2005/8/23

九段中社会科研究部  \増田の部屋
何やら難しげな部活動の実態が判明。どうやら、増田さんが行きたいところに生徒に連れて行ってもらう(?)趣味と実益を兼ねた部活であるらしい。夏休みも師弟楽しくしっかり活動している様子をレポート。

 ついでながら、皆様に近況報告!
 昨日18日は、九段中社会科研究部・・・名前はすごいんですが、実態は社会見学クラブで、実は増田サンの行きたいところに生徒を道連れ!? にしているもの・・・の男子生徒4人を連れて(と言うか、「連れられて」と言うか)以前から一度行ってみたかった日原鍾乳洞に行って来ました。生徒が「先生、ついでに、渓流でマス釣りをしましょう」というので、入漁料3000円(ニジマス10匹まで)+釣り竿・エサで合計4400円を支払い、提案者の男の子はベンツを乗り回しているお金持ちの息子様なので、出してもらい、私は他の庶民の生徒の分を払ってあげて、合計マス20匹、一人4匹食べられる!? 計算でした。ところが「とらぬニジマスの皮算用」!? で、3時間かかっても一匹も釣れないのでした。で、「氷川国際マス釣り場」の人に文句を言ったら「そりゃ腕が悪かったんでしょう。30匹釣り上げる人もいるんですよ。」・・・確かに、直ぐ隣のオバサンは、よく釣り上げてました。でも、一人一匹、つまり5匹を養魚場から引き上げてバケツに入れてくれたので、一匹110円の焼き代550円を増田センセが払って、みんなで食べました。さっきまでピンピン泳いでいた魚は美味しかったです。でも考えてみたら一匹あたり、ナンと1800円!? のニジマスになったのでした。
 さて、日原鍾乳洞の方は、気温9℃! 中は、本当に変化に富み、鍾乳石、石筍、何万年とかけて自然が育んだ造化の妙! 高い石天井の所も有れば、非常に低くて頭をぶつけてしまった生徒もいましたが、おもしろくって、生徒も大満足! 奥多摩は緑の海の中にあり、良いところですね。渓流の透き通った緑と木々の緑、気温もぐっと涼しく爽やかな風が吹き、心が洗われました。イワタバコの花もたくさん咲いていて、初めて見ました。買ったばかりのデジカメで撮ったので、添付ファイルの仕方を習得しましたら(いつになるか?)、皆様に披露しますね!
 それで、本日19日は、休養のために年休を取りました。これからの闘いに備えて、シッカリ、体力を養います! 今後とも、ご協力、よろしく!

2005/8/23

処分理由?  \増田の部屋
「右翼保護者・マスコミ・都教委一体となった平和学習介入事件」で、処分理由と目されているのが、「盧武鉉大統領への手紙」だ。少々長いが、その全文をご紹介しよう。

「3・1ノ・ムヒョン演説」を読んで、大統領宛の手紙を書こうという、生徒に自分で考えさせ表現させる実践的な授業で、先生自身が書いた手紙も示したものだ。先生自身の平和へかける思いと、教育への熱意が伝わってくる真摯な手紙である。


<ノ・ムヒョン大統領様>
                       東京都都千代田区立九段中学校教諭
                                   増田都子

