当ブログの運営者は工藤英勝です 近代仏教史家で、とくに近代仏教と東アジアとの関係論に関心があります このブログではとくに朝鮮と日本宗教にかかわる問題とくに植民地布教についての資料とデータを提供いたします 大きな歴史認識や歴史解釈ではなく、諸事象と人間がどう動いていたのかを解析していきたいと思います 資料やデータにかかわる具体的なお尋ねには回答いたします

2018/10/21  6:00

自由の不自明性  差別と人権

自由の不自明性について

人権(Human Rights)を実質化する基本権は、自由権と平等権のふたつであることは、「自明な」ことのようですが、わたしには、まったく「自明」ではありません。そればかりか、自由も平等も概念じたいが、矛盾・自家撞着していると思うのです

自由(権)とは、端的には

わたしがXする(しない)ことは当然(の権利)だ

ということですが、
わたしの自由を阻害するおそれ(これを「他者危害原則」という)は、わたし以外の他者ですから、他者が存在しなければ、完全な自由が実現できることになります。他者による干渉も危害もない自由の実現は結構なことかもしれませんが、いきなり無人島や他の天体に放逐されたように、これほど不自由なことはありません

完全な自由は、実は完璧な不自由を意味するのです

こんな論理的な矛盾を「自由」という概念は内包内蔵しているのです

自由は、他者を潜在的な脅威とみなし、思い通りにならない他者排除〈差別〉に向かうという反作用もしっかり見据えるべきではないしょうか?
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タグ: 自由 自明の理

2018/10/20  7:00

権利ということばや主張は嫌ですか?  差別と人権

権利は嫌いですか?

「人権」や「自由権」「平等権」などに使われている「権利」ということばとその語調が嫌いという人は少なくありません

実はわたしもある僧侶から「権利の主張は、利己的な我欲であり、少欲・知足を教える仏教とは相容れない」と忠告されたこともあります。その方は、人権問題にも理解のあるいたって真面目な僧侶ですが、本音なのでしょう

人権(human rights)あるいは権利という概念が、かなり誤解されているようです

権利とは、英語 rightを翻訳した近代語ですが、どうもこの訳語が今でも災いしているようです

英語 rightの意味はおなじみの「権利」のほかに

(道徳・法律上)正しいこと,正当,公正;正義,正道;正しい[正当な]行ない,公平な扱い.

(事の)真相,実情,本来の状態.

という意味が先行しています

英語 rightは、正しさ、当然なことや本来の状態を表した概念で、人権(human rights)は人としての正しさとか人の道(人倫)というくらいの意味にすぎません

権力の権のような威圧感と混同されているようです

「権利は嫌い」とおっしゃっるその信念まで変えてほしいとまでは思いませんが、「人倫」という程度のことばをそんなに毛嫌いしなくてもと思います

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タグ: 権利 right 人倫

2018/10/18  20:30

人権の歴史異聞  差別と人権

「人権思想は近代ヨーロッパから始まった」は本当か?



私は最近、人権(human rights)思想について調べものをする機会が多いので、素朴な疑問や理解できないことに出くわします

そんな問題をいちいちあげ始めたらきりがないのですが、その中でとくに検討を要するトンデモ定説があります

それは教科書や事典にも当たり前のように載っている次のようなくだりです

人権思想は近代ヨーロッパから始まった

論者によってその起源や提唱者はさまざまですが、オーソドックスな説明として定着しています

しかしながら、私はこの定説ですでにつまずいてしまうのです。たしかに中世ヨーロッパのルネサンス期を経て、ヨーロッパ各地で勃興した人権思想を否定するつもりはありません

しかし、よく考えてみてください。人権(human rights)という概念にもとづく思想や運動が、近代ヨーロッパ社会の産物だと規定したら、ヨーロッパ外の広大なエリアと、中世までの長い長い人類史は、人権のない野蛮な時代と地域だというのでしょうか?

民主政を創出したギリシャのポリスや、クレメンティア(寛容)の精神によって諸宗教の共存を許した古代ローマや、ヨーロッパ外の同様の歴史があたかも存在しなかったと言わんばかりです

数百年におよぶキリスト教徒同士の差別と拷問と殺戮にいいかげんウンザリしたヨーロッパ人が、人権(human rights)を見直さざるを得なかったという実状からすると、上記の定説そのものが欺瞞的です。こんなインチキな偏見をもとに立ち上げられた人権の歴史など百害あって一利なしです


人権の教科書や事典そのものが深刻な問題を抱えています

歴史観がおかしいです。何を見ているのでしょうか?

人権のなんたるかがわかっていない あるいは わかっていないこともわかろうともしない人たちが ‥‥恐ろしいことです



投稿者の勘違いと杞憂であればいいのですが・・・
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2018/10/18  20:00

道具としての概念調整  差別と人権

道具としての概念はチューニング(調整)されなければならない


人はことばをもつ動物であり、ことばによって文化を獲得して人間となったのですが、実はこの「ことば」が曲者なのです

「ヨハネによる福音書」の冒頭に「はじめにことばありき」とありますし、はじめての人類であるアダムとイヴが堕落したのも、この「ことば」であったという神話からしますと、人間の栄光と悲惨がすべてこの「ことば」に収斂されるということはおそらく異論はないと思います

固定化し制度化したことばの虚構性を指摘した仏教であっても、ことばを批判するということは、ことばを単純に否定するということではなく、ことばのもつ両義性(有効性と虚構性)を意識したものです

要は、人間はことばから離れられない存在なのですから、そのことばのあり方について十分に留意するということなのです

ことばは便利な道具です。ありもしない仮想の現実すら理論的に想像することから、科学理論は進歩していくのです

その意味では、道具としての概念は、有用性と限界があるのですから、やはり現実の状況に合わせて、適切にチューニング(調整)しないと、現実否定や理論倒れに終わってしまう場合も多々出てきます

人権(human rights)や自由や平等などの基本概念も、善いからといって、万能の力を与えてしまうのは、まちがいです。意図に反して、人権蹂躙や不自由や差別的状況をもたらしてしまうこともけっして少なくはないのです

ものごとは状況に適切にチューニングされているからこそ、有効性を発揮できるのですから―――たとえば薬にも毒にもならない微弱な作用しかもたないか あるいは作用が強すぎて毒性をもってしまうことなのか 所期の薬効が発揮できるのか そこあたりのさじ加減が概念の使用にも求められているのではないでしょうか
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2018/10/16  20:00

人権のインフレーションと空洞化  差別と人権

人権(human rights)のインフレーションと空洞化


昨今、人権(human rights)を否定する論者は別にして(とは言え、反人権思想の表明も、思想信条の自由が前提です)人権尊重、人権擁護の大合唱です

世の中の場合によっては個人的なトラブルも含め、あらゆる不平不満を、おしなべて差別や人権侵害と見なして、その人権救済を訴えます

人権は人事百般にかかわりますから、そんなの人権とは関係ないよとは切り捨てられないでしょうが、人権が普及するにつれ、それがインフレーションと空洞化を起こしているのです

さまざまな人権とされるイメージだけが増殖し、たとえば樹木の枝葉末節に目を奪われるあまり、人権(human rights)の根元が分からなくなってしまいました

これは困ったものです

いま一度、人権(human rights)の根拠に降り立つcatabasis必要があります
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タグ: 人権



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