2005/8/3

日記7/21〜25  [藤田の部屋
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2005年7月21日(木曜日)     拉致
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 物事の本当の流れは常に掴みがたい。
 特に関係者が生きている状況での事件は、喋れないのとデマが混じる為に難しい。30年位経った方が文書も出るし今だから話そうということが出てくるので真相が露わになってくる。
 拉致問題についても次第に真相が露呈してきた。確かに日本の警察は1977年の秋の時点で北による拉致の確証を得ていたといえよう。
 その年の9月19日の宇出津での工作員Rの逮捕による、乱数表と暗号解読表の押収である。以後は以前にも増しての徹底した無線傍受が続けられたと思われる。
 翌年夏、小浜で柏崎で吹上浜で富山で怪電波が飛び交う。今の地村夫妻、蓮池夫妻、市川夫妻の拉致である。富山は未遂。この状況で警察は完全に事の真相を把握した。
 なんとこのあと日本政府・警察はこの件を封印したのである。政治状況、捜査手法の漏洩、外交課題、政治家の利権・保身、証拠の不備、総連の反撃・・・。
 少数の国民の犠牲は、国家の政治・外交方針のもとではいとも簡単に無視される。ややこしいことになるのを避けたのである。危機に際しての適切な対応を先送りした結果、数十人を優に超す人々が攫われ続けた。

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2005年7月22日(金曜日)     拉致 2
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 人間、まともに基本的に物事を考えなければならない。
 人を殴ってはいけない、人を攫ってはいけない・・・。これが難しい。
 理屈をつけて暴力を振るうのはしばしばである。理念や思想とか宗教的信念とか使命とか職務とかが付随すると、殴ったり攫ったり得意になって行う。うまくやれば仲間から賞賛される。
 国家というのも人を捕まえる。トイレの落書きで44日、ビラ撒きで75日も留置する。革命とか聖戦とかになるとますますエスカレートする。真面目に殴ったり、人を攫ったりする。
 これなら自分はいい加減で碌でもないと端から自覚して、ふわふわと人生過ごしている人間の方が立派である。妙な比較である。
 北の真面目な洗脳された工作員によって拉致された人々は悲惨である。残された父母は次第に老いて来た。残り時間は少ない。有本恵子氏の父さん、母さんはもう80歳近いのではないだろうか。夜、よく寝られないことであろう。
 初めは支援者もなく、夫妻で何度も外務省に足を運んだ。いつも受付で立ったままの短時間の対応だ。うんざりだという顔をされた。有本明弘氏の物言いは事の真髄を突いている。 −つづくー  

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2005年7月23日(土曜日)     拉致、3
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 「表の顔は見えとうけどな、裏にな、どんなのがおうとたか分らんけどおるのよ」、有本明弘氏の言である。
 いろんな人がやって来る。利用価値がないと判断するや応答もしなくなる。そうした人の一人に対しての言である。そうした人々への言葉である。
 にこやかに近づきある日豹変する。親切ごかし、無視、脅し、賢しらな忠告・・・いろんな人間がやって来るのだ。
 横田夫妻にしても有本夫妻にしても子供の名前を公表するか伏せるかで悩みに悩んだと思われる。相手がわが子に危害を加えるのではないか。人質をとられての犯罪は心が切り裂かれる。
 金日成・金正日の犯罪性は天賦のものか。実に周到かつ巧緻である。資産のある親戚が日本にいる帰国者は優遇する。貧しい者は苛酷な労働に従事させる。人質の篩い分けをするのである。
 人の処遇と命は金に換算される。まさに地獄の沙汰も金次第である。「何千万円か出せば収容所から出してやる」、「十億出せば帰国させてやる」というのである。金、金、金である。
 こうした対処を生んだ一因は日本の政治家にもある。多くの政治家が総連の献金に群がったのである。情けない。

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2005年7月24日(日曜日)     拉致 4
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 「反帝・反スタ」のスローガンは何処に行ったのだろうか。
 ソ連が崩壊して、「反スターリニズム」が霧消したとでもいうのであろうか。金日成・金正日はスターリンの子・孫である。
 スターリニズムの核心は個人独裁・個人崇拝である。民主集中制のもとすべての権限が上へ上へと向かう。プロレタリア独裁はそのプロレタリアを僭称する代行者の独裁に帰結する。
 国民の民主的とかいう選挙によって選出された国民の代行者が、大統領や首相になって権力を振り回すのと同様である。ただし大統領や首相にはしばしば議会による制約がある。三権分立という原則がある。これがなくなれば選挙はヒトラーを生み出す。
 民主的選挙というものも常に独裁の危機を孕んでいる。言論の実質的な自由と衣食足りた生活の状況がなくなれば、あっという間にいわゆる「民主主義」は独裁に転化する。
 「民主、民主」と叫んでいれば良い訳ではない。貧富の差は国家間、国内階層間の軋轢を生じさす。現在の世界は何とも凄まじく軋んできたではないか。
 北に対しては徹底してその独裁体制の打倒に叡智を集めねばならない。ヒトラーを潰したように。援助はその後である。

