

他人さまの半月過ぎの画像をお借りしてのblog 。昨日か一昨日からだったか〜桜島の火山灰が噴火して南東方向へと流れた模様で、昨日一昨日辺りから辺りは何やら薄っすらと白けて見るもの全てがボヤけてしまった。
この所の陽気に空気が乾燥してて気分も良くない、今夕も又ニュースで1500m以上の高さに桜島の火山活動が活発化〜まぁ、ドカンドカンと爆発してる分には全天を覆う程の大爆発には至らない様だがしかし、この吹き上げて降り積もる火山灰の厄介さには慣れっ子とは言え、シャクにも触る。けども致し方は無い、神のみぞ知るって大自然の言わば脅威、それこそ上手く付き合うしか生活の術はない。昔からそうやって人々は、動植物も含めて付き合っても生きて来たのだ。
いつもは洗濯物を干しっ放しにして外出もしてたが、昨日は早々と家中へ取り込んでからだったし今日は洗濯はしなかったので、灰まみれになる事は無かった。干してたらばネコ灰だらけで又洗って干さねばならなかった〜^_^
高隈山の峰の後方にモッコリと湧き上がったのが桜島の噴煙の模様。優に50キロ位は離れてるのだが〜〜
絵は5年前の今日ノで、偶々この日と同じく奇しくも爆発したのだった。縁なるかなぁ?

さてさて、明日は珍しく県都の鹿児島市で高校の同期会が開催されるチウ。
から、誘いを受けなくて思案してたがバイトも何とか代理者が出現したし〜本来は第3土曜日だけは定期的な休みだったのたまが〜この亡くなった同期の顔を眺めてたらば、ヤハリ滅多に会えなくなった旧友らとも顔合わせしたいとも思い直して、クラス幹事の同じサッカー部先輩に当たるY君は電話したのだった。
彼はヤハリ還暦を待たずして癌に倒れたのだったが、幸か不幸か〜この私はいたずらに七十の馬齢を重ねられたのだ。我が父の確か一周忌だかに駆け付けてくれたのだった時の記念撮影。まだ病魔は兆してもいなかった。と言うかその後の様子は知らなかったのだ、どうも急激に癌細胞が活性化して高校時代にはサッカー部の先頭を走ってたのだが、それだけ鍛えられた肉体を内部から蝕んでったみたい。
京都の立命館時代に嵐山の下宿先でも良く遊び、又上京した彼を法政他の東京案内もしたし、入り直した京都外大を出て先にココ田舎へ帰郷して落ち着いた生活を送ってた折にも、この私が帰省する度にも飲んだり語ったり〜旧交を温め合った仲ではあったのだが〜結婚して子供が生まれてやがてプツンと連絡が途絶えた。その切れた糸をより戻してみたらば、いつの間にか泉下へ1人下って鬼籍に入ってしまった。
墓を教えてくれる方途もなくて、そのままだ、どうせ又あの世でその内に会えるだろうとは思ってるけども、ホンに死んだ奴は戻って来ない、戻って来る筈はないがこおして時々思い起こす。この良き友よ、死者を弔う季節とぞ、我が亡父のお墓の前で祈るだけだが。合掌。明日はもう1人、出来るかなぁ〜

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