思い出話のようになるけれど、
2003年まではウエストウインドランチもよくある普通の乗馬クラブとしてやっていました。
1997年にここ朝霧に来てから外乗やったり会員制にして貸与馬レッスンしたりしていました。
12頭いたときが一番多かった時期で、あの頃は預かり馬・外乗馬・レッスン馬、そして番外編で問題馬がいて、今思うと他のクラブ同様、とても毎日がハードだったな〜。
外乗やレッスンに使う馬はスクーターや当時いたレイニングホース、中間種もいたし後半はレナも使いました。
うちでは信頼できる馬で外乗も、トレイル競技のようにしっかり足元見て歩く馬にしてたし、レッスンでもしっかり今乗っているライダーの指示を聞くように日々調整して、本当のウエスタン乗馬というものをうちでは体験して欲しいと思ってやっていました。
とにかくどのお客さんにも馬たちには耳を傾けるように調整してきて、そうすると馬の性格によって大きく差が出てきて、要領のいい馬なんかは結構適当にこなしてくれて、お客さんも満足だし馬のストレスも軽くすむ。
スクーターなんかはレッスンに使い始めた頃は曖昧なライダーの指示に苦戦して蛇行したり後退したりしてたけど、あの馬はすぐにその人のクセを読んで、上手くこなしてくれていました。でも、馬場のレッスンばかりが続くと足取りがすごく重くって、そんな時に外乗のお客さんが入るとウッキウキで、膝を高くあげて頭も高くしてルンルンで出て行くほどでした。それで、1日中外乗が続くと今度は足取り重くって、その時は私が馬場で乗るとまたウッキウキ。多分そういうことでストレスを発散していたんだと思う。だから終始あの馬が最高のレッスン馬でいたんだと。
一方、苦労したのはレナでした。レナは2000年に当時5歳のフルーリーと2歳新馬調教中のCCと一緒に9歳でアメリカから連れて来ました。レナは向こうでアマチュアクラスでたくさん競技を経験していてお客さんの競技馬になると思い買いました。
レナはいちいち耳を絞る性格で、やることはちゃんとやるけど機嫌はいつも斜めぎみ。
でも、お客さんのレベルがあがるに連れ、馬への要求も高くなってきて、そうなるとまじめな馬ほど疲労が蓄積。スクは爆弾抱えている肢が調子悪くなるし、レナはライダーとケンカになっていつもイライラ。
平日にこの馬たちのストレスを放牧で解消して、ケンカっぽいところを直したり、ビッコになった馬は筋肉をほぐすマッサージやストレッチ運動したり調整してまた週末を向かえる。
この繰り返しでした。着実にお客さんは上手になっていて、そこはとても満足を得るんだけど、でも私にはこのままでは馬が持たないと思っていました。
でもこの状況はどのクラブでもきっとあって、ここを乗り越えちゃえば馬たちは落ち着いちゃう。レッスン馬にとっては感情を表に出すような馬は向かない。私が感情に答えちゃうからいつまでもうちの馬は自己主張してくるのでした。
それは分かっていたけれど、私には馬の主張を無視することは出来ませんでした。多分レイニングホースは馬の意欲を使う(主張を受け入れる)ので、なおさら表に出してくるのかも。
そんな時、自分の妊娠も重なって、もうそんなにレッスンで立てないし私的にはもうこれ以上馬たちとの摩擦を終わりにしたい、という気持ちが強かったので2004年から自馬制の厩舎に変更したのでした。
今までの会員さんにも申し訳ないし、ウエスタン乗馬の人口を増やしたいくせにやってること閉鎖的だし、全乗協も(加入クラブ)退会せざるを得ないし、収入も減るし・・・いろいろ代償は大きかったです。でもそれでも私は馬との関係を選んじゃった。
とても矛盾してると思う。
でも、今分かることは、たくさんの人を乗せるための馬はそのための馬作りがあるっていうこと。高度な調教を仕込んでいくと、絶対に馬は頭を使うから感情や自己主張も出てくる。でも逆に初期からたくさんの人を乗せる馬として仕込んでいればそれは苦にならないはず。
目の前の馬と向き合う時にその馬をどの方向へ導きたいのか、それによって扱い方は変わると思う。
そしてついでに言えること。
フルーリーやスクーターは確かに乗られる事が好きで、輸送前日も、フルーリーは乗り終わっても厩舎に帰りたがらなかった(この馬はよくあること)
これって私はすごく嬉しい。
乗られること、レイニングすることが好きなんだなって思えるから。でも、うちはしょっちゅう乗らないからこうなるんだと思う。
初めは楽しいと思うことでもそれが毎日で、平坦で変化もないと次第につまんなくなる。死んだ目をしたサラリーマンのようになっちゃう。
いつも変化があって、刺激があって、時にはバカンスがあって、踏ん張りどころがあって・・・そんな波があると馬も飽きないはず。
うちはそんな生活をさせてるからいつも新鮮でいてくれるんだと思う(自己満足かな?)

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