をこじ開けてまで歌わそうと彼らを追いつめても一層傷つけることにしかならない。強制ではなく、本人が心から大きな声で歌いたくなるような学校の卒業式が良い卒業式に違いない。
さて国歌「ふるさと」ではどうなるか。やはり突っ張って歌わない者もいるのは同じだし、「ふるさと」は嫌いだという者もいるだろう。違うのは「思想・信条」を理由として歌わない者はいない(か激減する)ことだ。それでも「国歌」なのだから、口をこじ開けてでも歌わせるべきだとする強硬意見もあるかもしれないが、「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川」はいかにも強制にはそぐわない。自ずから誰が考えても、「国歌」の強制という場面は、「ふるさと」では想定しづらい。大多数は心を込めてわが「ふるさと」を歌い、歌えない者は不本意だった自らの学校生活を悔恨しつつ、各々の想いを胸に学窓を巣立っていくに違いない。
このようにして、たぶん、今の問題は、きれいに解消することになるのだと思う。

そこで改めて、今「君が代」がなぜ、どこが問題なのか、振り返ってみると、
第一に、抵抗感を持つ者の大多数が、「思想良心の自由」をその理由にしていることが「ふるさと」との大きな違いだ。
その主張は耳にたこが出来るくらい繰り返されているし、役人も裁判官も多くの国民も知らないはずがない。君が代が西洋のナショナリズムのマネをして「国歌扱い」になったのは明治の初期であり、帝国憲法の制定と並んで絶対天皇制のシンボルとして使われてきた歴史を持つ。国内的には国民の思想・良心・学問の自由など基本的人権を弾圧する軍国主義の、対外的には侵略戦争と皇民化政策のシンボルとして。加えてその歌詞は、「天皇が治める御代」をたたえる内容であり国民主権にそぐわないことは、子どもにも分かる。
反対の理由はこんなに明白なのに、「思想良心」からの問いかけをあえて無視するように、職務専念義務違反のような外形的事項で裁こうとするのはどういうわけだ。これが「君が代」が国歌である第一の問題点だ。「ふるさと」では起こりえない。

第二に、「君が代」は、強制が似合う歌らしい。
儀式は厳粛に、一糸乱れず画一的に行うべきである。(日本人の儀式好きは儒教の影響であることは別の機会に論じたい)。「君が代」を心を込めて歌うことは「愛国心」の証しであり、「天皇」への敬意の表現である。たった1分足らずの歌でも、歌わない者は「非愛国者」であり「天皇」を冒涜する者であると決めつける。つまり「ふるさと」にはない神聖さがある。だから異端は許されない。そう考える者は、「君が代」以外の国歌は考えられなくなるのだろう。これは一つのイデオロギーであり、強制を伴うものなのである。そうでないなら、どんな歌でも良いはずだろう。

いろいろ粉飾されても、争点はただ一つ「天皇賛美」である。反対者が頑強に譲れないのは、民主国家日本の存亡に関わる重大事ととらえているからだ。ここを踏まえて「ピアノ裁判」を論じよう。

2005/3/30

<転載>
 今日(3/29)の朝日の夕刊に都教委による君が代不起立処分の予定がでていましたが、お読みになりましたか。最後の文章で、「・・・懲戒処分の中で最も軽い『戒告』処分となる」云々のところで頭に来て、電話しました。
 「懲戒処分の中で最も軽い」という表現をつけることによって、都教委のやっている人権侵害のひどさがまるで、「最も軽い」性質のもの、という印象を与える記事になっており、こんな表現を付け加える必要はどこにあるのか、理解できない、今まで朝日で見たこともないようなひどい表現で、他のどの新聞も(産経は私の頭の中では新聞の中に入っていない)用いていない、と抗議しました。
 ところが、対応に出た男性は、それは事実ではないのか、新聞は事実を伝えることを旨としている、と言い張り、まるで、裁判官のように私の考えは「自分の主張と違うから批判しているにすぎない」と、とても横柄な態度だったので、怒鳴りあいになりました。最後には、相手も少し折れ、私もおれて、多少冷静になりましたが、読者の感想を担当デスクや記者に伝えるのが、「広報」の仕事だろう、あなたの判断に関心はないのだ、とずいぶん言いました。
 「訓告」は懲戒処分ではないのでしょうか。「注意」や「厳重注意」の法的位置づけはどうなのでしょうか。