 私は、上記の中学校で社会科(地理・歴史・政治・経済)を教えている教員です。4月からは3年生(15歳)の生徒を教えていますが、3月半ば、この生徒たちが2年生の時に近現代史、第一次世界大戦から第二次世界大戦における植民地支配と侵略戦争の時代を教えました。貴国においても知られているとは思いますが、現在の日本の教育においては、近現代史に多くの時間を割くことはできず、植民地支配と侵略戦争に対する教科書の記述も非常に曖昧なものが多くなっています。ご存知の通り、民族差別・女性差別・人権蹂躙の極致ともう言うべき日本軍性奴隷(いわゆる「従軍慰安婦」)についても、2年前の歴史教科書にはありましたが、現在の生徒達の歴史教科書からは消えている事実があります。しかし、私は、できる限り事実を呈示する努力をし、生徒達に考える時間を与えてきたつもりでおります。
 私は、貴大統領が本年3月1日に行われた演説に大きな感銘を受けました。それで、同封の「紙上討論X」のNO.15〜16に載せました貴大統領の「3・1演説」を読ませ、生徒たちに「ノ・ムヒョン大統領への手紙」あるいは「ノ・ムヒョン大統領の3・1演説を読んで」というテーマを与えて、意見をまとめさせました。時間不足のため、考えを深めていくことがまだまだできず、貴国の方々の感情を害してしまいそうな意見もあるやに思われますが、率直な、現代の日本の中学生の意見として送らせていただくことにしました。貴大統領には、とても御多忙で、お目を通していただくわけにはいかないだろうとは思いますが・・・
 さて、私は一昨年の夏に初めて貴国に観光旅行に行きました。日本と貴国の間に横たわる過去の不幸な関係を思い、少し後ろめたい思いがあり、なかなか思い切れなかったのですが、行って良かったと思いました。人々が皆親切で暖かく接してくださったからです。生えている草花も、日本海側にある私の故郷のものとほとんど同じで、何となしに懐かしさや既視感を覚え、私の遠い御先祖は貴半島から渡来した人々かもしれないと思いました。
 それで、また、本年の3月28日から31日まで、貴国に行ってきました。独立記念館の見学と38度線のJSA・板門店の見学が目的でした。実は独島(竹島)問題があるため、日本人とわかって敵意を剥き出しにされたらどうしようか、と心配もしたのですが、それは全くの杞憂で、貴国の方々は、やっぱり、どこでもとても親切で、安心致しました。
 独立記念館の見学では、やはり、いろいろ考えさせられました。特に第3展示館は、その名もズバリ『日帝侵略館』です。「古代から我が国の文化を伝授してきた日本は、19世紀中頃から西欧の文物を取り入れて帝国主義化しながら武力を先立たせ我が国を侵略した・・・この展示館では、日帝の韓国侵略過程と植民地統治期間中、我が民族に加えた過酷な弾圧と各種の過酷な経済収奪、そして民族を根こそぎ無くそうとした民族抹殺の悪巧みと、それに関連する資料が展示されている」・・・日本人としては見学しながら心が痛くなりますが、しかし、韓国を訪れる日本人は、全て、一度はここに来るべきだと思います。情けないことではありますが、04年10月26日の我が東京都議会文教委員会において、古賀俊昭という都議会議員(自民党)は言っています。「(我が国の)侵略戦争云々というのは、私は、全く当たらないと思います。じゃ、日本は一体どこを、いつ侵略したのかという、どこを、いつ、どの国を侵略したかということを具体的に一度聞いてみたいというふうに思います。(カッコ内は増田)」(文教委員会議事録)などと、国際的には恥を晒すことでしかない歴史認識を得々として嬉々として披露しているのが我が日本国の首都の議会なのです。横山洋吉教育長以下、東京都教育委員会は、これに対し何の反論もしませんでした。というより、大いに共鳴しているのでしょう。侵略の正当化教科書として歴史偽造で有名な扶桑社の歴史教科書を「生徒たちに我が国に対する愛国心を持たせる一番良い教科書」などと公言して恥じない人たちですから。古賀都議その他の歴史偽造主義者達が「日本は一体どこを、いつ侵略したのかという、どこを、いつ、どの国を侵略したかということを具体的に一度聞いてみたい」なら、「一度」韓国独立記念館や南京大虐殺記念館に行ってみたらいいのです。「具体」例が、「聞いて」みるまでもなく眼前に展開しています。「歴史を反省しない国」と他国の人から言われることは屈辱ではありますが、残念ながら「そんなことはありません」と言い切れぬ現実があり・・・
 「拷問体験の場」「日帝による愛国志士の拷問場面」など本当にリアルで、貴国の先生に引率されて見学していた小学生の一団は顔をしかめ、おびえていました。こうした「日帝による侵略」の歴史事実について学習して成長したアジアの人達と、中学生時代に扶桑社の歴史偽造教科書で育った『愛国心ある』日本人達とが、本当に『グローバル社会』『国際化社会』の中で、共により良い未来を創っていけるものなのか、共に有意義な交際ができていくようになるものなのか、常識で分かりそうなものなのですけど・・・
 ところで、一つ疑問に感じたことを述べさせていただきます。「日帝侵略館 展示趣旨」として「ここに展示されている内容は、文献の考証と関係者の証言など、歴史的な真実に立脚して制作されました。過去の不幸な歴史の加害者を許すことはできますが、決して忘れてはならないことです。日帝の独占期の歴史を展示することは、過去の苦痛と、その対象を記憶しようというのではなく、共に発展的な未来をめざそうという意思の表れなのです」とありました。この写真をご参照ください。(略)
 後段にあります「過去の苦痛と、その対象を記憶しようというのではなく」のところが、少し分かりにくいのです。これをそのまま日本語でとりますと、この展示は「過去の苦痛と、その対象を記憶しようというのではな」い、ということになり、「展示」の「趣旨」や前段に書かれている「決して忘れてはならないこと」という趣旨を没却してしまうことになるのではないでしょうか。ここは『「過去の苦痛と、その対象を記憶しようと」することによって』恨みをかきたてようというのではなく、これを教訓として学び、このような加害と被害の関係を二度と繰り返すことなく「共に発展的な未来をめざそうという意思の表れなのです」となるべきところなのではないか、と思います。
 英語の「to learn lessonns」のところが日本語として訳出されていないため、日本語としてはスッと意味が通じなくなっているのではないでしょうか。ハングルは全く分かりませんので、ハングルでは、そういう趣旨が書かれているかと思うのですが、日本人のために、ここの日本語訳文は、もう少し考えていただいたほうが良いのではないかと思います。
 それから、ツアー・ガイドの韓国人女性は、日本語がたいへんお上手で明るい方でしたが、私と友人が「他のツアー客と別行動を取って独立記念館に行きたいのでソウル駅からの行き方を教えてください」と頼んだ時「車で一度行っただけだから行き方は知りません」ということでした。それで、ホテルのフロントの若いボーイさんに行き方を教えてもらおうとしたのですが、彼も、よく知りませんでした。でも、彼はたいへん親切で「タクシーの運転手さん宛」「駅の切符売場の人宛」「駅を降りてからのタクシーの運転手さん宛」とハングルで何枚もメモを書いてくれました。「これを出して聞いてください」と。それで、私と友人は、そのメモをそれぞれの場所で見せて、やっと独立記念館に行きつくことができたのです。たぶん、通常、日本から貴国へのツアー客の中には、独立記念館へ行こうという日本人はめったにいないのでしょう。しかし、中には私たちのような者もいるかもしれませんので、もう少し、貴国の観光関係で働いている方々には「独立記念館への行き方」を周知していただいた方がいいのではないかと思われます。
 以上、御気分を害されるようなことも書いてしまったかもしれませんが、貴大統領には、ご健康にすごされ、今後ますますご活躍されますよう、お祈り致します。日本の国民(生徒たちも含めまして)は、いろいろ意見が違いましても、両国の間に「真の和解」が成し遂げられ「共に発展的な未来」を築いていける日が早く訪れることを心から願う点では一致していると思います。私は日本人なのですが、右翼的な考え方の日本人から「反日偏向教師」などと攻撃されたりしています。しかし、いかに自国には都合の悪いことであっても、歴史事実を、しっかりと子どもたちに教えるというのは教師の当り前の責務ですから、怯むつもりはありません。一教員にすぎない私ですが、歴史事実を生徒達にきちんと教える中で、貴国の方々と「共に発展的な未来」を築いていけるよう、微力ながらも努力していきたいと考えております。

