2009/4/3

「大野さんと私」偲ぶ会、報告  \増田の部屋
 ◆ 「大野さんと私」偲ぶ会、報告

 こんばんは。犯罪都教委&3悪都議と断固、闘う増田です! これはBCCでお送りしています。添付ファイルができないので、長文、ご容赦を。

 大野さんをご存じない方もいらっしゃるかと思いますが、このように「正しき道を強く踏」み切った人生を歩まれた方について、お時間がありましたら、知っていただきたいと思います。
 大野昭之さん(元都教組役員、元都内公立中校長)は私の闘いに対して心から支援を惜しまず、この10年ずっと支援の会の代表を引き受けてくださっていましたが、去年11月9日、肝臓癌により、ご逝去されました(享年81歳)。病名が分かってから亡くなるまであまりにも早かったので、とてもショックでした。しかし、悲しみで闘えなくなるようでは大野さんに叱られます。
 そこで、去る3月28日に豊島勤労福祉会館で「偲ぶ会」をもち、大野さんの数々のエピソードを語り合い、追悼と更なる闘いの前進を誓い合いました。出席連絡のあった方は15・6名でしたので、出席者は飛び入りも含め25・6人ぐらいかと予想していました。ところが、大野さんのご人徳でしょう、その2倍近い方にご参集いただき、嬉しい悲鳴でした。

 高校の音楽教員の方のバイオリン演奏による心に染み入るレクイエムや、大野さんが私に歌ってくれると約束してくださっていたのに、実現できなかった「満州国国歌」を歌ってくださった方、大野さんの教え子の方の話、大野さんの共産党員時代の話(その後「除名」という名誉!?)、都教組時代の武勇伝等々、「あら玉の年の初めに誓いたり 正しき道を強く踏まんと」(1986年の年賀状にあった歌)を実践された人生であったことが本当に良く分かりました。
 このような方に「同志(トモ)」と呼んでいただき・・・2007年の年賀状「花冷えの請願終えて家に着く 我を待ちしは同志(トモ)の免職」・・・共に闘えてきたことを心から光栄に、また幸せなことと思い、更なる闘いへの勇気が沸いてきました。

2009/4/3

「韓国併合」100年市民ネット・関東の発足  
 ▲ 「韓国併合」100年市民ネット・関東の発足

 1910年8月、日本は大韓帝国を併合し朝群総督府を設置し「日帝36年」の植民地支配を開始した。来年は韓国併合100年の年に当たる。戦後補償、在日永住者の問題などいまも「植民地」に伴う未解決の問題は数多く残っている。日本側の近代史の歴史教育はまったく手付かずの段階といっても過言ではない。
 3月21日(土)夜、飯田橋の東京しごとセンターで「共生を求めて 「韓国併合」100年・反省と和解のために」という集会が開催された(主催:「韓国併合」100年市民ネットワーク・関東 参加130人)
 「韓国併合」100年市民ネットワークは、2008年10月京都で結成され、この日の集会は市民ネット・関東の発足集会として開催された。4月23日には、ソウルで韓日平和100年市民ネットが発足する予定だそうだ。
 中山武敏さん(東京大空襲訴訟原告弁護団長)と宋富子さん(高麗博物館名誉館長)の報告をレポートする。
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宋さんは「平和の歌を歌いながら踊りながら、夢をもって!」と、アリランを歌った。

●東京大空襲訴訟と朝鮮人被災者
中山武敏さん(東京大空襲訴訟原告弁護団長)

 1945年3月10日、325機の爆撃機から焼夷弾1665トンが東京下町に投下され、火の壁で逃げられないようにして10万人以上が焼き殺された。東京大空襲である。



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