2005/3/30

陳述書(2)人事部職員課長2  \増田の部屋
(続)
4 増田教諭の本件第二処分に関わる三都議に対する説明の経緯について
三都議に説明した経緯については、概ね以下のとおりです。
土屋議員に対して】

 平成11年4月から本件第二処分までの間に、土屋議員の求めに応じて、都議会の会派会議室等において、3,4回位説明しました。「事実関係をどの程度把握しているのか、足立区教育委員会からの報告はあったのか、いつ処分するのか」等について質問され、それに対して「足立区教育委員会から報告があったこと、事情聴敢など事実関係の把握に努め、検討していること」等について説明しました。
 本件第二処分から平成12年7月までの間に、土屋議員の求めに応じて、都議会の会派会議室等において2回位説明しました。「第二処分の内容、長期研修中の服務の状況、今後の対応」等について質問され、それに対して「処分の内容、理由や処分後の状況」等について説明しました。
 都議会議員として、議会での質問等のために、現状を把握する必要がある、自分が文教委員として行った質問に対して、教育長や人事部長が「今後必要に応じて対処する」等と議会答弁しているが、その後の状況をフォローする必要がある、等のことで質問されましたので、これに応じる必要があると考えて答えたものです。
古賀議員に対して】
 平成11年4月から平成12年7月までの間、都議会の開会前に、他の案件について説明に行った際に、本件についても2,3回程度、質問されることがあり、事実関係の把握、処分の内容、処分理由、処分後の状況等について説明しました。特に、平成11年7月に古賀議員が都議会文教委員会で質問した際には、その前に、「事実関係をどの程度把握しているのか、どう受け止めているのか、今後の対応はどうか」等について質問され、「足立区教育委員会から報告があったこと、事情聴取など事実関係の把握に努めているヒと」等について説明しました。
田代議員に対して】
 平成11年4月から平成12年7月までの間、都議会の開会前に、他の案件について説明に行った際に、本件についても「現状がどうなっているか」等の質問をされることがあり、それに対して1,2回程度、処分の内容、理由や処分後の状況等について説明しました。

5 三都議への情報提供時の個人情報保護に関する認識等について
 本件に関して、私が三都議に説明した内容に、個人の情報が含まれていることは認識していました。
 しかし、都議会文教委員又は前文教委員からの質問であったこと、特に、土屋議員からは、都議会議員として、議会での質問等のために、現状を把握する必要がある、自分が文教委員として行った質問に対して、教育長や人事部長が「今後必要に応じて対処する」等と議会答弁しているが、その後の状況をフォローする必要がある、等のことで質問されましたので、これに応じる必要があると考え、質問に答え、「服務事故報告書」「発令通知書」「処分説明書」(以下、「本件三文書」という。)の内容等についても、説明したものです。
 また、古賀議員、田代議員からは、都議会議員として、議会での質問等のために、現状を把握する必要があるとのことで質問されましたので、これに応じる必要があると考えて質問に答え、本件三文書の内容等についても説明したものです。
 本件の増田教諭に関する情報は、第一処分後から新聞で報道されていました。また、都議会で再三取り上げられただけでなく、区議会や国会でも取り上げられていました。さらに、実名入りのビラが広く配布されているなど、ほとんど公知の事実といってよい状況にありましたので、都議会文教委員又は前文教委員の議会活動に関しての質問に対して、特に秘すべきものと考えませんでした。
 三都議からは前述のような理由で説明を求められたものであり、それに答えて説明した情報は、当然にその範囲で使用されるものと信じていました。

6 個人情報の範囲について
 私は、公務員の処分に関する情報については、一律に個人のプライバシーとして保護の対象になるとは考えていません。現に、近時、一定の基準で公務員の非行とそれに対する処分については、公表されるようになっています。本件増田教諭の第二処分についても、新聞報道や本人等のビラ・議会等での問題の取り上げ方から見て、プライバシーの侵害になるような情報ではないと考えています。
 私の都議会議員への説明についても、正当な職務の範囲内であると考えております。
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2005/3/30

陳述書(1)人事部職員課長1  \増田の部屋
これは、「増田対都教委(個人情報漏洩)裁判」における、被告(都教委)の「陳述書」である。当時の担当者4人の陳述を、順を追って紹介してみよう。
最初は、処分に関わる部署で、三都議に個人情報の提供を行った、当時の人事部職員課長の陳述を2回に分けて、掲載する。


