


昨夜は雨は大して降らずに我ら祓川小の同期が男女9人で、居酒屋つぼ八にて賑やかに食べ飲み。二次会もそのままスナックへと雪崩れ込んで〜チト酔ったかなぁ〜
今日は、宮崎の市内で寿司屋を営んでた同級生のお内儀さんが数年前に他界された御母堂の実家に帰るとかで、ついでに皆んなでその田舎の街まで行ってみようかという事になったのだ。遠足気分〜^_^
会社経営のこれも同級生が車を出すチウて、この立派なミニバスに同乗。高山〜肝付町の国見トンネルを抜けて内之浦へ入り、そこから先の岸良(きしら)の町へと抜けた。風光明媚、岸良の海岸線は静かに弧を描いて美しく佇んでた。
恥ずかしながらどちらかと言えば山の中の住まい、こんな海浜の古い町の中の住まいを訪ねたのは久し振りであった。
実は高校の同級生が大根占の町の家を去年暮れ近くにご両親も他界されたし兄弟も他県に住まい既に縁故のツテも無くなったので墓終いならぬ家終い〜処分解体に帰郷したと、東京に帰りしな我が家に立ち寄り報告を聞いたばかり。
遠くに住まうにはコンナ田舎の交通にもかなり不便な田舎の家に、もうそうそう帰れないと言う。
コンナ田舎にへばり付いてるヨナ熊にして見れば、都会暮らしの友人が些か羨ましい、けども墓参りだけの目的で年に一度とか数年かの帰郷は、血縁有らばこその実体があるし、内心は若い頃なら兎も角も確かに不便極まり無い行動、しかも既にご両親も不在で人間が住まなくなった家屋の去就は、墓所のそれよりも深刻である。
老朽化した家屋のメンテナンス、維持補修を含めてソレラ全ての面でヒトが住まないとなると周囲の自然環境は俄然変化変容して主体の立ち位置が変わり、次第に時間経過と共に自然の猛威というか力学転換で少しずつだが周囲の自然に溶け込む様に人工の構築物も崩れ落ちてゆく。
その有り様を今日はマジマジと新たに見て来た。まだ外見からは立派な家屋敷だが、隣に住む弟(オジさん)が偶には家を開けて空気の入れ替えや仏壇に線香上げたりはしてくれてる様子、でも友人が奥様はもうその実家を畳みたいとか。
友人も既に年忌も済んで、わざわざ1日かけてココに往復しながら、家ばかりが田畑の雑草や藪払いなどはやり切れない、身体が持たないとか。つまり住んでもないから張り合いもなかろう、遠くに自宅もあるから尚更交通不便な過疎の街までソウソウ未練はないとの言葉に納得するしかない。
エエ処じゃなぁ〜と一緒に来た友人らが口を揃えてハシャグのだが、イザそれが自分の事となればヤハリ自体の深刻さは計り知れない。
天井から雨漏りして穴も空いてるし、納屋の方の瓦は苔むして今にも崩れかけてはいるが未だ倒れそうにはない。屋根瓦の処分だけでも大変で、木材は解体して自分で燃やせば良いが〜と自嘲する。
大根占の友人宅は、やはり海が近いからか家の中がカビだらけで使い物にならないとか〜そこもヤッパ深刻な事態となってたとか。
過疎の実態は人間不在という事態に陥ってるのだが、それが深く静かに進行しているのがホントは最も深刻なのだと思われる。
帰りは山越え、大隅半島を突っ切る形で田代町から根占〜大根占と走ってくれた、春の1日でもあった。

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