
昨日の予報では今日は昨夜の内から雨との事だったが、豈図らんや〜降らず、そして今日の夕方から雨と訂正してた。
なるぼど成る程〜春の陽気でもう暖冬どころか初春も過ぎて春とはなったヨナ気配。それでか?〜イヤイヤ耄碌モウ六振りが出たのが標題の「春来にけらし」〜あやふやなので検索したらば案の定、
夏来にけらし〜だ。恐らくは初夏の候か、それを誰かさんは小春日和とも勘違いしてたッケなぁ〜アレは晩冬から初冬か冬の温かな雰囲気であって多分に誰しもが説明を肝に銘じねば、その様にも表現的にも勘違いしてしまうだろう。別に問題はない、文学上の表現であるし事実〜気配的にはヒトの感覚なぞソンナもの。
ゲンダイでは全てが片仮名表記の様に記号論的な知識が溢れてる、ゲームやコンピュータなどAI世代がハバを利かせて我が世の春を謳歌する時代、ロートルが壊れかかったり腐り始めた脳味噌のひだではカビも生えよう〜^_^まだ海馬の効力〜前頭葉やら右脳左脳の中を伝達シナプスが一応はノロノロとでも流れ走ってるのだ〜そう思え!
★ 春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣乾かしたり 天の香具山 持統天皇
万葉の和歌から取ったチウこの世の元号の初めての春2年、因みに1年は無いノね〜★春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天ノ香具山〜が小倉百人一首に採られて国語の教科書では良く知られた歌ではある。
〜曰く〜〜「万葉集」の歌人としてもよく知られている持統天皇(じとうてんのう・大化元年〜大宝2年 / 645〜702年)は、天智天皇の第二皇女で、叔父である大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)の后となられ、持統天皇の弟・大友皇子(おおとものおうじ)と大海人皇子が争う「壬申の乱」の時には、夫である大海人皇子と行軍を共になされました。
天武天皇(大海人皇子)崩御の後、皇后として四年間政治をとったあと帝位につき、 第四十一代の天皇となられました。
また、持統天皇は即位の後、都を飛鳥から大和国の藤原宮(奈良県橿原市)に移され〜〜
ホントは大和王権の安定的成立を寿ぐかの意もあろう、最大の戦いの世に云う壬申の乱の裏事情を最も知ってたであろう女権天皇、あの大和盆地〜奈良の橿原に数年前に旧友が案内してくれた時に語ってくれた。
コンナ狭い小さな村里から日本は起こったのか!と〜
大戦争の如く言われる壬申の乱そのものも、ホントはアソコの有力な部族の十数人が騙し合いや殺し合いを経て、周りの地方豪族を段々と家来にしていった、平定していった過程としての闘い、謂はば喧嘩なのだ。馬を駆って鉄の兜や鎧に身を固めて弓矢や刀や槍を突き合わせたイメージが起きるけども、どうも事実はソンナ物々しい大規模な軍勢同士の戦争〜イクサでもなかったらしい。
私たちは今の時代からの眼でどうも物事や過去の事象をとらえ勝ちだが、それこそ事実は小説より奇なり〜である。
それがしかし人間の記憶脳の為せる技なのかも知れないが、シッカリと歴史を考えようとしたらばヤハリ透徹した見方が必要となる。
けども何時までもソンナ悠長な時代の雰囲気に気圧されてしまうのも確かに何だかなぁ〜とも見識が分かれるのだが、タイムトラベラーとして過去の歴史をこの眼で見聞してキチンと把握もしたいかも。
我々はどうも小説や作り話と歴史を混同してしまいかねない、ヒトの記憶はフィクションはフィクションと明確に割り切れるとは限らないからだ。気配や雰囲気に感情を流されて、事実を捻じ曲げた例は歴史上も幾らもある。
マァ、それはそれとしてタイトルの様に他愛無いヨナ勘違いも又あるのだ。

0