                  陳述書
平成17年2月22目   当時人事部職員課長TN

1 はじめに
 私は、(略)
 平成11年4月から平成12年7月の東京都退職までの間、私は、人事部職員課長として、東京都公立学校の教職員の任免、異動、懲戒、服務等の教職員人事に関する事務を担当しました。
 人事部職員課長であった当時、私は、増田都子教諭(以下「増田教諭」という。)の本件第二処分に関わる情報について所管する立場にあり、また、増田教諭の懲戒処分に関わることについて、古賀議員、田代議員及び土屋議員(以下「三都議」という。)の求めに応じて説明していました、
 以下、本件訴訟に関連し、増田教諭の本件第二処分に関する文書の取扱い、増田教諭に関する三都議への説明の経緯、増田教諭の本件第二処分に関する情報の三都議への提供、等について陳述します。

2 増田教諭の本件第一処分に関する件について
(1)第一処分の内容について
 平成10年11月に、東京都教育委員会は、増田教諭を減給10分の1、1か月の懲戒処分にしました。
 これは、増田教諭が杜会科の授業で保護者を中傷するプリントを配ったことが地方公務員法第33条の信用失墜行為にあたり、校長の職務命令に従わなかったことが地方公務員法第32条の職務命令に従う義務に違反するとして行われたものです。
 このことについては、処分後に職員課の職員から聞き、職員課長になった時に前任者から事務の引継ぎを受け知りました。また、新聞報道や都議会文教委員会の質疑等でも知っておりました。
(2)予算担当課長としての対応等について
 当時、議会との連絡調整の事務を担当する予算担当課長として、都議会文教委員会に出て、傍聴しておりましたので、平成10年9月の都議会文教委員会において、土屋議員が「増田教諭の授業や教材に問題があり、校長の指導にも従わず、生徒が転校に追い込まれる結果になったが、これに対して教育庁はどう考えるのか、どういう処分になるのか。」等の質疑があり、これに対し人事部長等が「足立区教育委員会からの報告書を精査し、事情聴取をするなど調査して、服務上の間題が明らかになれぱ、厳正に対応してまいりたい。」等と答弁し、土屋議員が「非常に重要な間題なので、今後の経過について、文教委員会に報告いただきたい。」等と求めたのを聞いております。
 平成10年11月の都議会文教委員会において、古賀議員から「処分までに時間がかかりすぎたのではないか、この処分は何に対して行われたのか。」等の質問があり、人事部長が処分までの経過と処分理由等について答えていました。古賀議員からは「この事件の本質を踏まえて、厳正に、校長や区教育委員会等にも指導するよう求める。」等の発言がありました。
 また、田代議員からも「研修をし直す、授業を公開する等、何らかの生徒の人権を守ることが考えられないか。」等の質間があり、人事部長が「今後、厳しく指導していくことにより対応していきたい。」等と答えたのを聞いております。
 現在でももちろんそうですが、当時、議員が都議会で質疑する場合に、その件に関して、事前に担当部署に説明を求めたり、資料を要求したりすることが一般的に行われていましたが、この時にも所管課長等が説明をしていました。予算担当課長として、私が同席したこともありました。
 平成10年11月の処分発令後に、サンケイ新聞が増田教諭の処分について実名で報道したこと、その後も実名報道されていたことは、知っていました。

