2007/12/30

マスコミの使命  
 ◆ 批判精神なき「番犬」は去れ
元木昌彦

 「メディア観望」(17日朝刊)市川隆太記者の「良い番犬になるには」は力がこもっている。
 まず、「各種の人権問題に触れる際、新聞は加害側組織の自浄作用を期待しすぎではないか」と問いかけ、警察・検察不祥事も同じだと書く。「報道により警察が謝罪に追い込まれ、幹部が深々と頭を垂れる写真が掲載される。(中略)不祥事の本人は更迭され、組織は自浄作用を誓う。そして一連の報道は終わるのだ」。しかし、しばらくすると同じことが起きる。
 結びが良い。「読者が購読料と引き換えに、政官財の不正を見張らせている番犬が新聞記者だとすれば、私たちは良い番犬だろうか。答えは、人権侵害が一向に減らないばかりか、日々、新たな被害者が生まれている現実が冷徹に証明している」


 以前、「新聞の総力を挙げて『警察の闇』を徹底的に取材し、解明してもらいたい」と書いた、警視庁立川署地域課・友野秀和巡査長の射殺・自殺事件も、同じパターンではないか。「警視総監を戒告処分女性射殺立川署長は引責辞職へ」(9月20日夕刊)。「警視庁は事件後速やかに、警部補以下の職員への緊急面接を実施したほか人事、業務管理の徹底を図るなど再発防止対策に取り組んでいる」(同解説)現場で取材している記者諸君は、これで十分「良い番犬」の役割は果たしたと思っているのだろうか。一度、聞いてみたいものだ。
 このような事件の再発を防止するためか、警視庁が、交番警官に衛星利用測位システム(GPS)携帯を導入することを来年度中に検討している記事が11月7日夕刊に載った。記者は、「交番勤務の警察官の管理を徹底する狙いもあるとみられる」と書いている。悪い冗談ではないのかと、目をこすって読み直した。こんなものを持たせれば人間を管理でき、不祥事が起こらないとする発想が貧困である。新聞記者は、発表を鵜呑みにして書くだけではなく、批判精神を持たなければ「良い番犬」にはなれない。

 行政の劣化が言われて久しいが、司法の劣化も相当進んでいると思わせる判決があった。マンションのドアポストに政党ビラを投函した行為の違法性が争点になった裁判の控訴審で、東京高裁が、逆転有罪判決を出したのがそれだ。
 「『チラシ・パンフレット等広告の投函を禁じる』。どこにでもあるこんな張り紙を理由に、東京高裁は政党ビラを配布した荒川さんを逆転有罪とした。言論や政治活動を委縮させる懸念を考えると、判決は単なる住居侵入事件にとどまらない大きな影響を持つことになるだろう」(12日朝刊解説)
 二〇〇五年にも、自衛隊イラク派遣反対のビラを配るため、東京都立川市の防衛庁宿舎に無断で立ち入ったとして住居侵入罪に問われた三被告に、東京高裁は、一審の無罪判決を破棄して罰金刑を言い渡している。
 表現の自由への目配りを欠いた判決の意図するところは、「住民の防犯意識を利用して、特定の市民団体や政党の主張を恣意的に弾圧する手段に使っているように見える」(同解説)ことは間違いない。何とも息苦しい世の中になってきたものだとつくづく思う。
 (オーマイニュース日本版編集長)※この批評は最終版を基にしております。

『東京新聞』(2007/12/23 「新聞を読んで」)

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