2005/8/20

戦争は終わっていない  
もの言えぬ時代告発

 ドラム缶から立ちのぼる熱気が、かげろうのようにゆらめいていた。
 一九四五(昭和二十)年八月十五日、日本が負けたあの日の昼下がり。いったいどちらが正しかったのか。大阪・八尾警察署の小さな中庭で、二十四歳の井形正寿はゆらいでいた。
 井形は新米の特高(特別高等警察)警官だった。「反戦」などを口にする"非国民"を取り締まり、国民こぞって戦争へと駆り立てるのが「トツコウ」。
 井形は初め在日朝鮮人を受け持った。近くの高校へ出向き、優秀すぎる在日生徒がいたら成績を落とす。子どもの足をひっぱるのは愉快ではないが「命令」に逆らえるはずもない。
 「書類をぜんぶ焼け」。あの日、玉音放送を耳にした後で、こう命じられた。背の小さいその上司は日ごろ「共産主義者や朝鮮人なら殺してもいい」と公言する、ごくふつうの特高警官だった。
 火をたいたドラム缶へ資料を放り込んでいたとき、ふいに手を止めてしまった。目に入ったのは「不穏文書」と呼んでいた反戦投書を撮影したマル秘写真。
 「私は日本が戦争に負けてもよいから、一日も早く戦争がすめばよいと思います」「天皇があるために国民がどれだけ迷惑か」
 ぞくり、とした。手にしているのは「死すら覚悟してものを言った抵抗の証し」。追う側と追われた側。正しかったのはどっちか。気がつくとポケットヘねじこんでいた。初めての命令違反。心臓が波打った。
 戦後、井形は投書の主を捜し続けた。特高の記録書からようやく一人の住所をつかんだとき、あの日から三十年余がすぎていた。
 その人は獄死していた。ぴんとはねた口ひげが良く似合う頑固そうな男だった。かえってきた遺体には無数のあざがあったという。
 妻は「国賊」のそしりを恐れ、近所や親類にも夫の獄死を隠していた。「どうかそっとしておいてください」と言い、拳をぎゅっと握った。思い知った。「戦争は終わっていない」
 特高が消え、公職追放された後、井形は大阪市内でヤミ屋や不動産業を営み口を糊(のり)してきた。公安調査庁へ再就職の誘いもあったが、「お上」の仕事にもう魅力は感じなかった。
 今では、語り部として自由にものが言えなかった時代のことを訴えている。「死ぬまでものを言い続けること」。それが井形にとって購罪(しょくざい)だ。
   ◇   ◇
 ガンガンガンー。昨年二月末の早朝。高田幸美(32)は激しくドアをたたく音にたたき起こされた。「立川警察の者だ」。ええっ。一瞬、脳みそが凍った。
 この日、高田は同じ市民グループの仲間二人とともに逮捕された。容疑は「住居侵入」。一カ月半ほど前、東京都立川市で防衛庁官舎のポストに自衛隊のイラク派兵反対のビラを入れたことが"罪"だとされた。
 なんで…。宅配ピザのチラシと同じようにビラを配っただけ。「お上」に盾突いたからなのか。
 塀の向こうで七十五日間。連日の取り調べでは「寄生虫」「二重人格のしたたか女」と、とがった言葉で心をぶん殴られる。ひたすら目の前のネクタイの柄だけを見つめて耐えた。
 判決は十二月。「無罪」。
 意見を表明する行為はピザのチラシより優越されるという「まとも」な中身だったが、検察は控訴した。
 高田は障害者ヘルパーとして働きながら、ミュージシャンとして全国を飛び回っている。
 ドレッドヘアがトレードマーク。恋とか愛と同じように、反戦も歌う。ビラまきも歌も、思ったことを「表現したい」だけ。それが罪なら、この世はどうにも生きづらい。
 この夏も老いた元警官は語り、ドレッドヘアのミュージシャンは歌う。
 自由にものが言える。戦争なんてしない。日本はそんな国だと信じていたいから。 =文中敬称略

特別高等警察
 治安維持法の遂行を担い、反体制の言論や活動を取り締まった警察組織。民間団体の調べによると、同法に違反したとして拷問や虐待を受け、小説家の小林多喜二ら約200人が死亡。病気なども含めると獄死者は約1700人に上る。1945年10月、治安維持法廃止とともに解体され、井形ら職員はほとんどが公職追放されたが、後に警察機構や公安調査庁へ復職したケースもある。


〔東京新聞2005/8/18「60年目の自由」3〕


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