3 増田教諭の本件第二処分への職員課長としての関与と第二処分に関わる文書の取扱いについて
(1)職員課長の職務内容と処分手続き等について

 職員課の所管事務は、都内公立学校(大学を除く)の教員の採用、退職、異動、昇任、処分、等の事務であり、職員課長は、これらの事務を統括する責任者の立場にありました。
 教員の処分については、区立学校の場合には、職員課では、以下のような手続きで事務を処理していました。
 まず、区教育委員会から報告を受け、服務事故報告書を収受します。その後、本人及び校長から事情の聴取を行い、処分原案を作成、それを懲戒分限審査委員会にはかって、処分案を決定します。その処分案を教育委員会に付議して、処分を決定し、発令通知書・処分説明書の作成及び交付を行っていました。
(2)本件第二処分について
 平成11年7月に、東京都教育委員会は、増田教諭を減給10分の1、一ヶ月の懲戒処分にしました。
 これは、増田教諭が足立区立第十六中学校の教員という立場を利用して、学校名、所在地、氏名を記した封筒で、保護者全員に、元保護者と争訟中の事件に関して自己の一方的な主張を記載した文書を郵送したこと、その際、PTA会員名簿を利用し、一部の文書は学校の印刷機を無断で使用して印刷したことについて、これらのことは、教育公務員としての自覚を欠いて、その職の信用を傷つけるとともに職全体の不名誉となるもので、地方公務員法第33条の信用失墜行為にあたるとして行われたものです。
 処分発令時には、発令通知書及び処分説明書を読み上げて、発令内容や処分理由等を本人に伝えましたが、それに合わせて、増田教諭は抗議文のようなものを大声で読み上げていました。私の記憶では発令通知書を本人に直接交付したかどうかは定かでありません。
 処分後には、増田教諭は、処分が平和教育への攻撃である等とした支援団体の抗議のビラを街頭で配布したり、各地の集会に出て、不当処分であるとして抗議する活動を行っていたと闘いております。
(3)当時の教員処分に関わる文書の取扱いについて
 平成11年4月に、足立区教育委員会から本件第二処分に係わる「服務事故報告書」を受け取りました。発生日時・場所、当事者の氏名、発生の状況及び確認した事実、足立区教育委員会の見解等が記載された文書です。
 東京都教育委員会で当該処分の決定がなされた後、平成11年7月に、その内容を記載した「発令通知書」及び処分の理由と不服申し立てについて記載した「処分説明書」を、職員課で起案し決裁を得て作成しました。
(4)「服務事故報告書」と「発令通知書」及び「処分説明書」の写しは、職員課で管理・保管していました。
(続)

2005/3/30

一神教 投稿者:なまはげ  投稿日: 2月 5日(土)22時00分31秒

今回は愛子様のお相手をして、日本の「神道」について少しお勉強をしておこう。

世界の宗教は、「一神教」と「多神教」に分類される。ところで、
数ある世界の宗教の中で、「一神教」はいくつあるか、挙げてごらん。

答は3つしかない。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教だ。
世界中見渡して、歴史をさかのぼって、この中東の砂漠地帯で生まれた3兄弟宗教以外に一神教があったら、教えていただきたい。

そしてそれ以外は、ギリシア神話もローマ神話もゲルマン神話もインド神話も仏教(正確には無神教という学者もいる)も中国神話も朝鮮神話も、あまたある世界中の宗教はすべて「多神教」なのである。

> それを可能とするのが日本が神道という多神教を基調とする国だからです。

そんな言い方をするのなら、西洋も東洋も世界中みな、日本と同じ繁栄をしていなければならなくなるはずだが。

しかも、日本近代に形成された「国家神道」と名付けられた「神道」は、本当に多神教といえるだろうか。
日本の(一番広い使い方での)「神道」が多神教であることは確かに「常識」である。
だが、よーく見ると、明治以前の、「古神道」「神社神道」などは、確かに多神教の特徴を持っているが、明治期に薩長土肥の藩閥政府により導入された「国家神道」は、ちょっと違うのではないか。

一神教の特徴は、万物の創造主を全知全能で、人間と断絶した超越神とするところにある。
多神教の特徴は、自然現象の人格化や人間生活の投影によってさまざまな個性や形姿を付与された神々の存在にある。

大日本帝国憲法の草案を書いた伊藤博文が、プロシアに憲法を学びに行ったことはよく知られているが、彼がそこで学んだのは@「君主大権」の仕組みと、それを支えるA一神教「キリスト教道徳」であった。
(彼が渡航したわずか36年後に、ドイツ皇帝は第一次大戦の敗戦の責任を取って退位し、ドイツは君主国を止めて共和国に変身してしまうのだが。ドイツが20世紀初頭まで君主国だったことは意外と忘れられている。)
当時既に市民革命を終えていた、英米仏の憲法ではなく、プロシア帝国憲法をベースに作られたことで、「明治憲法」は、絶対君主制の特徴を持つと同時に、すぐれて一神教的憲法となるのだ。

「天皇は神聖にして侵すべからず」とは、何と一神教的表現であろうか。
そして『教育勅語』が発布されるのは、憲法発布の翌年である。

明治に創作された「国家神道」における天皇のイメージは、日本古来の伝統である「多神教」的イメージではなく、西洋宗教の一神教的神に祭り上げられてしまった。

一神教における神とは、全知全能・無謬で、人間一般を超越した存在であった。それ故に、神の命令は絶対であり、問答無用であり、謹んで服すだけのものなのである。
唯一神アッラーを信仰するイスラムの民を思い浮かべられよ。

