
今朝は摂氏3度、曇りながら先程は陽射しも有るにはあったがほぼ一時の間、又もや空はどんよりと曇っている。明日は雨降りの予報、もっと気温が下がればコレは雪を降らすのだろうが、寒いノはイヤだなぁ〜知らぬ間に雪が舞い落ちてたりしたならば其れはそれで風情も有って、南国育ちならば有難い、ありがたや〜とも大人気なくも思うも。
それなりに冬季ともなれば北風や北西北東の風に乗って火山灰が降り積もる大隅半島一帯に生まれ育った宿命、景色は薄っすらと灰色っぽいのが冬景色、それに雪が降りかかるとまぁ少しは洗われた白い世界も現れるのだが〜
前々回のblog画像に掲げた、歌人馬場あき子『花と余情』〜能の世界(淡交社1975年刊)から写真も勝手に引用、写真家は吉越立雄、この人も能狂言の写真家として活躍らし。
能楽、お能、薪能など色々と機会は有ったし、帝都東京は新橋の駅を降りててくてくと東銀座の方へ歩いて歌舞伎座を過ぎた辺りにだったか〜演舞場しか場所は覚えてないが〜イヤアレは長唄だだったか? すると能楽堂かどこか〜チラッとは観た覚えも無きにしも有らず〜ナイに等しい。けど学生時代の仲の良い友人夫婦〜学生結婚した始まりは恋人同士の2人に誘われて〜方や能楽研究会観世流に方や茶道研究会、コレも耳年増でソコソコアレコレは聞きしに及び〜程度。
けどもこの能の世界、その幽玄の美とか云々はマァ聞き齧りとはなったのは友人のおかけかも。
こんな列島の果て南冥の地にはそんな伝統芸能なんざ箸にも棒にも引っ掛からない生活無縁の文化文明の未開地、それが昭和から平成そして今は令和元年の歳末とはなり、兎も角も世は情報IT電波世界に溢れるカルチャーも有って、知りたけりゃバーチャル空想上でも容易に欲しけりゃ知り得る時代となった。
私もその恩恵を被って余り有るのはアリガタキ有難や〜
〜▼「高砂」という曲は、能としてよりも婚姻の席で謡われる祝言の謡として知られている。「四海波静かに、国も治まる時つ風、枝を鳴らさぬ御代なれや、あひに相生アイオイの松こそめでたかりけれ」と謡われることもあり、あるいはまた「高砂や、この浦舟に帆を上げて」と、後シテの登場を待つ<待謡マチウタイ>の部分が〜〜前者には奉祝の心があり、後者には舟出への祝賀の気分がある。〜随所に祝いの心を託しやすい詞章がみられるが、本来「高砂」とはどういう能なのであろうか。
「高砂」の古名は「相生」とよばれた。播州高砂の浦の老松は女であり、摂州住の江の老松は夫であって、またろともに相愛の情を通わせつつ共白髪トモシラガの老いを重ねてきたというものである。その長命と夫婦の契りの変わらぬめでたさが人々の記憶にも残る古い巷説をもとにして考案されたものだ。
古く『古今集』の序にも「高砂住の江の松も、相生のやうにおぼえ」とあって、この古くめでたい伝承が、当時すでにこれだけの説明によって共通理解に達するだけの広く深い定着度をもっていたことがわかる。なお『古今集』の雑歌上の部には次のような歌も収録されている。
★われ見ても久しくなりぬ住の江の岸の姫松いく世へぬらむ よみ人しらず
★住吉スミノエの岸のひめ松人ならばいく代か経しととはまものを よみ人しらず
★たれをかも知る人にせん高砂の松も昔の友ならなくに 藤原興風
高砂の案内冒頭だ。中世の芸能としての世阿弥を待つまでもなく、それよりもずっとずっと古くからコノ相生の松にまつわる民間(口承〜口碑的)伝承を骨子とした脇能とよばれると解読してくれる。単におめでたいのでなく、併せて神への深い祈りへと通じる意味深なのをそこで知ることになる。
まぁ〜華燭の典などで朗々と謳い上げられる時は、愛でたメデタぁ〜の若松さまよぉ〜と同じく同情しても良いのだが、能楽としての高砂のこと。
マ、それでも私が賀状に引用したのも単なるご紹介、更にはチト神仏への感謝〜命の長らえた?存えた?ナガラエタ意味合いも込めた積もりタモリ^_^ まさか国柄の安泰や民心の安心立命なんぞを奉祝〜の如き不遜フテイな奢りはナイ。細やかに知る人や長い友垣らへの気持ち。

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