
昨日の朝、勘違いしてた日付が続き〜鹿児島の北埠頭へと桜島から久々にフェリーに乗船、車はいつもの駐車場に入れて〜(^.^)
6月も終わりというに、雨が降ると天気予報。でもパラパラ程度、それよりも暑い〜海風が絶えず吹く幕末期から作られた石の護岸が見える桜島フェリーの発着場はどこか懐かしい雰囲気だ。幼少期〜母親に連れられて来た〜この港にはかつて貨物列車の引込線もあり、それを超えて確か天文館側は往来した様な記憶が蘇る。石炭を焼く匂いや蒸気の蒸せ返る気迫が子供心に圧倒的な異次元の世界を訪れた様な感覚を呼び起こす〜ヨナ記憶、まぁそれは後年に作り上げた映画の中の断片がないまぜになった物語だろうけど(゚∀゚)
絵は昨日の垂水側から見た大隅半島との付け根近くから見た桜島。今年も噴火は続いてはいるが、昨日は穏やかだった。
雨が降るという予報は鹿屋のそれであって、鹿児島は暑い夏至の太陽さえ照り付けたが、古い岸壁を利用した埋立地の公園の木陰に座れば、夏がやって来てるんだなぁ〜と実感された。別にそこじゃなくとも事実、もう6月も終わり〜夏越しの祓えもあちこちの社で執り行われたろう〜絶え間なく海風は吹き募り、穏やかに波打つ陽の光の煌めきは優しかった。
案内看板には江戸幕末の薩摩藩島津公の行列に紛れ込んだ英国人を斬り殺した神奈川生麦事件に始まる薩英戦争の説明が
、このお台場の地であるとの事、此処が薩摩藩島津の発展の1つのキッカケになったとも語ってるのかも知れない。
かつて7つの海を支配した〜とも知られた大英帝国の言い分に、見方はどうであれ、野蛮極まる様な未開の地の蛮族の長である島津の殿様以下が、堂々と己が主張を固くなに開陳してひるまなかったのは、確かに既に自ら鉄の大砲の製造をさえも終了してた開明さの自負もあったろう〜押し寄せたイギリス軍艦との戦争、その後の外交交渉など看板の説明以上の知識は持ち合わせないけど、現今の陳腐なアメリカ追従政策しかやって来なかった軟弱さは見られない。
さてと今日はもう七月、時計の針が半分回ったのだ。だが未だ雨模様で遠くでは雷さえも響く。 明るい雨の1日、何だかやるせないけれど新しい月が始まった。夏は向かう〜〜

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