アッラーの教えを守る闘いはジハード(聖戦)であり、ジハードに死すものは必ず天国〔靖国神社〕に生まれ変わることが出来る。「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)!」〔天皇陛下万歳!〕と叫んで、自爆テロに散るイスラムの若者の姿は神風特攻隊の大和益荒男と何とそっくりであることか。
これこそ典型的な一神教の姿なのである。


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予備校からの警鐘 投稿者:なまはげ  投稿日: 2月 5日(土)21時59分30秒

どうやら@@@殿との議論は、一回お休みのようなので、
ちょっと目先を変えて、最初に受験と教育について考えてみよう。

奇しくも、2つの予備校が足並みを揃えるように、高校教育の現状に警鐘を鳴らす文章を発表しており、なかなか興味深いのでその一端をご紹介しておく。

まず駿台予備校の広報誌から、
【高校と予備校の役割逆転?】(SUNDAI FRONTIER 2004.12特別号)
 駿台では、教委や高校の「予備校の教え方」を学んでみたいという要望に応えて、「教育研究セミナー」を主催し、これまで8500人の参加者を集めてきたそうだが、そこで聞かれるのは、意外な反応だ。

 教育研究セミナーで、講師が教員に伝えているのは、
  「大学入試のためだけではなく、将来にわたって役に立つ基礎力を教える」
  「受験テクニックではなく、教科のおもしろさも伝える」
 という、極めてオーソドックスなもの。
 予備校といえば「受験テクニックを効率よく教授する場」という先入観を持つ教員が多い中、教育研究セミナーに参加し、実態を知って驚く参加者は多い。
 ここで改めて考え直していただきたい。教育という人間の根源的な部分に関わる営みに、即効薬的な処方箋はないということをだ。
 小手先のテクニックや、目新しさ、奇抜さ、に心奪われることなく、あらためて教育の原点を見つめ直す必要が問われている。

続いて、河合塾の元進学情報センター所長の著作から、
【第二次ベビーブームが転換期】河合塾(丹羽健夫『予備校が教育を救う』文春新書)
 予備校のお家芸である知識の記憶、ドリル、正解発見のテクニック、こういったものを生徒は高校で散々やらさせてきているのだ。だからその繰り返しをしていたのでは、生徒は逃げてしまうと講師たちは言うのだ。
 「じゃあ、あなた方は教室で生徒に対して何を教えようとしているのだ」
 「俺は生徒たちが高校でやり残してきたことを教える」
 「やりのこしてきたことって、どんなことですか」
 「いいですか、生徒たちは答の出し方は教えてもらってきているが、なんでこの問題が出されるかとか、なんでこうすれば正解が出るのかとか、なんでこの教科を学ぶのかとか、本質というか教科の根っ子の部分を考える教育をほとんど受けてきておらん。だから教科の根っ子のところ、本質の部分を教える。それしかない。」

…1980年代後半の話だそうだ。そのあたりから、予備校は少しずつ変わってきた。
 これまで、高校と予備校の間には不文律の分業があった。高校では教科の本質を教える。入試の正解を出すテクニックは予備校で教える。ところが、いつの間にかそれが逆転していると、予備校側が声を大にして訴えているのだ。この現状をどう考えればよいのか。文科省?教委?高校?教師?保護者?誰が高校を予備校化しているのだ。
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言論の自由 投稿者:なまはげ  投稿日: 1月29日(土)22時34分54秒

私には読解力が乏しいようだが、(・∀・)殿も人の意見が耳に入らないタイプらしい。

既に回答は終わっているが、もう一度復習してみるか。

> 日本では思想信条の自由は保障されてるからね。どんな思想でも語るのはokでしょ?

これは、貴殿の考えか? それとも私がそう言ったといいたいのか?
「どんな」思想でも語るのはok!?www あまりにも単純な「言論の自由」論!www

もう一度、前回の例出す。これが「言論の自由」か?
 「ブスをブスって言って何が悪い、表現の自由を認めないのか」
 「ボクは無免許だけど、人間は皆平等なんだから、車運転して何が悪いんだよ!」
 「ボクは確かに裏口入学だが、この世は金だという信念に文句があるか」
こういうのを身勝手という。まさか、憲法がこれらの表現を保障しているなんて言わないだろうな。「どんな思想でも語るのはok」と思いこんでいるとしたら、貴殿の大好きなアナーキーそのものだ。これでお分かりいただけるだろうか。

