この話は何日も頭に中でまとめようとしたのにまとまらなくって、実際に書いてみてもやっぱりまとまりのない記事になってしまい、消そうかとも思ったけど。
要は
「覚悟」がついたときが「本気」になってるということ。度合いはそれぞれ。私はいろんな出会いや経験をする度「覚悟」の重さを感じている。
そんな感じか?
何についても語れる言葉で、書けば書くほど核心が伝えにくくなりそうで堅苦しくなるから、それ以上のことは私たちの姿勢を見てくださいね〜(笑)
覚悟。
この言葉って割と軽く使えちゃうんでしょうが、私にとっては凄く重い、本当に腹をくくった人間が使う言葉でもあると思う。(こんな書き方をすると、昔の三田好子の映画の名台詞のようですが笑)
私は多分犬の世界で、自分の恩師のブリーダーさんの生き様を見てこの「覚悟」を悟ったんだと思います。(まだ悟れていないかもしれないんだけれど)
そもそもうちはTOMOさんがグレートデンを飼いたいと言い出して、ただ、何となく、その先のことなんて何も考えずにあたりの良かったこのブリーダーさんから譲り受けて、全くの趣味で始まりました。
でも、たとえ趣味であっても「本気」の趣味になった時には同時にこの「覚悟」もだんだん身についたか。
職業とするかしないかはさほど問題ではないと思いますが、「本気」になったときにはやっぱり「覚悟」は必要だと思う。
教えてくれるのを待ってる。注意してくれるまで気付かない。この時点はまだ「本気」ではない。
本気になってくると必然と、自分から動いて失敗したり成功したり、身体で感じて、その上で壁にぶつかった時に初めて周りに聞いたり、助けを求めたり。そうやって開拓していって初めて自分のものになるんだと思う。
昔、ある人が普段世話してる馬を馬運車に乗せようとしたら急にソッパして、油断していたその人は手に巻きつけた曳き手が締まり、人差し指と小指をちぎられ無くしてしまった。
以前、うちにいた研修生にフルーリーの肢についたシップ薬をよく洗い流すように指示した。落ちにくいからタワシを使っていいよと伝え、私は彼に付かなかった。
洗い終わったと連れて来たフルーリーの肢を見たら、なんと、強くこすりすぎて毛はおろか、皮膚もめくれ上がって赤くなっていた。
愕然としたけど、怒りは起こらなかった。自分の監督不足。彼に任せて付き添わなかった時点でたとえ死んでしまっても彼を責めることはできないと思った。
あの時から人に任せた時点で、最悪の事態とその責任も覚悟しているつもり。
自分の馬がいつも大人しいと思ってもそこで油断しちゃダメ。扱うからにはそういうことも起こるかもしれないと言う「覚悟」が必要。
自分の言った一言も、覚悟して放っていることもある。
先週coのGoldyに対する思い。あの時に半分冗談のように言った一言。
私にはそこにcoの覚悟が見えた気がした。
ここ最近の心の中身を書いてみたら、なんともまとまりのない記事になっちゃった。
(語尾もバラバラだし・・・それはいつもか)

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