                            2005年 4月19日

2005/8/22

日記7/26〜31  [藤田の部屋
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2005年7月26日(火曜日)     60年目の夏
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           地獄とは この世にありて 蝉の鳴く

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2005年7月27日(水曜日)     ヒロシマ
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           六人に 末期の水を 飲ませけり

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2005年7月28日(木曜日)     決断
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 広島から10キロほど離れた口田周辺にビラが投下された。市内向けが風に流されてきたのであろう。
 「広島はマッチ箱ぐらいの爆弾で全滅する」とあった。
 そのビラのせいか、当日、市内への勤労奉仕を回避し百余名の生徒の命を救った教員がいた。当時にあっては驚くべき決断である。

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2005年7月29日(金曜日)     氏名
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 広島の爆心地から400Mほどの距離に、中国憲兵隊司令部がある。そこには23人のアメリカ兵がいた。全滅したと思われる。名前は分っているのだろうか。

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2005年7月30日(土曜日)     残酷
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 何故に8時15分なのか。
 諏訪澄氏(74歳)が言う。学校や官公庁の朝礼が屋外で行われるという時間だという。
 何故に8月6日と9日なのか。
 ソ連の対日参戦に先駆けたのであろう。残酷な話だ。

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2005年7月31日(日曜日)     花
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 1970年頃、銀座のあしべで美輪あきひろがシャンソンを歌っていた。長崎の出身だということを昨日知った。
 8月の10日、次から次とやってくる人々に「末期の水」を飲ませたと言う。豪華な部屋に花に囲まれての73歳、地獄を見てきたのだ。

2005/8/21

右翼保護者・マスコミ・都教委一体となった平和学習介入事件  \増田の部屋
九段中増田都子教諭への「第二の授業干渉問題」は、下記のような展開をとげています。

 7月上旬、平泉澄(皇国史観論者)を信奉する保護者から校長宛質問の手紙
→7/15、保護者・増田教諭・校長の話し合いが持たれる(幾つかの誤解を解き、継続中)
→7/25、都教委から「教材照会」(校長に職務命令を出させる内容)
→8/5、『産経新聞』朝刊に、都教委から提出を求められた「教材」が無断引用掲載される。
→8/5、区教委による「事情聴取」(伊沢都議立ち会いで応ずる)
→8/5、校長が「服務事故報告」を提出。
→8/16、都教委から「事情聴取」呼び出し(生徒指導優先で欠席)
→8/25、「定例教育委員会」で、一方的処分決定のおそれ。

さて、一体どんな理由で処分が発令されようとしているのか、転送されてきたメールを紹介しますので、ご覧下さい。

> 今後も状況をお知らせください。(いま現在は、まだ都教委が何を理由に新たな処分をしようとしていることすらわからないんですよね?)

 「都教委が何を理由に新たな処分をしようとしている」かは、都教委が「処分」を発表しないと、分からないのです!?
 千代田区教委・酒井指導課長に確認したところでは、「処分理由は『ただ一つ』しかなかった」ということです。即ち『生徒に対し、都議・古賀の個人名を挙げて『歴史偽造主義者』と誹謗中傷した』事、これが地公法『信用失墜行為に当たる』という以外にありません。
 つまり、都教委がグダグダと『指導要領に違反してないか調べろ』とか『授業で紙上討論するのに、生徒や保護者の許可を得たか調べろ』とか『千代田区文書管理規則に違反してないか』調べろとか『アジア侵略と植民地支配を教えるのに、へんなビデオを使ってないか』調べろとか、千代田区教委に『照会』したけれど・・・これらについては、千代田区教委が調べても、どうやっても『服務違反』に仕立て上げられなかった、ってことなんです。
 そして、やっと『唯一』見つけた、上記も、実は、まーーったく成立するモノではないんですけどね。でも『メンツ』上、何が何でも、厚顔無恥な東京都教育破壊委員会は、『増田処分』を強行することでしょう。
 25日の定例教育委員会で決定し、都教委がプレス発表して初めて被処分対象者に『処分内容』が分かることになります。詳しい『処分理由』は「○月○日、処分辞令を出してやるから都庁に来いよ」と都教委がエッラそうに言って、それで、しょうがないので、もらいに行ってやって、それを見て初めて「ちゃんとした処分理由が分かる」!? というスケジュールなんです。
 これも「郵送しろよ」と言ってやることもできるんですけど、でも、これは、行ってやって、都教委の連中が「処分辞令」を読みげるのと同時に、こちらもを彼らを上回る大音量で「抗議文」を読み上げてやる、というパフォーマンスをした方が楽しい!? かな、って思ってます。
 というわけなので、その日時は、是非、皆さん、ご都合を付けて都庁に支援参加していただけないでしょうか?
 最近のメールによると『ゼッケン着用者』の一人の方への「事情聴取が25日の午後に入った」とのことですから、25日午前の定例教育委員会では『ゼッケン着用者への処分』は決定できないはずです。25日の定例教育委員会で処分が決定するとしたら、増田処分だけかもしれません。「ゼッケン着用者」に対しては臨時の教育委員会を開いて処分を決定するつもりかもしれませんね。


