当ブログの運営者は工藤英勝です 近代仏教史家で、とくに近代仏教と東アジアとの関係論に関心があります このブログではとくに朝鮮と日本宗教にかかわる問題とくに植民地布教についての資料とデータを提供いたします 大きな歴史認識や歴史解釈ではなく、諸事象と人間がどう動いていたのかを解析していきたいと思います 資料やデータにかかわる具体的なお尋ねには回答いたします

2018/10/16  20:00

人権のインフレーションと空洞化  余禄 エッセイ

人権(human rights)のインフレーションと空洞化


昨今、人権(human rights)を否定する論者は別にして(とは言え、反人権思想の表明も、思想信条の自由が前提です)人権尊重、人権擁護の大合唱です

世の中の場合によっては個人的なトラブルも含め、あらゆる不平不満を、おしなべて差別や人権侵害と見なして、その人権救済を訴えます

人権は人事百般にかかわりますから、そんなの人権とは関係ないよとは切り捨てられないでしょうが、人権が普及するにつれ、それがインフレーションと空洞化を起こしているのです

さまざまな人権とされるイメージだけが増殖し、たとえば樹木の枝葉末節に目を奪われるあまり、人権(human rights)の根元が分からなくなってしまいました

これは困ったものです

いま一度、人権(human rights)の根拠に降り立つcatabasis必要があります
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タグ: 人権

2018/10/14  7:00

人権(human rights)はキリスト教由来か?  余禄 エッセイ

人権(human rights)は、キリスト教由来の思想か?


人権(human rights)についての評価のひとつに、「人権(human rights)は、神の下の平等というキリスト教文化が大前提にある」という意見があります

要は、宗教的、社会的背景の異なる日本仏教は、異質の思想である人権(human rights)にかぶれてはならないという違和感なのです

一理はありそうなのですが、よく調べてみると、かならずしもそうとも断定できないようです

人権主義一辺倒にはなじめないわたしですが、人権=キリスト教という単純化には賛成できません

なぜならば、フランス大革命期に、人権(human rights)思想を社会的な標識として立ち上げた集団は、貴族やキリスト教会などの旧体制を激しく攻撃していましたし、革命を担った人々の多くは、無神論者や非宗教的な理性主義者であったことからしますとかならずしも人権(human rights)=キリスト教という図式は「自明」なことではなく、反証も十分可能です、

西欧社会が人権(human rights)を社会的政治的な正義として公式化したのも、人類史ではやっとの数百年にすぎません

人権(human rights)思想の土台というのは、ある時代のある宗教のある階層の一過性のトレンドではなく、案外根深いものがありそうです

人権(human rights)の根拠や起源にカタバシス=降下catabasisしてみませんか?
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タグ: 人権 宗教

2018/10/12  20:30

人権(human rights)への違和感や反発からの出発  余禄 エッセイ

人権(human rights)思想への違和感や反発


職務上、日常的に感じることは、数十年も人権(human rights)ということがらに触れながらも、人権のなんたるかに確信をもてないだけではなく、強烈な違和感や反発すら覚える機会が少なくないことです

もういい加減に慣れてもいい頃なのに、どうもすんなりと人権(human rights)に同化できないでいます

お前は最初から心がネジ曲がった曲者だと叱られそうですが、正直どうしようもありません

人権(human rights)思想そのものがそうだとは思いませんが、人権を崇拝する反体制的なスローガンを叫ぶ人たちへの不信感が根底にあるのです

彼ら彼女らが叫ぶ人権は、偽善的です。自分でもやれもしないことをさも当然だと言わんばかりに強圧的です

人権主義者を自認する彼女ら彼らは、分からない輩は最初から愚か者だと決め付けます。人間にたいする期待値のハードルが高過ぎるのです。間違いや失敗を犯す弱さやどうしようもなさをあたたかく包み込むということがありません

そんな彼ら彼女らも、凡夫ですから、失言したり過ちを犯します。けれども、絶対に過ちを認めて素直に謝るなんてことはありません。それどころか、とんでもない言い訳を繰り返し、自分を正当化するのです。明らかに二重規範・多重規範の詭弁でもそれを押し通します

こんな「優秀な人権主義者」のお歴々とおつきあいするうちに、私の心はいつしか冷たくなってしまいました

私の出逢いの縁がよくないのかも知れません。「俺は人権を何十年もやってるんだ!お前はまだまだ足りないな!そんなことも知らないのか!」とのたまう人には本当に辟易させられます

人権そのものがこんな傲慢な思想ではないでしょうが、人権主義者には心底ついていけません

人権への強烈な違和感や反発から、そのように感じる己れの精神の根源にカタバシスしてみたいと思います
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タグ: 人権 違和感

2018/10/12  5:00

人権(human rights)は、事物なのか?それとも思想なのか?  余禄 エッセイ

人権(human rights)はたんなる思想なのか?

人権(human rights)とは何か? という中味の詮索と検討を行う前に、はっきりさせておかなくてはならないことがあります

それは、人権(human rights)ということがらは、「不可侵の自明の真理」とされているようですから、意味の説明も証明の手続きもなしに、例えば面前の事物のように誰でも知覚できるものでしょうか? 人権(human rights)そのものは、概念で表現はされますが、事物のように見ることも触れることもできません

それならば、人権(human rights)を思想またはその産物としましょう。たしかに、人権(human rights)は近代西欧社会から立ち上げられた社会思想のひとつであることは、否定できませんが、たんなる思想ということになりますと、ある特定の人物や階層や集団にのみ理解される権利ということになります。人権(human rights)に不可侵の普遍性があると言われても、それを理解もできなく、合意もしていないものごとを強制的に享受するというのも無理なことです。それこそ人権蹂躙です。例えば、ことばが通じない人たち、乳幼児などにいきなり「人権」思想を云々するようなものです

たんなる事物でも、一片の思想とも異なる人権(human rights)とは何でしょうか?

法律的な概念だからいいのだとおっしゃっても、わたしは納得できません。なぜならば、人権(human rights)なる概念が、法律に明記されたのは、わずか数世紀前に過ぎませんし、法律にそのことばがあるということと、実質的に存在し機能しているということはまったく別だからです

人権(human rights)とは、幻想visionなのか?

これがわたしの問題意識の基本です
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タグ: 人権思想

2018/10/9  8:00

ある時はなくて、ない時は存在することがら  余禄 エッセイ

人権(human rights)は存在するか?

人権(Human Rights)ということばを聞いて、「それは大切だ」と肯定的な反応をする人もいます

「またあれか」と否定的か無関心な人もいます

その印象は状況や境遇に応じて人それぞれかもしれません

ただし、これだけは言えます

人権(Human Rights)とは、ある時はないようだし、ない時ほどその存在がありありと認識される
Vision(幻想)だと

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