2007/8/20

藤田の日記3/26〜28 日本国憲法  [藤田の部屋
 ● 板橋高校「日の丸君が代」威力業務妨害事件 第1回控訴審日程
    10月2日(火)13時30分〜15時30分 東京高裁102号法廷


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2007/03/26(月)     甕 (日本国憲法)
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 憲法には第3章として国民の権利及び義務が記されている。 第10条から第40条まで全31ヶ条ある。
 そのうち義務に触れている条項は第26条、すべて国民は・・・その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。・・・と、第27条、勤労の義務、第30条、納税の義務の3つのみである。
 嫌だと思っても強制されるのはこの3か条の中の義務の部分だけである。
 しかしこの中で第27条、勤労の義務というのは妙なものだ。 生来金持ちの家に生まれて生涯働かないで過ごす人がいる。 あるいは殆んどないしある時期を経て働かないで過ごす人がいる。 毎日乏しい生業をしている者にとっては羨ましい限りであるが、彼らは存在が憲法第27条違反ということになる。
 憲法違反となればことは重大事である。 逮捕されるのであろうが、今日まで勤労しない罪で捕まったとは聞いたことが無い。
 生来家に金があるというのは親が金持ちということであり、親なきあとはそれを相続できるということであろうから、働かない者をなくするには相続を禁止することとなる。 とどうなるか。 子弟に財産を残したい金持ちの多くは外国に移住するか外国に資産を隠すか、国内の自宅の庭に甕を埋めて金を隠すこととなる。

2007/8/20

米軍通訳が見た日本兵  ]平和
   東京新聞【こちら特報部】2007年8月15日
 ◆ 元米海軍通訳士官ドナルド・キーン氏が見た日本兵


 米軍を前に手りゅう弾で自決した日本兵、「生きている理由がない」とつぶやいた捕虜−。日本文学研究の第一人者ドナルド・キーン氏(85)が、初めて日本人と向き合ったのは第二次世界大戦中だった。コロンビア大で日本語を学び、米海軍に通訳の士官として従軍。玉砕した日本兵が書き残した日記を読み、捕虜を尋問した。キーン氏は当時、何を感じ、戦後六十二年の日本に何を思うか、聞いた。 (鈴木伸幸)

 ◆ 捕虜になることは恥 『日本に帰れぬ』と覚悟

---最初に接触した日本兵の印象は。

 ガダルカナル島で米軍が回収した日本兵の日記をハワイで読んだのが最初。一九四三年だった。当時、日本軍では日記を上官が検閲するため、型にはまった勇ましい決まり文句が並んでいたが、食料がなくなり、マラリアにかかり、親友を失うと、抑えきれない感情が日記にこぼれ落ちていた
 最後のページに英語で、自分の家族に日記を届けてほしい-と伝言が残された日記もあった。私が望みをかなえてあげようと日記を隠し持っていたら、上官に見つかって取り上げられた。血痕が残り、異臭を発する日記もあった。最初の日本兵といっても、私が日記を読んだ時には、ほとんどが亡くなっていたが…

---四三年五月にはアッツ島上陸に参加した。
 "時間稼ぎ"に日本軍が『玉砕』した最初の島だった。米兵は『バンザイ突撃』と呼んでいた。兵力は比較にならないぐらい貧弱な日本軍が米軍に突撃し、一時はけ散らすような勢いだったが、最終的には集団自決した。最後の手りゅう弾を米兵に投げるのではなく、自分の胸にたたきつけたことが、どうしても理解できなかった。



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