

台風の右側に当たるからか今日は不定期的に俄雨がやって来る。夕べから夜間にも又目覚めた朝日が昇る前頃にも雨は降ったり止んだりを繰り返した。
ソレは夜になってもう寝所に就く時刻になっても同様、それでも昇りつつあった朝日も有ったし、日中も晴れ間さえ見えたが、どちらかと言えば曇り時々雨、テナ具合か〜
宵の口には夜空にクッキリと半月が光って見えた。そう、三日月よりも光源も太くなり正に半円〜楕円形の半分、♪〜浴衣の君はススキのカンザシ〜〜って拓郎ブシを毎度思い出す。
iPhoneのレンズなので、相変わらずのピン呆け〜ピント外れ、ヤハリちゃんとしたレンズカメラが要るってことだな〜半月なんぞアップしよう等と気の利いたフレンドも居ないし、マァ見えただけでも良しとしよう。冗談はヨシ子さん〜
台風の影響で昨日から晴れてても曇りがちで時に雨、って予報は当たらずとも遠からず〜で、野良仕事にも出掛ける意欲が湧かず、偶々だろうが若い頃に買い溜めていた小説、純文学モノを、それも同世代作家の学生運動〜全共闘運動を主な舞台にした小説を読み進めた。
便所に座って読み始めたのが、三田誠広(まさひろ)の『僕って何』だった。
確か学生時代には、60年安保闘争時代の小説がそれなりにもてはやされた様だが、私は特に感銘を覚えたのは無かったが、人伝ヒトヅテに『青春の墓標』とか『二十歳の原点』とかは読んだし、また学生歌人として恋と革命に死す〜たなどと威勢の良い情念に浸り込んだかの国学院学生、岸上大作の『意思表示』などは友人からも強く勧められて、10年以上も前の時代の殺風景な学生運動にも薄ら寒い感じさえ受けたものだ。
政治的人間の死、イヤ政治運動に関わりながらその渦中で自死せざるを得ない事情とは、ヤハリ精神的な心の病を得ていた訳である。胸の病〜特に心臓病や肺結核などでの病死も又見られたしこの間も触れた白血病という避けられない死因にも経験したが、ヤハリ私らの時代に特異な死因が、いわゆる内ゲバ殺人による死である。
特にかつては70年反安保闘争を前に一度は合流した三派全学連のそれぞれが、敵対し合う様になったのは主に大学の学生運動の渦中での主導権争いであり、初めはセクト間の争いや諍いであった。
だから党派に属さない一般学生の中から出現した全共闘は特異な運動体でもあった。又それをも牛耳ろうとして暗躍したのもセクト党派でもあったのだが、それは日本共産党系の民青同盟による学生運動とも違い、つまりは反共産党系〜ドチラかと言えば社会党寄り、いわゆる反代々木系とも呼ばれた。共産党ほんぶが国電の代々木駅近くに有ったからだ。
ア〜こんな事書いても何にもならん、けども仕方ない。
高校でサッカー部の先輩で友人の1人は唯一のその民青で活躍したとか。大学が違うので良かった、私の周りだったらば確かにランチ迄は行かないがタンコブの一つや二つは貰ったかも知れない。
70年に入る前には逆に民青、共産党系の学生運動が盛んであったらしいが、アノ日大や東大闘争が燃え広がるに連れて立場は逆転した様だった。
さてその2冊の三田誠広の、もう一冊は『野辺送りの唄』。どうも先の『僕って何』と追を為す様だが、買った事さえ覚えてはいない。普通は新刊本は滅多に買わないのに、この2冊は古本屋のラベルやシールも無い帯付きの初版本なのだ。
湘南は辻堂か藤澤の駅近くの文学部出の同僚の高校教師宅に泊まった時に、芥川賞や直木賞作家の初版本が机や本棚にズラリと積まれて並んでいたので、それで感化されたか?〜
まぁ中身はカナリ内向的で単なる恋愛ストーリーではなく、かと言って青春ドラマてはない、ヤハリ一つの学生運動をバックにした私小説には違いない。
買ったのも多分、アノリンチ殺人を行ったカク共同革マル派と中核派、それに青カイ解放派や赤ブントなどの事どもも書いてあるか?野次馬的な興味本位の方が強かったのかも知れない。
双方共に政治闘争の最中に運動の敵対活動で殺人にまで発展してしまったのだ、もう絶対にこの日本では連中の活路は見出せないし、その陰惨な対立するセクト間だけでなく、同じ路線内からも裏切りや脱落としていわゆる同志打ちリンチ殺人を犯した解放やブントも含めて、もう誰もが忘れてしまいたい70年代の暗闇物語だろう。
この2冊の他に今は又別に同年代を生き抜いた作家による小説を読み始めた。
明日もまだ雨降り、時間は未だある。ショウモ無いけれども、どうせコロナ禍で大した動きも取れない、雨降りだし読み終える予定だ。

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