◆件の古賀発言とは、下記のようなもの。

「日本の国旗というもの、今までいろいろ議論が尽くされてきていますので、嫌いな人はどうしようもないので、私はいいと思うんですけれども、侵略戦争云々というのは、私は、全く当たらないと思います。じゃ、日本は一体どこを、いつ侵略したのかという。どこを、いつ、どの国を侵略したかということを具体的に一度聞いてみたいというふうに思います。これをこれからもちゃんと日本の国旗のすばらしさ、それから、国際的な儀礼の場で、間違いなく国際人として恥ずかしくないような対応ができるような最低の儀礼は学校で身につけさせるというのは当たり前ですね。」

  全文を読みたい方は、下記にアップ済みです。
  「無法者達の珍問答、その3」2004/10/26都議会

さて、奇しくも、8・15「敗戦」記念日に、「植民地支配」と「侵略」を認める、小泉首相談話が発表されました。古賀都議は、どんな思いでこのメッセージを聞いたでしょうか。

◆8・15首相談話

「先の大戦では、300万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。
 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。…
 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります。
 平成17年8月15日
 内閣総理大臣 小泉純一郎」


 古賀都議の、「侵略」戦争を否定する発言は、政府&自民党の公式見解と矛盾することがはっきりしました。これが「歴史を偽造」する発言でなくて何でしょうか。
 都議会という公式の場での発言ですから、弁明ないし撤回も公式の場でなされるべきでしょう。そうでなければ、増田教諭及び生徒たち、そして「平和」を希求する都民・国民、さらに国際社会が納得しないでしょう。
 この発言を引用したことをもって「誹謗中傷」とするなら、都教委はその歴史認識の非常識さを国際社会の中にさらすことになってしまう。これはコップの中の嵐で済まされる問題ではなく、「事実」の真偽をめぐる、教基法違反を超えた、国際問題なのである。

2005/8/20

戦争は終わっていない  
もの言えぬ時代告発

 ドラム缶から立ちのぼる熱気が、かげろうのようにゆらめいていた。
 一九四五(昭和二十)年八月十五日、日本が負けたあの日の昼下がり。いったいどちらが正しかったのか。大阪・八尾警察署の小さな中庭で、二十四歳の井形正寿はゆらいでいた。
 井形は新米の特高(特別高等警察)警官だった。「反戦」などを口にする"非国民"を取り締まり、国民こぞって戦争へと駆り立てるのが「トツコウ」。
 井形は初め在日朝鮮人を受け持った。近くの高校へ出向き、優秀すぎる在日生徒がいたら成績を落とす。子どもの足をひっぱるのは愉快ではないが「命令」に逆らえるはずもない。
 「書類をぜんぶ焼け」。あの日、玉音放送を耳にした後で、こう命じられた。背の小さいその上司は日ごろ「共産主義者や朝鮮人なら殺してもいい」と公言する、ごくふつうの特高警官だった。
 火をたいたドラム缶へ資料を放り込んでいたとき、ふいに手を止めてしまった。目に入ったのは「不穏文書」と呼んでいた反戦投書を撮影したマル秘写真。
 「私は日本が戦争に負けてもよいから、一日も早く戦争がすめばよいと思います」「天皇があるために国民がどれだけ迷惑か」
 ぞくり、とした。手にしているのは「死すら覚悟してものを言った抵抗の証し」。追う側と追われた側。正しかったのはどっちか。気がつくとポケットヘねじこんでいた。初めての命令違反。心臓が波打った。
 戦後、井形は投書の主を捜し続けた。特高の記録書からようやく一人の住所をつかんだとき、あの日から三十年余がすぎていた。
 その人は獄死していた。ぴんとはねた口ひげが良く似合う頑固そうな男だった。かえってきた遺体には無数のあざがあったという。
 妻は「国賊」のそしりを恐れ、近所や親類にも夫の獄死を隠していた。「どうかそっとしておいてください」と言い、拳をぎゅっと握った。思い知った。「戦争は終わっていない」
 特高が消え、公職追放された後、井形は大阪市内でヤミ屋や不動産業を営み口を糊(のり)してきた。公安調査庁へ再就職の誘いもあったが、「お上」の仕事にもう魅力は感じなかった。
 今では、語り部として自由にものが言えなかった時代のことを訴えている。「死ぬまでものを言い続けること」。それが井形にとって購罪(しょくざい)だ。
   ◇   ◇
 ガンガンガンー。昨年二月末の早朝。高田幸美(32)は激しくドアをたたく音にたたき起こされた。「立川警察の者だ」。ええっ。一瞬、脳みそが凍った。
 この日、高田は同じ市民グループの仲間二人とともに逮捕された。容疑は「住居侵入」。一カ月半ほど前、東京都立川市で防衛庁官舎のポストに自衛隊のイラク派兵反対のビラを入れたことが"罪"だとされた。
 なんで…。宅配ピザのチラシと同じようにビラを配っただけ。「お上」に盾突いたからなのか。
 塀の向こうで七十五日間。連日の取り調べでは「寄生虫」「二重人格のしたたか女」と、とがった言葉で心をぶん殴られる。ひたすら目の前のネクタイの柄だけを見つめて耐えた。
 判決は十二月。「無罪」。
 意見を表明する行為はピザのチラシより優越されるという「まとも」な中身だったが、検察は控訴した。
 高田は障害者ヘルパーとして働きながら、ミュージシャンとして全国を飛び回っている。
 ドレッドヘアがトレードマーク。恋とか愛と同じように、反戦も歌う。ビラまきも歌も、思ったことを「表現したい」だけ。それが罪なら、この世はどうにも生きづらい。
 この夏も老いた元警官は語り、ドレッドヘアのミュージシャンは歌う。
 自由にものが言える。戦争なんてしない。日本はそんな国だと信じていたいから。 =文中敬称略