まず前提が「印象操作」だから、後の質問はこじつけ、詭弁で、ほとんど無意味だが。

> 時と場所さえわきまえてればねwwww

お得意の決まり文句だが、「どんな思想でも語る」こと自体が、自由ではなく身勝手なんだから、「時と場所をわきまえ」ようが何しようが、ダメなものはダメ、一方良いものは、気に入らない反対意見でも表明する自由が権利なのである。「時と場所」を言論の条件とするとは、何か法的根拠からおっしゃっているのか、教えていただきたいものである。

> 「モヒカン君」にも「力が支配する荒廃した世界」を望むという立派な思想信条があるのですよ♪どんなに奇異に見えても一応保障されますよね?w

「モヒカン君」の奇異な思想は、残念ながら、一応も二応も保障されない。はっきり申し上げておく。

再掲■世界人権宣言第30条 〔権利と自由に対する破壊的活動〕
 この宣言のいかなる規定も、いずれかの国、集団又は個人に対して、この宣言に掲げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない。

わざわざ「モヒカン」の思想的背景を「破壊的思想」に設定されているが、それは、他人権利や社会全体を侵害するものだから、許されてはならないものだ。間違った権利と自由の行使を戒める、世界標準の規定の意味が、ご理解いただけないか。これを本気で「立派な思想信条」と考えてるのなら、失礼ながら小学生レベルのおつむと言わざるを得ない。世界標準の規定に照らせばそうなるし、どう考えても奇異としか思えない。もっとも「モヒカン」が破壊思想とは関係のないただのファッションだったら、その場合の回答は前回の通りである。

> 先生達も卒業式中や授業中に自分の思想信条を主張せずに、勤務時間外にトサカを上げろと。www

誰か授業中に「自分の(プライベートな?)」思想信条を教授したか。「憲法の学習」はどの教科・教科外活動も含めてあらゆる場面で為されるべきものであり、勤務時間外にやって何の意味がある。学校の中で行われてこそ意味がある。
卒業式での不服従を非難するのは、ソクラテスに弁明は自室ででやれというようなもの、隠れキリシタンに踏み絵をふんでから信仰しろというようなもの、「親を銃殺せよ」という職務命令を実行してからその無効性を主張せよというようなもの、そして内村鑑三に儀式の中で教育勅語に敬礼しなかったのは教員にあるまじき行為と非難して退職に追い込んだ井上哲次郎と同レベルの話であり、帝国憲法下の日本と変わらないことになってしまう。日本が新憲法を制定したことをお忘れになったか。貴殿のトサカは上げ下げできる便利なものらしいが、そんなカメレオンみたいなトサカはそもそも持ち合わせていない。

2005/3/29

Nさんからの呼びかけ  X日の丸・君が代関連ニュース
この卒業式で、市民ビラ撒きに対して逮捕までもがありました。警察のビラ撒きに対する警備の体制は異常なものがありました。このため弁護団の監視活動が非常に重要になってきていました。この弁護団活動に対して、警察の著しい妨害行動がありました。全て録音されています。
このため、弁護団が次の行動を行います。ご参加していただければたすかります。

3月31日(木)13:30〜  竹台高校(森弁護士)の件で、荒川署に抗議申入れ
        15:00〜  記者会見(弁護士会館1006B)


皆さんの参加をご期待します

★竹台高校でのビラ撒き行動

 1 到着時

 私は8時50分ころ到着いたしました。荒川署の警察官だと名乗る警官が10人くらいいました(あとで1名増えました)。警察官は写真を撮るもの1名、ビデオ撮影者1名、やたら怒鳴る者3名ほど、統括者らしき者、見守っていて時々怒鳴るもの、メモ取りをしている者3名など各自役割分担しており、組織だっていることがよく分かりました。
 私が到着して、「監視弁護団」の腕章をつけ、監視を始めるやいなや、警察官(四角く目鼻立ちのはっきりした大きな顔で、妨害部隊隊長って感じの人でした。以下「隊長」といいます)がよってきて「監視弁護団ってなんだよ」と言ってきました。
 また、メモ用紙を片手にやたらメモをとる背の低い警察官がやはり近づいてきました(以下「メモ官」といいます)。そして隊長が「先生がきたら校長が話すことになってるから」といって私と一緒に校門内に入ろうとしました。
 「あなた達なんですか。どういう立場できてるんですか。」というと「荒川の警察官だ」といっていました。警察に誘導されて校門内に入るのはイヤでしたので、私は彼らをついてこさせず、ともかく校門内に入り、そこにたっていた学校関係者と思われる人に名乗って「校長先生が私と話をするとおっしゃっていると聞いたのですが」といいました。背後から警察官が「勝手に入っていいのかよ」などと言っているのが聞こえました。
 校長がくるまでの間、警察官がメモを取ったり、とおりの向こうでは写真を撮ったりしているので、「何のメモをとっているんですか」「写真をとるのはプライバシー侵害だからやめてください」と注意をしました。警察官は「なんだよ、関係ねえよ」などと、非常に乱暴な対応でした。
 また、私に対して、「関係者か」とやたら確認しようとしていました。

