当ブログの運営者は工藤英勝です 近代仏教史家で、とくに近代仏教と東アジアとの関係論に関心があります このブログではとくに朝鮮と日本宗教にかかわる問題とくに植民地布教についての資料とデータを提供いたします 大きな歴史認識や歴史解釈ではなく、諸事象と人間がどう動いていたのかを解析していきたいと思います 資料やデータにかかわる具体的なお尋ねには回答いたします

2018/10/25  7:00

人権思想へのカタバシス 補遺 ♯1  特別公開論文

●人権思想へのカタバシス 補遺 ♯1

占有possessio,possession侵害例外条件

1 本人がその行為に限り、許可を与えている場合
例:本人が依頼または許可している医療行為等

2 緊急避難措置の場合
例:本人の生命等の死活を左右する明らかな危険が及んでいるか、あるいは差し迫った状況

3 その他 その行為に限り本人が明確に許可あるいは承認している場合 たとえ公共の利益であると判断されても、不任意の占有possessioの侵害は原則禁止

4 留保事項 その行為に限り、本人が許可または承諾している場合でも、他者の占有を侵害し、他者の意志と自由を毀損する虞ある場合には、その判断は留保される
例:安楽死介助 嘱託殺人
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タグ: 占有 possession

2018/10/24  5:00

人権思想へのカタバシス 研究発表 正規版  特別公開論文

人権思想へのカタバシス 研究発表

要旨 本論攷は、人権思想を絶対的な真理もしくは普遍的な原理として無前提に承認するものではない。むしろ、人権思想全般に対する論理的かつ歴史学的な観点から過酷な耐久試験を施し、その価値を批判的に検証する。さらに、人権思想の前提と根拠およびそもそもの淵源に遡行(catabasis)し、その限界と原初的な思考回路を抽出する。その知見にもとづいて、宗教・仏教とりわけ曹洞宗における人権擁護推進の可能態を理論的に導出する。

正規版 閲覧用pdfファイルはこちら ⇒ catabasistohumanrightsthought_originalver.pdf


人権概念図はこちら ⇒ humanrightscatabasisch...
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タグ: 人権 anukampa catabasis

2018/10/23  6:00

人権(human rights)の謎  差別と人権

人権(human rights)の不可解さ


投稿者が最近とみに、人権(human rights)思想を主題にして、批判的な視点からもの申すことを怪訝に感じていることでしょう

その真意は、人権(human rights)という概念と思想とを、ごまかしたり、わかったふりをしないで、真面目に見直そうとすることであって、けなして済ませるためではありません

それならばなぜ、かなり過激な批判をするのかというと、従来の人権(human rights)の説明や解釈があまりに通りいっぺんすぎて、あてにならないからです。人権は「自由」「平等」から構成されるなんていうわけの分からない御説に私はごまかされません

それにしても、痛感するのは、人権思想の根拠については、不可解で論理的説明ができない謎の領域があるということです
精緻な説明をうけつけない存在が底辺に横たわっています

勉強して説明すれば人権はわかるということではなさそうです



これが問題です
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タグ: 人権

2018/10/22  20:00

平等とは  差別と人権

平等 即 差別 の示唆するもの

基本的人権を構成するもうひとつの基本権である「平等権」はさらに分かりにくいものがあります

「平等」equalなどと言われても、現実には差異や違いや格差だらけで、同じものごとはひとつとして存在しないということの方が、普遍的な真理のような気がします

仏教に典拠があるとされている「平等 即 差別」ということばがあります
よく禅のお師家さんが、社会的差別と平等とを相即させて、「差別があるから平等もある」という主張することがあります。もともと仏教教学では平等とは一切の現象の共通相、差別とは個別の特殊相を表現しているので、社会的差別や平等権とはまったく関係はありませんので、お師家さんの言説はもともと的外れです

しかしながら、そのような妄言を離れて、社会的な平等をよく考えてみますと、平等の内実は、画一性ではなく多様性容認ですから、ある意味で「差別(差異)性」に類似していませんか?

逆に社会的差別は、類や属性によって画一的な価値判断を下しますから、差別は平等(一律)性に類似しています

そのような意味で、「平等 即 差別」を見ていけば、単なる妄言ではなくなるのかもしれません
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タグ: 平等 差別

2018/10/22  5:00

人権(human rights)はキリスト教由来か?  差別と人権

人権(human rights)は、キリスト教由来の思想か?


人権(human rights)についての評価のひとつに、「人権(human rights)は、神の下の平等というキリスト教文化が大前提にある」という意見があります

要は、宗教的、社会的背景の異なる日本仏教は、異質の思想である人権(human rights)にかぶれてはならないという違和感なのです

一理はありそうなのですが、よく調べてみると、かならずしもそうとも断定できないようです

人権主義一辺倒にはなじめないわたしですが、人権=キリスト教という単純化には賛成できません

なぜならば、フランス大革命期に、人権(human rights)思想を社会的な標識として立ち上げた集団は、貴族やキリスト教会などの旧体制を激しく攻撃していましたし、革命を担った人々の多くは、無神論者や非宗教的な理性主義者であったことからしますとかならずしも人権(human rights)=キリスト教という図式は「自明」なことではなく、反証も十分可能です、

西欧社会が人権(human rights)を社会的政治的な正義として公式化したのも、人類史ではやっとの数百年にすぎません

人権(human rights)思想の土台というのは、ある時代のある宗教のある階層の一過性のトレンドではなく、案外根深いものがありそうです

人権(human rights)の根拠や起源にカタバシス=降下catabasisしてみませんか?
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