日曜日にテレビを見ていたら雑誌「愛犬の友」でおなじみの顔、シンガーの大木トオルさんが出ていた。
「雑誌でいつも見る人」程度の認識しかなかったけど、彼は日本における「セラピードッグ」の第一人者だったんですね。知りませんでした。
自ら保健所に足を運び、殺処分される運命の犬のなかからキャラクターを選んで引き取り、セラピードッグに育てあげて、高齢者施設や養護施設・小学校などへ出向いて「ドッグセラピー」活動をしているそうです。
そのテレビを見ながら・・・
保健所(犬猫の処分施設)というのはちょっと、隠された施設というか、現実にあると知ってても認めたくない(卑怯だけど)禁断なところ。そんな極限の場所に出向き、犬に触れ、選定する(犬にとってはまさに天国と地獄の運命の分かれ道ですね)時の心境。心の葛藤など・・・現実を見た人間だけが感じる痛切な想いがあるでしょうね。
知るきっかけがないと、平和な表向きの日常しか見えず、タブーとされることは人間の意識から遠ざかってしまいがちです。
以前書いた「いのちを食べること」も年間50万頭(犬20万猫30万頭)処分される犬猫も、知っておくべき事実ですね。
そして、その極限の場所から救い出された犬たちって、その経験があったからこそ人間に一生懸命尽くしてくれるんでしょうね。
出戻り(いったん飼い主さんが付いたけど色んな理由で戻ってくる)とか、里親が入れ替わったりって、本人(犬)す〜っごく分かっているんですよね。
そういう子は私から絶対はなれないし、目を見て褒めてあげることにすごい喜びを感じるみたい。自分だけに愛情を注いで欲しいっていう態度するし、嫌われたくないのか、すごく気を使ってくる。(我が家で産まれてずっと愛情かけてるのん気な坊ちゃんとは大違いです笑)
犬は飼い主の自分を見る目をよく見ています。愛おしく見ているかそれとも疎ましく感じているのかお見通し(犬種によるかと思うけど)
そんなこと書いてる私も一端のブリーダー。
私だって人為的に犬を産ませて人に売っている。
私が産ませた犬たちは生涯私が責任を負う覚悟。
最悪の問題が起きたら私は私の手で最期を見届けて、その十字架を背負って生きていきます。汚れた部分は人の手で(保健所に)、なんてそんな無責任な話はないでしょ。(でも対象が馬だったら・・・どうなんだろ)
馬も犬ほどじゃないけど感じているはず。
人間に直接ひどい仕打ち(ぶたれたり苦痛)を受けたもの。
まったく手をかけられずに人間と交わることのなかったもの。
その生い立ちによってこちらの気持ちの持ち方も合わせます。
また、過剰な愛情(甘やかし)からワガママになって手が付けられなくなるというのもありますね。
なんだか支離滅裂(笑)しかも重いっちゅうの!('Д`;)汗

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