
やはり昨日は昼過ぎにはポツポツと雨粒が空から落ちて来たが、何となく本格的にはならず〜の本気かしら⁈って曇り空の続きではあったが、夕方になるとヤッパリ〜降り出して、けども慣れる程でもない優柔不断な雨降り。降ってはいるが気にする程じゃなくて、けども風が緩急混えてあり気温は上がらず終い。夜の帳が降りた頃には辺りは確かにしっぽりと暗闇と共に濡れてはいた。
そう、昨日は新月の夜で陰暦では新しい月の始まり。先ずは真っ暗闇からスタートなのは承前、さてさて何しようか〜ともふっと考え込んだりもしないではないが、年老いてもうそんなに時間が無い、余裕さえもナカ身。子供等や若い宮仕えの若人達他から見れば、タップリと余裕綽綽シャクシャク〜の老いぼれが何ぬかすっても言われかねないナ。
兎も角、手当たり次第に読書や身体を鈍らせないヨニ気分は充分に保ってるが〜本来のナマクラ怠け者性分で、ヤッパリ考えただけ。
頼んでたトミカの小さな樹脂製のケース2個口が飛脚便で宙に浮いた状態だったが、3度目の正直〜配達を待つ間に、昨日書いた様に少し追い読したら、南島祭祀の際に歌われると言うか詠まれるチウか誦唱される祝詞や歌謡の成立と村落共同体の成立とか歴史的な構成に関連した対談も読み進めたのだった。
大和中央政権が編纂を開始した古事記や日本書紀などが7〜8世紀、それ以前には文字以前〜漢字文化文明の侵入以前の時代だが、明らかに我が列島にもそれ以前の遥かな昔から住み着いた土着の民が営々と生活してたし、細々とではあれ文化乃至文明以前の文明みたいな生活の知恵を絞り出しながらも活動した形跡がアチコチに見られる。
タダそれは例えば大陸中国の古代文明の黄河流域を起源とする連中←〜と言って置くが決して誹謗する意図は無い、日本列島の我らが祖先とは今一つ同型とも考えられない先進性を持った集団であるのは確かだけど〜彼らが既に甲骨文字以来の漢字文明を発明して自分等の素性を歴史書としても、トオの昔に成立せしめていたのに我が列島ではソレこそ文化文明の果つる、イヤそんなの全く無関係な単に人間的なだけのこの世の他の動植物とは違う霊長類な人々の生活があった様だ。
鳥を追い獣を捕らえ魚介を食べて木の実なぞ蓄える暮らしを立ててた縄文時代、そして弥生時代になり漸く定着した狩猟やら採取採集生活が農事とも連関しながら始まった。それから数世紀の間に言わば空白の時代、列島が古代大和王権の支配下に平定された〜迄にナント無数の村落共同体が吸収合併されたと言う事だろうか?

偶々の出会いはこの図、FBかはの拾い物。私らが高校までの学校で習ったのは大体がコンナ感じ、マァ北九州にもかなりの前方後円墳が集中してるが、ヤハリ大隅半島には古墳が無い状態。ココが文化文明の果つる地!土人國だぞ〜(^^)
明治薩長新政府は無理矢理に薩摩鹿児島に大和の祖先の陵墓を薩摩半島は川内や大隅半島の吾平などに指定したが、考古学会では西日本には余り大した前方後円墳は見られないとしていた。その表現が斯様な我が南冥の地、大隅半島の空白をも示してはいる。
話が飛んでしまった、考古学の問題でもなくて南島〜琉球を含む南西諸島の宗教儀式、宗教と言っても古くから伝わる伝承祭礼のソレなのだが、その掘り起こしが進んでるらしい。八重山や宮古はおろか、沖縄本島は当然で、久米島やら波照間や奄美や与論などにも各々の歌謡となり祝詞となり、宗教的な呪術的な神秘的な祭儀的な形態として残存してるとか。
この島々は列島がヤマトに組み込まれても尚その離島ゆえの独立した文化文明を保ち得て琉球王朝の中山征服の13世紀頃迄も、遥かな昔の古代的な共同体社会の形態が残ってたンじゃなかろうか、ってのが話の中心みたい。
話はまだ終わらないので又も続くかも知れない。
琉球王朝の『おもろそうし』が又ヒモ解かれねばナランけども、わが本棚にはお飾りでしか見られなかった。
ソレ以外の島々の古代歌謡や伝承民謡などを収めた集成も図書館にはあろう、学者の領域には踏み込めんけども存在は確かめよう。
すると何が問題なのか? 崩壊しつつある村落共同体の限界集落化なのだ。マァ短絡的に話が及びそうなので、取り敢えずはメモとしてここまで〜
それにしても今日も又曇り日、雨マークは消えたものの関東〜帝都よりも寒い日は続く。短い秋となりそうだなぁ。昨日は朝方には畑で大蒜ニンニクも少し植えた。キャベツや白菜カットに大根玉葱など当地で今は無い野菜などを買った。
柿の実が甘くて大根ナマスに和えて食す。美味、砂糖なぞマズ要らん。暫くは大根の柿ナマス仕立てが我がブランニューメニュー。

0