特別高等警察
 治安維持法の遂行を担い、反体制の言論や活動を取り締まった警察組織。民間団体の調べによると、同法に違反したとして拷問や虐待を受け、小説家の小林多喜二ら約200人が死亡。病気なども含めると獄死者は約1700人に上る。1945年10月、治安維持法廃止とともに解体され、井形ら職員はほとんどが公職追放されたが、後に警察機構や公安調査庁へ復職したケースもある。


〔東京新聞2005/8/18「60年目の自由」3〕

2005/8/19

増田の教育と闘い  \増田の部屋
東京都学校ユニオン<増田の教育と闘い>
【前史】
*足立十二中
1989年 昭和天皇死去時の大フィーバー!? &長崎市長銃撃事件に、昭和天皇の戦争責任について、きちんと教えることを決意(いずれ、権力との激突あるを覚悟)
    (時々、「保護者」が足立区教委に「苦情」を述べたらしいが『組織的』展開はできなかった)
1996年 8月、藤岡ら「自由主義史観研究会」が中学歴史教科書の「慰安婦記述」削除運動開始、9月、「日本を守る国民会議」が合流、12月、「新しい歴史教科書をつくる会」結成(草の根の「歴史・社会の真実、否定」運動!? 始まる)
1997年  3月、卒業式において卒業生が「国歌斉唱」時に着席
     鈴木明・区議(民主)が区議会で「増田の偏向教育の結果」と問題化
【平和教育への介入と弾圧】
*足立十六中
    4月、足立十六中に10年満期(現在は一応、8年)の強制異動
    6月、米人と結婚している一母親が、中2・地理「沖縄県」の米軍基地授業を「反米偏向教育」と騒ぎ出す。増田には全く秘密に区教委・校長・一部PTA役員らが連携、同僚教員らは、一母親におもねる
    7月、上記連携を全く知らなかった増田は、生徒から「あの電話連絡網は何?」という質問があったため、一母親が電話口で騒いでいるものと思い込んでいるので、それを前提に紙上討論プリントで彼女の非常識さを説明。
    9月、一母親は娘に増田の社会科授業のみボイコットをさせる
    10月、上記権力に唆された一母親は、増田を「名誉毀損」と提訴。増田の代理人弁護士・内田雅俊(=人権派!?)は、事態の本質を見抜けず、増田に対して、この母親に屈服するよう「弁護」活動をする。
    12月、一母親の娘は友人関係(部活)のトラブルが最終的引き金となり不登校になる。
1998年3月、森川金寿弁護士に代理人を引き受けていただき闘いの基礎ができる
    4月、一母親の娘、転校。増田が屈服しないため、母親はアセリ出す
    8月、産経新聞による増田バッシング・キャンペーンが始まる、土屋(板橋・民主、97年都議選で最下位選出)がシャシャリ出て都議会において「増田を処分せよ」と凄まじいバッシングを始める
     都教委は土屋の要求のまま、増田個人情報を土屋に提供し始める(明瞭な物的証拠は99年〜00年分のみ、3悪都議共著の増田攻撃のための俗悪本に掲載)
   ★産経・右翼都議・都教委三位一体の平和・民主教育破壊攻撃の嚆矢としての足立十六中事件
    11月、第一処分(減給、一ヶ月 1/10)「一保護者を誹謗中傷」!? と。
     所属組合である全教・都教組足立支部執行委員会は、増田処分歓迎キャンペーン、『しんぶん 赤旗』が、その主張を肯定して報道
     江本某(民主)、参院文教科学委員会において、産経記事を鵜呑みし、増田・バッシングに荷担
    12月、法廷で、一母親の「自分は疑問を申し立てただけで、増田の教育を『偏向』などと批判などしていない」という証言が虚言であることを、教頭メモという物的証拠を挙げて暴露する
1999年3月、上記法廷で明らかになったことを中心に「足立十六中『名誉毀損』捏造事件」について説明する手紙を、PTA名簿を使い全保護者に郵送。土屋と産経が「増田を処分せよ」と騒ぎ出す
    7月、第二処分(減給、一ヶ月 1/10)「PTA名簿の不正使用」!? と。
    8月、国旗・国歌法が成立
【長期研修との闘い・裁判闘争開始】
    9月、イヤガラセ長期懲罰研修(目黒の都立教育研究所)の強制、始まる。以後、2年半、約5000時間に及ぶも屈服せず!
    (土屋・産経「増田をクビにしろ」とキャンペーン)
    11月、根津公子さんの『日の君、考えよう』教育への攻撃が始まる
    12月、東京地裁、一母親を勝訴させる(翌年、高裁で逆転勝訴)
2000年 2月、東京都学校ユニオン、結成(全労協、加盟)
      これ以前、日教組=東京教組加入を申し込むも「『入れるな』という指示」が出ていたらしい!? アイムへの加入を考えるも、E氏が「増田も譲歩しなければ都教委と交渉できない」というので、独自組合結成を決意。増田には疚しいところ無く、譲歩しなければならないところは何も無い!)
