2005/11/9

「増田教諭に対する処分撤回、即現場復帰要求集会」のご報告  \増田の部屋
<下記は転送歓迎です。>

11月7日(月曜)夜、豊島区勤労福祉会館で「増田教諭に対する処分撤回、即現場復帰要求集会」が開かれました。

 大野昭之先生の主催者あいさつ、増田先生の経過報告、津田道夫先生の「韓国3・1独立運動で虐殺された柳寛順の話に始まり教育基本法改悪、自民党の新憲法草案など日本の現状分析へと展開された」問題提起、に引き続き、下記のかたがたのスピーチがありました。

 1 卒業生  
 2 伊沢けい子(都議会議員)
 3 八尋麻子(教育基本法の改悪を止めよう!全国連絡会事務局)
 4 かわむらひさこ(新社会文化出版会)
 5 金子 潔(君が代解雇裁判原告)
 6 藤田勝久(元・都立板橋高校教諭)
 7 酒井直昭(国労闘争団 団長)
 8 近藤 徹(被処分者の会 事務局長)

 それぞれの方が、産経新聞・3都議・都教委の三位一体となった攻撃、あらゆる力をかけて増田さんを教育現場から追放しようとする都教委の攻撃、自分の持ち場で抵抗することの重要性、おかしいものには徹底的に抗議を貫く増田先生への連帯、を声にされました。
 とくに藤田先生の「本人に配布する前にマスコミに起訴状を配布する検察、裁判で平然とウソをいう都教委」といったご自分の体験を踏まえた主張、酒井さんの「いまの教育現場は国鉄民営化直前の職場と状況が似ている」というお話、近藤さんの「授業そのものへの弾圧は、戦前の綴り方教育への弾圧と同じだ」という指摘は迫力がありました。

 またわたくしにとっては、「事件は現場で起こる。間違ったことをただせるのも現場である。ぜひ増田先生を現場に復帰させたい」という卒業生の声や「いまの20代は、人と違う意見をいってもよいことを知るとビックリする。国歌斉唱で座ってもよいと聞いてもビックリ。そういう世代に増田さんの存在をもっと知らせたい。きっとビックリするに違いない」という八尋さんの発言など若い世代の声が印象に残りました。

 そのほか「目黒残酷物語」と題するコントが演じられました。舞台はTK都教職員収容センター。
 一人一人仕切りつきで背中合わせの研修生席、ゴミ捨てやトイレに行こうと室外に出ると監視役から注意され、口ごたえすると「都教委に報告するぞ」と脅迫される実態などコントながらリアルなものでした。また、紙上討論の生徒のナマの意見も発表され、自分の頭で考え発表する教育をすると処罰される増田先生の「事件の本質」を表現したコントでした。

 大内裕和さん、鎌田慧さん、斎藤貴男さん、ノーマ・フィールドさんのメッセージが紹介されたあと、金澤寿・西部全労協議長の「まとめ」、集会アピールを採択し、最後は「We shall overcomm !」の大合唱という中身の濃い、熱い集会でした。

2005/11/9

以前の裁判の記録から  X日の丸・君が代関連ニュース
日の丸・君が代訴訟(6)─予防訴訟

T・O記
 2005年9月12日、国歌斉唱義務不存在確認等訴訟(予防訴訟)の口頭弁論がありました。この日も、多くの原告・支援者が傍聴に訪れ、傍聴席はすべて埋まりました。

(略)

 お昼休みを挟み、午後も引き続いて二人の証人尋問が行われました。まず、蒲田高校の嘱託である福井祥さんが、都立高校の自治に関して、職員会議を中心に証言しました

 福井さんは、1967年に都立高校の教員となりました。当時の高校は活気に満ちており、その活力の源泉が職員会議だった、といいます。そして、その職員会議では、学校運営・学校行事・生徒指導等、学校教育全般にわたって熱心な議論が行われていたそうです。

 都立高校の職員会議は、校長・教頭を含めた教職員の「協議・合意・意志決定の場」であって、学校によっては「最高決議機関」「意志決定機関」などと「校内規定」上明記されている学校もあり、それ以外の学校でも「審議する」との文言はほぼ全学校にあり、多くの学校で実質的な最高機関と位置づけられていたそうです。

 職員会議と校長の関係についてですが、福井さんが言うには、通常、校長は、報告事項以外のことについてはほとんど発言せず、採決結果に対して疑義をさしはさむこともほとんどなかったそうです。しかし、1989年に、指導要領で「国旗・国歌を指導するものとする」とされてから、卒業式・入学式にかかわる「日の丸」掲揚については、掲揚しないという採決結果に対して、異議をさしはさむ校長も現れ、時には、掲揚を強行することもあったそうです。

 さらに、1998年3月の「都立学校等あり方検討委員会」、いわゆる「あり方検」の報告をうけて、都教委が各校長に対し実施通達を出して以降、各校長による職員会議への介入は、さらに強まったといいます。この「あり方検」は、「職員会議の多数決による決定に、校長は事実上拘束されている」とし、それが大いに問題であるので、職員会議を校長の補助機関とすべきだ、としました。それに基づいて、都教委は、都学校管理規則を改定して、職員会議を校長の補助機関としました。それにより校長の介入が強まり、職員会議をしにくくなったため、管理職を除く教職員での会議を開催して対応をするなど、効率の悪い学校運営を強いられたそうです。

 福井さんが勤めていた大崎高校では、2003年3月の卒業式、つまり10.23通達が出される前の、最後の卒業式では、生徒に「内心の自由」についての説明がなされ、卒業式当日は、不起立だった生徒も数多くいたそうです。しかし、10.23通達以後の卒業式では、壇上正面に「日の丸」が掲揚され、卒業生・教職員とも緊張を強いられ、異様な雰囲気となってしまい、卒業を祝い、卒業生の未来に思いを馳せる気持ちとは全くかけ離れた卒業式になってしまったそうです。

 福井さんは、10.23通達以降、職員会議が形骸化し、議論や発言が減ってしまい、都立高校の自治が弱められた、と指摘します。しかし、現場の職員たちは、職員会議を自治の中心にしようと努力しているそうです。福井さんは、最後に、「あり方検」と10.23通達が、民主主義・教育・学校とは相容れないことを指摘して、証言を終えました。

(略)

一部を引用しましたが、この◆「法学館憲法研究所」のHPは、現在進行中の裁判の傍聴記録が充実しており、記録内容も詳細且つ正確で、とても参考になります。


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