 2 校長のとんでもない要請

 しばらくすると校長が出てきて、私と校門でお話しました。私は違う場所で、と思いましたが、校門内正門中央で話をしました。時間は2,3分だろうと思います。このときの異常性は、私が校長と対面しているときに、両脇を警察官(隊長とメモ官)が囲み、二人ともやたらメモをとっていたことです。
 その二人だけでなく、後ろにはビデオを撮っている警察官(ビデオ官といいます)までいました。私は、「あなた方は捜査しているのか、それは任意捜査か、やめてください」と言いましたが、「捜査じゃないよ、立ち会ってるだけだよ、聞いてるだけだよ」などといって全くとりあいませんでした。
 校長は「卒業生と保護者にビラをまくのはやめてください」といいました「なぜですか。」と聞いたのですが「理由はありません。お願いしているんです。やめてください。」「表現の自由は憲法で保障されていますから、そういうわけにはまいりませんね。どうしてですか。」としつこく聞きましたが、「理由はありません。やめてください。分かりましたね」と繰り返すだけです。ちょうどICレコーダーを持っていましたので、「録音させていただきますね」といい、録音を始めました。以下、再現。
(校長)「テープに取らないでくださいといいましたね」
(私)「今ビラを撒かないでくれといいましたね。理由はなんですか。」
(校長)「申し上げましたから。わかりましたね。それで終わりですから。よろしいですね」
(私)「あ、いかれるんですか」(校長去る)
ビデオを撮っている者に対して
(私)「今何をとってらっしゃるの?ビデオをとってらっしゃるの?」
(ビデオ官)「いいじゃねえかよー。」
(私)「あなたはどなたですか。あなたはどういう立場の方ですか。なぜ勝手にビデ    オをとってらっしゃるの」
(ビデオ官)「状況だから」
(私)「荒川署の方ですね」
(ビデオ官)「そうそう。校長先生とあなたが・・」
(といいつつにげていく)

 3 校門外でのビラ配り

 その後、しばらく静かになりましたが、威圧行為は続きました。7時30分からビラを配っている人のお話では、警察は7時45分ころやってきて、私が到着するまで、かなり大声でのひどい威嚇行為をしていた、弁護士か到着してからだいぶ静かになったということでした。
 ただ、私が見た範囲でも、警察官のビラ配りに対する妨害行為は「弾圧」と評価してもいいほどのひどいものでした。以下私の目撃事例を紹介します。
 ・ビラまきをしている人に対して「許可もってますか」という。(私が「何の許可ですか。ビラ配りに許可は要りませんよ」といったら、引っ込みました。)
 ・とにかくメモや写真をとって威嚇する。
 ・肘が触れ合程近い位置に立つ。
 ・少し離れてじっとにらみつけ目をそらさず威嚇する。
 ・自転車で通る人にビラを配ると「危険だ、やめなさい」「無理に押し付けるんじゃないですよ」という。わたしが「無理にはしていないでしょう。あの方受け取ろうと手を伸ばしてらしたじゃないですか」というと「あなた弁護士先生なら分かるでしょ。今のいいの、いいのね、ハイ。すごいね。ビラをくばっていいということをいいました」などといいながらメモをとる。