    4月、国立二小事件(産経によるバッシング・キャンペーン)、右翼街宣車。土屋も出ばっていく!? 都議会で攻撃。8月に処分(文書訓告)
    7月土屋が北千住駅頭で増田を誹謗中傷する街宣(名誉毀損で提訴。03年5月30日、最高裁上告不受理で、不十分ながら増田の勝訴確定)、代理人に和久田修弁護士。
    9月、最高裁、一母親の上告不受理で、「足立十六中『名誉毀損』捏造事件」は極めて不十分ながら、増田の逆転勝訴、確定
2001年 6月、都議選で第一次TKP(土屋蹴っ飛ばせプロジェクト)、参加者少数
    7月、都研修センター(都立教育研究所、改組)が、組合に対する都教委情報提供に増田が勘違いして「職免」で出たことに対し、休暇の事後申請するも認めず、「賃金カット」のイヤガラセを行う(都人事委員会に提訴。02年5月、「都教委による不当行為」と認定され、賃金返還される)
【現職復帰・裁判闘争】
*九段中
2002年 4月、懲罰研修から解放され、現職復帰、九段中に異動
       12月、都議「土屋・田代・古賀」共著俗悪本による「名誉毀損」裁判、提訴(係属中)
2003年 7月、七生養護学校性教育事件(ジェンダー・フリー教育への攻撃が、土屋の都議会質問により始まる)
    10月土屋と都教委掛け合いで、『日の君』強制、徹底のための10・23通達が出る(周年行事から処分、始まる)
    11月、「都教委による個人情報漏洩」糾弾裁判、提訴(裁判長の職権による和解勧告を都教委は05年6月拒否し、係属中)
2004年3月・4月、10・23通達に拠る『日の君、不起立者』の大量処分
     都立板橋高校事件(『国歌』不起立生徒に来賓の土屋が怒鳴り付けるも生徒は起立せず、メンツ丸つぶれ。八つ当たりに、式前『サンデー毎日』の『日の君』強制批判記事コピーを来賓保護者に配り、式前に式場を退去させられた藤田勝久元教諭を、威力業務妨害罪で起訴するよう都教委と都議会で掛け合う)12月、在宅起訴
    5月、「都教委と闘う全ての人の」を謳い文句とする『都教委包囲首都圏ネットワーク』が結成されたので、参加
    7月、『日の君』不起立者に対して、初めての数時間の懲罰研修(増田に対する、チョー長期懲罰研修強制には平気だった人々!?)
    9月、都議会において、伊沢けい子都議(市民の党)が、増田個人情報漏洩問題で都教委を追及、横山洋吉教育長「都議に自由裁量で個人情報を提供するのは合法」と居直り答弁。生活文化局長も居直る。石原知事は答弁に立たず。
2005年2月、『都教委包囲首都圏ネットワーク』集会、カンパは、『日の君』不起立関係者のみで山分け!? 「都教委と闘う全ての人の」でなく「不起立」関係者のみの「ネットワーク」に変身!? 大部分の被処分者は「自分」及び「自分の組織」を考えることだけで精一杯(だから、ここまで追い込まれたんだろ?)。
    6月 都議選に向け、第二次TKP発動。カンパ・参加者増大!するも、『日の君』処分関係者で参加したのは若干名のみ!? 教職員組合は東京都学校ユニオンのみ!(「10・23通達を先導したのは土屋だ」ということを知らないはずはないだろ?)
    ◎都議会文教委員会で、「土屋公献、鎌田慧、斉藤貴男、大野昭之」4氏による請願「実施機関は、都議会議員個人に個人情報を提供してはならないことの確認を求める決議」の審議。自公民が否決
    6月、都議選『土屋』は再選されるも、前回より票を減らす(去年の参院選時、民主党は7万票を得たが、今回、初当選の同党・熊木と合わせても約半減)
    7月、九段中保護者(PTA副会長、皇国史観論者「平泉澄」の信奉者)紙上討論の『靖国、従軍慰安婦、昭和天皇の戦争責任』にクレーム。今後の展開は?

2005/8/19

差し迫った裁判(8/19改訂)  ]平和
8月24日(水) 七生養護「こころと体の学習」裁判
          13:00〜 東京地裁102号(霞ヶ関A1出口)
9月 5日(月) 葛飾ビラ入れ弾圧荒川裁判第4回公判
          13:30〜 東京地裁104号
9月 8日(木) 板橋高校藤田裁判第6回公判
          13:30〜 東京地裁104号
9月12日(月) 予防訴訟(証人尋問)
          10:00〜 東京地裁103号
9月13日(火) 社会保険庁職員国公法弾圧堀越裁判
          13:30〜 東京地裁104号
9月14日(水) 立川反戦ビラ控訴審第1回公判
          15:30〜 東京高裁725号
9月26日(月) ハートブラウス渡辺裁判
          15:00〜 東京地裁710号
9月28日(水) 都教委個人情報漏洩増田裁判
          14:00〜 東京地裁527号
9月29日(木) 板橋高校藤田裁判第7回公判
          13:30〜 東京地裁104号

