2005/2/28

いま抗(あらが)わなくて、いつ抗うのですか?  ]平和
戦争とファシズムの時代がやって来ている

斎藤 貴男さん(ジャーナリスト)

 東京都教育委員会の「10・23通達」に対して、処分反対の予防訴訟をおこしたり、「君が代」斉唱時に起立しないで処分されたりしている都立高校の先生たちがたくさんいらしたので感激しました。その人たちに敬意を表します。その一方で、もっと多くの人が、その程度のことをどうしてできないのかとも思いました。生活がかかっているからというのはわからないでもないですが、僕は正直許せない。「日の丸・君が代」が大好きで、強制すべしと思っている人は立てばいいわけですが、これがいかに問題であるのかをわかっていながら立ってしまったら、その方がずっと罪深いと思います。

●星条旗の下での「日の丸」

 激しい「グローバリゼーション」の下で、アメリカの世界支配の中で、日本はアメリカの手先として世界を侵略する国になってきています。事の善悪を別にすれば、星条旗を掲げて、アメリカ国歌に忠誠を誓うところを、それではあんまり辛すぎるので、「日の丸・君が代」が癒しのナショナリズムとして使われているのです。日本は今日の「グローバリゼーション」の下で、アメリカと価値観を限りなく近づけた「支配体制」の形成に向かっています。
 日本の企業も、他国同様に安い労働力を求めて海外にどんどん進出していく。安い労働力の国はリスクも高く、企業だけでなく国もリスクをかぶれ、軍事力の行使も必要だという論法が浮上しています。海外の企業の権益を守るための軍事力行使を財界は求めてきているわけです。こういう形で産軍複合体が増殖しています。アメリカとともにある戦争ということはまさに侵略で、石油がほしいからアメリカとともにイラクに、イランにということになります。
 一方国内においては、1億2千万人の市場をアメリカに解放していくための構造改革が求められる。これは社会保障制度改革から医療制度改革から、税制改革、教育改革と全ての分野にわたり、貧富の差を広げる政策、人間どうしの対立を広げる政策に直結します。アメリカみたいに上層20%の人が富の80%を占有して、残りを80%の人が血で血を洗うバトルロワイアルを繰り広げるイカサマ社会に向かいます。
 たとえば、去年11月に自民党が出した憲法改正草案大綱で、徴兵制はしないといっているんですが、これはアメリカみたいにすることを意味します。アメリカみたいに貧乏人は戦争に行って手柄をたてないとまともな教育が受けられない、こういう仕組みを目指そうとしているのです。その中での「日の丸・君が代」なんです。いままでとは問題のレベルがまったくちがうのです。

●調教師にならないで

 都教委は卒業式の「君が代」斉唱で生徒が起立しなくても教師のせいだと言っているようですが、これは子どもたちの人格を認めていない証拠です。仮に、教師が「立つなよ」と言ったところで生徒は自分の意思で決めるわけでしょ。都教委や校長は、生徒というのは上の言いなりでしか動けないものと規定しているわけですから、これは教育じゃない。子どもなりに、子どもとしての人格があって当然なのに、それを全く認めないところで行われる指導というのは教育ではなく調教です。
 教育基本法を変えようとしている人々が、教育を国家に従わせる道具にしようとしていますが、これは調教だ。国家とか公共とか言っているけど、実のところ支配者の私利私欲のためです。何が国益かなんてぜんぜん定義もない。
 ことここにいたって、いくら内面で葛藤があろうが、それで立ってしまったらそれは教師じゃないんですよ。
 教師が教師であるためのアイデンティティが、職業的モラルがあるはずなんですね。教師が調教師になってしまったら、それは世界で最も軽蔑すべき存在になってしまいます。

●ファシズムは大衆がつくる

 いまに日本はファシズム国家になるっていうんじゃなくて、いまファシズムに覆われてしまっている。石原だとか横山がファシストだということはその通りなんですが、戦時中もそうでしたでしょうけど、誰かすごい権力者が無理矢理閉塞状況をつくっているのではなく、僕ら一人一人、大衆がそういう方向性を積極的に望んで受け入れてしまっているからファシズムなんですね。石原を攻撃してみてもはじまらないとさえいえます。石原は単に程度の低い差別主義者です。例をあげたら数限りなくあげられます。他人の話を聞く耳を持たず、人間としての葛藤とかもひとつも感じられない。そういう人を都知事にしている方がおかしいんですよ。どうかしている。ファシズムだってのはそういうことですね。
 ファシズムの時代ということをもっと真剣に考えなくてはいけないことは、NHKの問題とか、イラクの人質事件でも思います。人質事件の時は、自分でも自覚してハッとしたのですが、最初の、高遠さんたち3人の時の衝撃に比べて、香田さんの時ってあんまりびっくりしないわけですよ。「またか」となってしまっている。実際に香田さんは殺されてしまった。もっとも衝撃的だったのは、両親が出したメッセージに怒りも悲しみも表現されていなかったこと。最初に世間に対して謝っているわけでしょ。今の日本社会はもう銃後の思想で覆われていると思う。これをファシズムと言わずに何をファシズムというのでしょうか。