 弁護士の監視行動に対する妨害もありました。
・わたしに「監視弁護団って何だ。威圧してんのか」などと話しかけてくる。わたしが「威圧はしていません。監視をしています。」というと
「何の監視よ」
「違法な弾圧が行われないように監視しています。」
(笑いながら)「弾圧なんかしてねえよ。 弾圧してんのあんたらじゃん。通行の邪魔したりさ。」
「交通の妨害はしていませんよ。」
「道路上でビラ配っていますよ、いいんですか」
「何が悪いんですか、根拠条文を示してください」と言ってもそれには答えない。
「捜査じゃないよ、治安の維持だもん」という。このときはわたしの周りを3人ほどの警察官が取り囲み、矢継ぎ早に上記のようなことを言ってくるのです。そして
「何が監視弁護団だ、(腕章に)何 だこれ」「監視してんのか」と威圧する。
そしてわたしがしている腕章を指で下からはじく。
 そしてわたしに対し、「監視してるなら違法なビラまきを注意しなさいよ、弁護士なら」などという。わたしが「違法な行為は何もない。わたしが監視しているのは違法な言論弾圧であってビラまきではない」というと、
「えー、笑っちゃうよ。」「あなたは警察に敵対しているわけ?そういう意味じゃない」
 「わたしはあなたがたが適法な行為をするのは心から歓迎しますよ。適法に職務をまっとうされるのは歓迎します。あなたがたを妨害するつもりはありません。違法なことがなされると困るから来てるだけです。」等と言う問答がありました。

 4 副校長の要請

 しばらくして副校長がやってきて「正門前でまかれますとね、卒業式が混乱しますので正門前は外して下さい」といってきました。わたしは「敷地じゃありませんよね」といいましたが、「でも校門前ですから」と言っておりました。またさらに「卒業生や保護者にビラを配らないでください」と言ってきました。理由をきくと、「理由はありません。お願いですから。」というだけでした。
 そして、この問答の間も回りを警官が取り囲み、メモをとったり録音テープをまわしたりしているのです。わたしが「なんですか」と警察にいうと「聞いているだけです。聞いてるだけですから」というだけでやめないのでした。(略)

5 その後も続く妨害行為

 ・ビラを撒く人に肌が触れるほど接近し、前から録音テープを差し出す。
 わたしが「何してるんですか」というと「やめてくださいっていってんの」というので、「それはビラまき行為に対する妨害ですね」というと、それには答えず、「学校の前でビラまき、9時30分」などと言いながらメモをとる。わたしがビラまきをしていた人に「違法行為じゃありませんから心配しないで大丈夫ですよ」と励ますと、「(弁護士)先生が違法ではないと」「幇助か」などとつぶやいて威嚇する。さらに、「法律では違法でなくてもさ、校門前でまくなっていってんだから」と言っていました。また「理屈じゃないだろう」「拡声器持ってきてやるぞ、俺は」という警察官もいました。(本当に警察官なのか、疑う発言です)
 ・「危ないじゃないか、今の!!」と怒鳴って威嚇。
 ・卒業式なんだから静かにしてくれというと、「常識的な問題だよ。卒業式なんてかん  けえねんんだよ」と暴言をいう。
 ・普通のビラまきに対して「だめだめ通れないでしょう!」と威嚇して妨害。
 ・「お前ら中核だろ」と挑発する。
 ・校門前で撒くと、「撒くなと学校に言われたでしょう」と威嚇して妨害。
 ・ビラを撒いている人がビラを渡そうとすると、そこに触れるほど接近する。わたしが「何ですか」というと、「何でもないですよ」などと言っていました。
 ・わたしに何の前触れもなく近づいてきて「違法行為を奨励する弁護士」などと言ってくる。「とったから。いつでもあれだぞ、できるぞ」と威嚇。「違法行為の奨励などしておりません」「挑発に乗るつもりはありません」と言い続けました。
 ・「弁護士なんかかんけえねえんだよ」「卒業式なんかかんけえねえんだよ」「表現の   自由なんてかんけえねえんだよ」などという「かんけえねえ発言」が繰り返しありました。
 ・卒業式だから静かにというと「何が卒業式だよ、自分たちがおかしいんだろ、常識的に、こんなビラを配って。当然国旗を掲揚するでしょう。」と驚くべきことをいうので、「あなたも警察の方ですか」と聞くと「そうですよ」と言っていました。

 6 その他

 とにかくたくさんの妨害行為がありすぎて、書ききることができません。全く許しがたい行為です。しかしすべてICレコーダーに取りました。(なおビラまきの方々も冷静に対応してらっしゃいました。むしろ、「卒業式だから小声で」となだめてらっしゃいました。)逮捕者がでなくて本当によかったです。
 妨害にもかかわらず、ビラの受け取りはとてもよかったです。また、通った卒業生と保護者の数は少なく、もしかすると、別の場所から入るよう指導していたのかもしれません。
 あと、警察は、学校に呼ばれて来ているといっていました。


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