2005/8/18

差し迫った集会(8/18改訂)  ]平和
入手し得た情報を並べます。

8月20日(土) やっぱり音楽を(公立学校音楽教員6名)
        14:00〜 杉並産業商工会館ホール(阿佐ヶ谷)〔要予約〕

8月20日(土)10:00〜
8月21日(日)9:00〜 教育労働者全国交流会

        渋谷区立神宮前区民会館(原宿or明治神宮前)

8月22日(月)13:00〜 全国学校労働者交流集会
8月23日(火)

        ふたき旅館(本郷三丁目or春日)

8月23日(火) 再発防止研修「専門研修」執行停止東京地裁提訴予定
        午前中(詳細未定) 弁護士会館&東京地裁(霞ヶ関)

8月25日(木) 定例東京都教育委員会
        10:00〜 都庁第二本庁舎30階教育委員会室(新宿)
        傍聴は、午前9時00分から午前9時20分まで、都庁第二本庁舎1階南側臨時窓口(定員20名を超えた場合は抽選とします。)人事案件は非公開?

9月3日(土) 立川反戦ビラ控訴審闘争総決起集会
        13:30〜 国分寺労政会館(国分寺)

9月3日(土) 被処分者全員集会
        <口頭審理開始前・人事委員会審理勝利・専門研修粉砕>
        18:00〜 神楽坂エミール(神楽坂)

「ゼッケン」事情聴取支援行動
        8月22日(月)10:00 Kさん(高校)
          23日(火) 9:30 Mさん(小学校)
          25日(木)14:30 Tさん(高校)
        いずれも15分前に、都庁第二庁舎1Fロビーに集合(新宿)

再発防止「専門研修」支援・抗議行動
        9月7日(水) 義務制3名
          9日(金) 障害児学校3名、高校1名
         13日(火) 高校5名
         14日(水) 高校3名
        いずれも9:00〜11:40 目黒教職員研修センター(目黒)

2005/8/13

「靖国」合祀問題を語る  
元陸軍中尉 池部良
いけべ・りょう東京生まれ。87歳。立教大学卒、元陸軍中尉。1941年、映画「闘魚」でデビュー。復員後、「青い山脈」などに出演、銀幕の人気スターとなる。代表作は「早春」「雪国」「暗夜行路」「昭和残侠伝」シリーズなど。著書も多く「そよ風ときにはつむじ風」で日本文芸大賞特別賞を受賞。

日本人自身で責任追及を

 一九四二(昭和十七年)二月、陸軍の三二師団に入営。二年間、中国にいて、四四年五月、輸送船で南方に向かう途中、米潜水艦の攻撃を受け沈没しました。半日ぐらい漂流、海軍の船に引き揚げられた。
 やっと到着したハルマヘラ島(現インドネシア)はきれいな島でしたが、「助かった、きれいだ」と思ったのは上陸した時まで。四ヶ月後には米軍の爆撃、銃撃を毎日やられてずっとジャングルの中にいました。
 衛生隊の隊長を任せられ七十九人の部下がいましたが、食うものに困った。カエル、トカゲ、ヘビ…、ワニまで食べました。みんな栄養失調になった。斬(き)り込み隊に選ばれた二人の部下は帰ってきませんでした。四六年六月に帰国しました。

 当時、天皇陛下のために戦い、潔く死んで靖国神社に行こう、というスローガンのようなものがあった。個人がそう思ったかは別として、軍の強い宣伝力があった。でも、ぼくは五年間の兵隊生活で靖国神社のことは頭の中になかった。そういう話をしたこともなかった

 戦後、毎年、初年兵や衛生隊の会合があり靖国神社に参拝してきた。戦死した人たちのことを「大変だったな」と思ってお参りしてきた。極めてプリミティブ(素朴)な心情です。最近は年をとり、集まることができなくなったので、一昨年以来行っていません。
 靖国神社は国の伝統といって神道の儀式をやっている。戦死したら神道でおはらいしてもらう必要があるのか疑問もある。小泉首相の参拝は表面的な気がする。やめた方がいい。心情的に参拝した方がいいというのは分かるが、兵隊さんたちが政治の道具に使われているんじゃないかという疑心暗鬼を生みかねない。

 A級戦犯については、合祀(ごうし)はおかしいとか新しい所に入れようとか言う前に、東京裁判(極東国際軍事裁判)は、戦勝国が烙印(らくいん)を押したものだという前提を忘れてはいけない。
 僕たち国民には、東條大将が本当に戦犯だったのかは分からない。今さらできない相談だけど、日本人自身の手で、戦争を指導した戦争責任者を摘出しなくてはいけなかった。五十年前に議論されるべきでした。

 僕たちは国民の義務として兵隊になった。それについてはあまり文句は言わないが、何の戦争だか分からず行って奇跡的に帰ってきた。
 でも、職業軍人というのは、戦闘技術を学び、命をささげて天皇陛下と国を守りますという契約をした人たち。戦争を起こし、失敗した責任は否めない。職業軍人全員を戦犯の対象として考えてもいいんじゃないですか。まず、そうしたことを考えるのが先ではないでしょうか。

〔『東京新聞』2005/7/17朝刊〕

2005/8/13

杉並教科書採択速報  X日の丸・君が代関連ニュース
不当採択撤回の闘いを巻き起そう!

