
昨日も一昨日もさして強烈な秋の陽射しに照らされた日ではなかったが、吹き来る風は冷んやりとした爽やかさはあった。
何処からともなく匂う馥郁たる仄かな香りの正体は、多分この画の様な金木犀の花の匂いだったんだろう。
目が覚めたら今朝は雨が降っていた。さして強くはないがこの雨降りは天気図を見たら低気圧に連なる秋雨前線のせいらしい。台風が来なけりゃこんな雨の朝も又ある秋の1日。ずっと晴れ間続きではない。
さて今度の満月は中秋の名月だとか、昨日の夕方にはもうくっきりと半月と満月の間くらいに膨らんだ待宵月が闇となる前に西南の空に昇ってた。
満月の夜を待ち望むから宵待月とも呼ばれるそうだが、明るい夜はやはり何かを期待もさせるのかも知れない。少なくとも真っ暗闇ではない。
▼〜 来るはずの人を待つ宵。
★待宵のふけゆく鐘の声きけばあかぬ別れの鳥はものかは」〈新古今・恋三〉


ふと出て来た小雑誌『本の手帖』なる古本、もうとっくに廃盤ならぬ廃刊の憂き目にあったもの。寄稿者は無償で執筆した様だがコノ本は定価250円とある。しかも裏表紙には紀伊国屋書店の新書広告、表紙裏には岩波書店の〜最後の頁と言うか裏表紙裏には日動画廊の〜とか全面ページ広告も載ってるから大した雑誌である。
▼〜昭和36年3月〜45年5月、全83冊+別冊、昭森社発行。
日本および海外の現代文学と芸術を出版の面に重点をおいて趣味的に研究した広義の書物雑誌。
昭森社主・森谷均は、創業25年を期に数年来の企画に基づき「商業出版の泥沼から足を洗った小生の当然の帰着地」と自認しつつ、
書物愛と学芸趣味の心豊かなサロンを目ざし、「出版界における30年の蓄積で以てはじめてなし得た」と語るように、終始全部タダ原稿で、各界専門家を無報酬で企画立案に動員、電話一本で思う存分に豪華執筆人の原稿を集めた。
1・2号は構成者北園克衛、第3号から武田文章、のち大村達子が編集に参加。
昭和44年3月、森谷均死去により、大村が昭森社を継承、同年8月、83号で本誌は終刊、昭和45年5月に別冊を発行。
何時だったかは忘れたが一時期この雑誌のタイトルの竹久夢二が人気の再燃が起きた頃か?神田の古本屋街だろう〜買い求めた様だ。小さく鉛筆で250の数字が見て取れる。鉛筆だから消しゴムを使えば消えるから古本屋さんで買ったとは思われない、そこも心憎い小技とも言えよう、世の中には相当に潔癖症の人も居て、他人の持ち物や触ったモノなど触りたく無いテ崇高な輩も居られて、当時でも古本屋とか古書店など毛嫌いする学生さえも見かけたもの。
さてこの竹久夢二の人気振りの中には画像の様に歌謡曲ともなった詩画さえも登場したそうな〜別れた女が良くカラオケで唄ってた1つにこの歌もあった。確か女優で歌手の倍賞千恵子だったか〜も歌ってた。イヤいや大正ロマンなのだからもっと古い頃の乙女子が鶯張りに声を震わせてたろう。
この歌は宵待草って⁇ 月じゃなくて、草。
▼ “待てど暮せど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな”
明治の末期、恋多き青年画家の竹久夢二がひと夏の避暑地に於ける悲恋物語〜そう思えば何となくそんな風な場面も浮かんでくる。
女心は秋の空!って文句も又ついてまわるもの、ソレは別に女婦女子ではなくとも男でも似た様なもの、兎に角もメロドラマにはお似合いですな〜^_^

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