当ブログの運営者は工藤英勝です 近代仏教史家で、とくに近代仏教と東アジアとの関係論に関心があります このブログではとくに朝鮮と日本宗教にかかわる問題とくに植民地布教についての資料とデータを提供いたします 大きな歴史認識や歴史解釈ではなく、諸事象と人間がどう動いていたのかを解析していきたいと思います 資料やデータにかかわる具体的なお尋ねには回答いたします

2018/10/12  5:00

人権(human rights)は、事物なのか?それとも思想なのか?  余禄 エッセイ

人権(human rights)はたんなる思想なのか?

人権(human rights)とは何か? という中味の詮索と検討を行う前に、はっきりさせておかなくてはならないことがあります

それは、人権(human rights)ということがらは、「不可侵の自明の真理」とされているようですから、意味の説明も証明の手続きもなしに、例えば面前の事物のように誰でも知覚できるものでしょうか? 人権(human rights)そのものは、概念で表現はされますが、事物のように見ることも触れることもできません

それならば、人権(human rights)を思想またはその産物としましょう。たしかに、人権(human rights)は近代西欧社会から立ち上げられた社会思想のひとつであることは、否定できませんが、たんなる思想ということになりますと、ある特定の人物や階層や集団にのみ理解される権利ということになります。人権(human rights)に不可侵の普遍性があると言われても、それを理解もできなく、合意もしていないものごとを強制的に享受するというのも無理なことです。それこそ人権蹂躙です。例えば、ことばが通じない人たち、乳幼児などにいきなり「人権」思想を云々するようなものです

たんなる事物でも、一片の思想とも異なる人権(human rights)とは何でしょうか?

法律的な概念だからいいのだとおっしゃっても、わたしは納得できません。なぜならば、人権(human rights)なる概念が、法律に明記されたのは、わずか数世紀前に過ぎませんし、法律にそのことばがあるということと、実質的に存在し機能しているということはまったく別だからです

人権(human rights)とは、幻想visionなのか?

これがわたしの問題意識の基本です
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タグ: 人権思想



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