<転送歓迎>(少し長いです)
「都教委包囲首都圏ネットワーク」の渡部(千葉高教組)です。

◆本日(8/12)、杉並区教委は不当にも「つくる会」歴史教科書の「採択」を決定した。
しかし、これは極めて不当かつ不法なやり方で決められたものである。

@杉並区長が「つくる会」教科書を支持する人間を教委に据えたこと
  山田区長自身、「つくる会」の思想に共感する人間で、
  4年前の採択で教育委員の意見が反対3−賛成2で否決されたことから、
  昨年6月に教委の教育委員の一人の任期満了で、自分の片腕とされる納冨氏を委員に据えた。
  これで力関係が逆転した。
  ここには、なんら「公正」さは見られない。

A調査委員会への現場教員の報告書の書き直しを強制するという違法な教育介入をしている。(新聞でも報道された)

B前回(8月4日)の会議で、「つくる会」教科書の問題点を指摘した安本教育委員に対し、執筆者自ら(藤岡氏と八木氏)が 「公開質問状」を出し、公然と圧力をかけた
 このことは、「教科書関係者は、採択に関与してはならない」という文科省の「指導」にも違反する行為である。
 (なお、藤岡氏は他にも教科書採択問題にからみ、文科省から「厳重注意」も受けている)

C当日(8月12日)も、執筆者の藤岡氏は傍聴席に入り、大きな声を出し、「つくる会」教科書採択に反対する傍聴者らと教育委員を威嚇をしている。
 これは採択に対する露骨な関与・介入ではないか。
  ちなみに、他の傍聴者から、「執筆者が傍聴に入るのは問題ではないか」との声が上がったが、区教委はそのまま許した。
 なお彼は、自分の歴史教科書採択が済むとすぐ出て行った。
 
D同じように「つくる会」教科書支持者らも安本氏に対し、「扶桑社教科書を『戦争に向かう』教科書と中傷」とし,「事実無根の許しがたい中傷です」と誹謗・中傷を繰りした
 しかし、「事実無根」ではないことは、「つくる会」教科書が戦争を美化する述を繰り返していることは誰の目にも 明らかである。

E当日も、特定の「つくる会」教科書採択を要求する人々が大勢押しかけ圧力をかけたが、
 その中には「扶桑社」の社員も多数いたこと
 もし、逆にたとえば「大阪書籍」の社員が多数来て、採択されたら、彼らは「不当な圧力」として大声をあげていただろう。

他にもあるかもしれませんが、これだけでも、彼らの不当・不法なことは明らかである。

◆審議内容に見られる問題点については詳細は略しますが、
「つくる会」教科書を支持する委員は驚くべき主張を展開していました。


・「大東亜戦争という言葉は当時使われていたものだ。それを肯定するしないとは無関係だ。」(大蔵委員)

・「明治憲法の『天皇は神聖にして侵すべからず』は、現在の『象徴天皇制』と大きな差異がない」
 「歴史は物語りだ」(宮坂委員)

・「『将兵はよく戦った』という解釈だが、多面的に評価することができる。」(納冨委員)

採択のプロセスがきわめて不当・不法で、かつこのような不見識な委員たちによって、「つくる会」歴史教科書は「採択」されたのである。

◆ところで、本日次のようなことも明らかになった。

 杉並区は、韓国のソウルの瑞草区と友好関係にあるが、
 杉並区の中高生19人が、この夏、「杉並区・瑞草区青少年共同キャンプ」に参加し、12日は帰る日だった

 しかも、11日には、瑞草区庁長より、共同キャンプに参加した青少年たちが、
 「計画したプログラムに沿ってお互いを知り、大切な意義深い時間を送っております。・・・・・・去る2001年のように、山田宏区長の賢明なご判断によって扶桑社版の教科書が採択されないよう、心から願っております。」
 というメッセージまで届いていた。
 
 しかし、12日、青少年たちが韓国から帰るのを待っていたかのように、「採択」が強行されたのである。

 その知らせを聞いた、韓国の国会議員イ・へフンさんは、
 「先程、・・杉並区で扶桑社版歴史教科書の採択の知らせを聞いた瞬間に唖然とし、言葉を失い何をすれば良いか分からなくなり空だけを見上げていました。」
 というメッセージを寄せている。

 山田区長と杉並区教委は、杉並区と韓国との友好関係を、
 (しかも両国の青少年たちを裏切る形で、)ぶち壊したのである。

 このように卑劣なことがあるだろうか。
 ここにも、今回の「採択」の酷さが現れている。

 不当、不法、不見識、かつ卑劣な「採択」を許すことは出来ない。
 杉並区の採択を撤回させよう!!

※あえて付け加えれば、
1,杉並区立中の社会科教員は、独自プリントなどで、「戦争に向かわない」正しい歴史を伝える授業の取組を始めよう。
2,最近ひんぴんと起こる、右寄り保護者のあざとい授業への介入(公開授業を悪用してクレームを付けたり、子どものプリントを都教委に持ち込んだり、)から、教師を守るために、対抗して平和志向の保護者たちが、積極的に公開授業等に参加し、憲法・教育基本法違反の「戦争賛美」の授業があったら、プリントなど教材を証拠に遠慮無くどんどん都教委に注文を付けていこう。
3,ついでに、既に「つくる会歴史教科書」を使っている白鴎中の学校公開日は、11月17〜19日だそうだ。<http://www.hakuo-fuzoku-c.metro.tokyo.jp/> どんな授業をやっているのか、興味津々。


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