昨日の「ナチュラルホースマンシップ」の流れで、私の乗馬人生での最高に幸せなひとときだったスナップを載せていこうと思います。

2001年のJRHAクラシックで当時TOMOさんが役員だったこともあり、私はエキシビジョンマッチでフリースタイルにエントリーしました。家ではよく遊びでやっていたノーブライドルでしたが、会場でも出来るのかどうかちょっと不安だった私に「任せとけ」と言わんばかりに、愛馬スクーターは堂々としたものでした。

私のセレクトした「威風堂々」の曲に合わせてパターンを少しアレンジして(ステイシーのと同じようなパターン)とても濃厚な時間を満喫しました。あえてダメ出しをするならスピンがイマイチでしたが、ここの馬場は良く滑るのでストップはかなり滑りましたよ。この時のジャッジは’89年(?)のフチュリティーチャンピオン(馬はBlenas Kid)のアラン・アラード。厳しいジャッジングでしたが評価していただきました。
そして2回目のご満悦の瞬間は、2002年の「JRAホースショー」
3日間で約8万人の来場者のなか前日ショーをしました。テーマはレイニングの起源。最初は牛を追う作業から〜〜本気で逃げたスクーター牛を本気で追いかけるスライ騎乗のカウボーイTOMOさん。スライ、とんでもないスピードで追いかけてきましたよ!
その後フルーリーとヨッチさんの正統なレイニングがあって最後にこのノーブライドル。曲はNRHAフチュリティーの曲、題名なんていうんでしたっけ?
やってる途中で最後は手放しでもいいか。なんて照れながらのポーズ(笑)
たくさんの観衆の中で、スピンやストップするたびに歓声と拍手がおこり、すっごく幸せだった。初日は役が私はフルーリーで2歩ごとのリードチェンジ(踏歩変換)などやって見せたのですが、一般にはウケがイマイチで役を代えて正解だったのかも。一般には女性がこうやって花とか着けて優雅さを演出した方がいいみたいでした。
スクーターも毎日良いテンションでした。連日なのに冷静に進んでパフォーマンスしてました。彼は本当のエンターテイナーですよ。
この3日間の記録を当時競技会の撮影をしてくれていた日本映像システムさんが撮ってくれて、後日ダイジェスト版のビデオをプレゼントしてくれました。すっごくカッコ良く編集してくれて私にとってはこれは一生の宝物です。
やっぱりたくさんの人の前で演技することはアドレナリン出まくる。もっと歓声が欲しいからもっと良い演技をしたいって積極的になれる。アメリカの試合もそう。
これからの日本のウエスタン界も一般の人も観に来れるようなオープンな場を作って欲しいと思うし、そのために私に出来る事があれば協力していきたいと思う。
余談ですが、この頃は結構色々なシーンで露出があって、テレビ局(地元)2社と、ジャンピングとドレッサージュの競技会でもデモンストレーションで呼ばれてやりました。かつての私の上司の選手も結構驚いてました。

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