●東京都の教育委員たち

 東京都の教育委員の高坂節三、木村孟、米長邦雄氏に僕は直接取材しています。内舘、鳥海氏は取材していません。高坂氏は高坂正顕(京大教授、「期待される人間像」を出した中教審特別委主査)の子どもですが、この人はビジネスマン(元伊藤忠商事常務)としては一流だと思います。ただ、この人が教育に口をだしては絶対にいけない。一昨年の経済同友会の憲法問題調査会の委員長として9条改憲を打ち出した中心人物なのです。9条をなくして、自衛隊を海外に出せ、集団的自衛権を認めろという主張を、先ほど言った「グローバリゼーション」との関係で、この人が比較的きちんと表明しているんですね。木村氏は古いタイプの保守主義者だと思います。元大学教授で、中教審の委員などをしています。この二人が都教委に入ったことははっきり国の意思と財界の意思が導入されていくということです。国の本音が入り込んでいくという意味で、僕は非常に怖いと思う。今までの米長、鳥海氏らは一般の人間の情緒に訴えきる、もっと低次元の人たちだと思う。米長氏はなんでも戦時中がすばらしかったと考えている人です。「日の丸・君が代」も、男女の在り方についても。鳥海氏は何でもかんでも企業の論理にもっていきたがる人です。学校は企業じゃない。学校で企業の価値観を植え付けられたらたまらない。学校を企業の人事考課だとかヒエラルヒーでしかとらえることのできない非常に困った人だと思います。内舘牧子さんには、爺さんに可愛がってもらうことで地位を確立した女性の典型を感じます。
 社会の仕組みから性別による差別があってはいけないというのがジェンダーフリーであって、性差はあり、性差を認めないということにはならない。僕はそう理解しています。結局僕にしたって男社会の中で育ってきてますから、どこかでそれでも一生懸命考えているつもりです。いろんな人がそういう努力をしているわけなんだけど、そういう努力を踏みにじってくれる存在として内舘さんはいるなと思っています。間違った考え方をしているかもしれませんが。

●労働者の団結と共闘の道を

 「日の丸・君が代」の攻撃には教員の学校現場的結合、教職員組合的団結の解体もめざされていると思います。もともと80年代、中曽根政権の臨調・臨教審路線で、国鉄の解体と教育基本法の改悪と日教組の解体がめざされたわけです。だから、国鉄解体と国労の解体の問題を、僕らも歴史的にとらえて、あの時からその問題の本質をきちんと分析したり、組合であればそれに学んで闘うべきだった。
 戦後、今ここまで、完全に逆コースになるまでにはいくつかのポイントがあったと思うんですが、国鉄の解体、国労の解体は大きな節目でした。当時、マスコミを先頭に一般社会が国労バッシングをしていましたが、組合攻撃は順番にくるわけだからあのとき気づくべきだったのに、無自覚すぎた。それと連合になるときに日教組は分裂しちゃうわけですよね。
 日教組も全教も率先して「日の丸・君が代」をやりたいわけではないはずです。現実が戦争に向かっているのだがら、過去のいきさつがあるにせよ無理にも手を組むとならないのか。共闘しようとはならないのか。
 組合の団結も困難な上、学校では校長や管理職が横暴になっている。基本的に校長、教頭は教員あがりなんですから、学校の主人公である子どもを優先して考えなければならない職業なわけです。それが、子どもを道具として家畜として扱うようなことを、上から言われて他の先生にやらせている。それは人として恥だということを知ってもらいたい。子どもを差別・選別し、あげくのはてに兵隊にしようとしているのかと一人ひとりに問いつめたい気持ちです。

●女性国際民衆法廷

 僕がNHKの問題にこだわるのは、「女性国際戦犯法廷」がつぶされたのも、歴史の相当大きなターニングポイントだったと思うからです。
 2000年の12月、いわゆる「従軍慰安婦」とされた女性たちの正義にしたがって戦時性暴力が裁かれて、「昭和天皇有罪と国家に賠償責任」の判決が下された意義は大きい。
 僕らは戦争の悲惨を考えるとき、いつも被害者としての悲惨しか考えてこなかったでしょ。広島・長崎も、東京大空襲も、戦後の焼け跡もみんな1945年のことです。その前の侵略していた歴史を語らないできた、加害責任を語らないできた。それではどこまでいっても朝鮮や中国の人とわかりあえないのは当然で、被害者でもあったけれどまず加害者だったんだということを、この法廷を通して確認できたともいえると思います。NHKが取り上げることは意味があったのに、それをああいう形でつぶされた。このまま息の根を止められたらあまりにもなさけなさすぎるんじゃないか。抵抗しないと。
 加害責任論がなぜ大切か。イラク戦争を考える時だって、被害者としての戦争しか考えたことがないから自分が被害者にならない戦争は戦争と思わないんじゃないでしようか。
 こんなことを続けていれば、僕らの子どもは間違いなく兵隊にされる。教員にとっては教え子を兵士に仕立て、戦場に送ることになるんです。一人一人生き方を問い、こんな時代に抗わなかったら、いつ抗うのか。少しでも状況を変えるまでやらないと、抵抗があったことさえ歴史に残らないわけで、それは自分の子どもたちに恥かしいことだと思います。

http://dugonghouse.fc2web.com/2005.2.6.html

トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