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2005年7月25日(月曜日)     水
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 「要らないものは取り去ると綺麗になる」、これは一美容師の言葉である。
 彼は「水」に凝っており、シャンプーする時も自分で考案した水純化機を通した「水」で洗う。この時一切の不純物を排し、つまりシャンプーも使わずに「水」のみで洗う。結果、さらさら、ふわふわの「天女髪」になるという。
 疑心暗鬼の客も終わってびっくりとのことだ。「水」というのはすべてのものの命なのであろう。「水が良ければ、すべて良し」である。


2005/8/3

原爆忌に寄せて  
◆ヒロシマ平和記念公園「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」
  (本川国民学校約400人、袋町国民学校約160人、…)

   太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨集まれり
   (正田篠枝)



◆長崎私立純心高等女学校「校碑」慈悲の聖母(生徒214人死亡)

   燔祭の炎のなかに歌いつつ 白百合乙女 燃えにけるかも

2005/8/3

日記7/16〜20  [藤田の部屋
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2005年7月17日(日曜日)     インターネット
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 インターネットとは恐ろしきものだ。
 始めて数ヶ月、あらゆるものが見れる。これで外国語に堪能であれば世界は限りなく広がる。大変な代物である。始めてテレビを見たときを思い出す。
 小学校の校庭、受像機一台、台の上に置かれ我々悪餓鬼ども今か今かと見つめていた。ボロアパートの一階の北側の角部屋、テレビを購入した。白井対ダド・マリノの一戦、悪餓鬼靴脱ぎ捨てて観戦させてもらった。今思うによくあれだけの餓鬼どもの闖入を許してもらったものだ。
 カラーテレビを初めて見たときも一驚した。インターネットは奇妙なものだ。目に良くない。けったいなものが無限にある。人の写真を断りもなく盗んで曝していたりする。ありゃ、犯罪である。無法地帯である。なんでもありの恐ろしい世界となっている。
 思うに倫理観というのは自然の中で動植物の様々な生育とその宿命を体得して得られるものであろう。愛しさの帰結としての人生観である。インターネットの恐ろしさは初めに破壊と残虐、好奇とおぞましさの世界が展開されていることである。へたに嵌ったら人生のバランスを逸することであろう。

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2005年7月18日(月曜日)     不安
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 人間の不安の根源は宇宙という存在そのものの中にある。宇宙の生成と消滅、無限の変化、その不可視と想像しえない状況にある。
 人は多くそんなこととは無縁に生きる。しかし、ある時ふと立ち止まって来し方、行く末を思うと不安に捉われる人々がいる。
 人生を十全に生きた人にとってはほぼ不安はない。しかし悪事をなしたり悔恨多き人生を過ごしたものにとってはあの世が恐い。宗教のよって栄える基盤は人生の不安にある。「すべてはこの世のみ」といった達観など、一寸したことで瓦解する。人の精神などガラス細工のようなものである。
 不安の解消の方途は自我意識の消滅にある。自我のないところ不安を感じる精神そのものがない。といっても精神なき人間というのもお化けみたいなものである。
 何の因果か今日、この時点で地球の一隅に存在しているというその奇跡を実感しつつ穏やかに生きるほかないが、穏やかならざる状況に叩き込まれている人々もまた限りなく存在する。この世もまた恐ろしい。

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2005年7月19日(火曜日)     アスパラ
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 昔、あすなろ物語というのがあった。
 すっかり忘れてしまったが。最近、アスパラをもらった。鉢植えのアスパラである。
 これが何とも良い。葉が爽やかの極致である。風に揺れて見ていて飽きることがない。どんどん背丈が高くなる。

            アスパラの 意味は知らねど 葉の緑 風に揺られて 天女の舞いよ

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2005年7月20日(水曜日)     祭り
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            夏祭り 太鼓とともに 君去りぬ



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