
▼ジャズの巨匠
K・ジャレット氏、脳卒中で復帰ほぼ不可能に〜
コレは又驚いた。最近はあまり最新の情報なぞ聞いてもなかった、と言うかラジオから流れる評判や評価とか音楽ニュースやらでしか滅多に聞かれなかったかも知れないが、土曜の午前中のラジオから漏れ聞いたもの。検索したらヤハリそうだった、脳梗塞を起こして命は取り止めてるが右手はほぼ麻痺状態〜確か左指が僅かに動くとか〜
〜【10月22日 AFP】ジャズ・クラシック界を代表する世界的なピアニスト、キース・ジャレット(Keith Jarrett)氏(75)は21日、2度の脳卒中により体の一部がまひしており、公演活動に復帰できる可能性は低いことを明らかにした。ジャレット氏の容体公表を受け、音楽界には衝撃が広がっている。
ジャレット氏は米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)に対し、2018年に2度脳卒中を発症し、まひ状態となったと説明。「左半身の一部はまだまひしている」「つえを使って歩くことはできるが、ここまでくるのに長い時間、1年かそれ以上かかった」と語った。
〜〜現在は片手でしか演奏できず、「両手演奏のピアノ曲を聴くと、非常にもどかしく感じる」という。「シューベルトや、何かソフトな演奏を聴いたりするだけでも、うんざりする。自分ではできないとわかっているから。そこまで回復する見込みもない。左手は回復したとしても、コップを握れるぐらいかもしれない」
ジャレット氏は数十年にわたりジャズとクラシック両分野の演奏・作曲で最前線に立ってきたアーティストで、「ザ・ケルン・コンサート(Koln Concert)」は最も売れたピアノアルバムの一つに数えられる。(c)AFP
筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群)と言う 病を生憎と知らないが病気療養の結果で、また割とつい最近まで演奏活動は続けても来たらしい。それでも結局は脳卒中〜脳梗塞が脳動脈塞栓症なのか他との合併症によるものなのか〜明確な詳細は不明。でもどうにかこうにか日常生活への復帰は果たしてる様だが、つまりは演奏活動の能力が極度に欠落してしまった様だ。悔しくて仕方無いだろうが、人生は命あっての物ダネ〜オン歳75才、まだまだ現代では活躍出来るかの年齢なのでどうにかして再起して貰いたいが、それで又ストレス抱えたり下手な復帰なんぞ考えないで気長に!麻痺からの脱却が可能ならばそのリハビリに専念して貰いたいものだ。
キース・ジャレットのピアノ曲をを初めて聴いたのは、未だ学生気分もそんなに抜け切らない20代後半、わが最も良きアドレッセンスに繋がる〜死んだ畏友が良く酔っ払って自嘲気味に使ってた、青春の門が閉じようとするかの時期にあたる。
田舎出のクマがタドタドシく西洋音楽に気触れたように、JAZなる楽曲にも耳を傾ける様になったのはヤハリ首都東京〜帝都シティボーイの仲間に入りたかっただけの下心が醸し出されてたのかも知れない。知った被りで親しくなった大学のジャズ研の友人と酒を飲みながらスウィングジャスやビバップ全盛頃のジャスミュージシャンの誰それ、スタンダードジャズのどうのこうの、ドラムス、ギター、ピアノ、サックス、トランペット、トロンボーン、ベース他細々とした各種の楽器も含めてそれなりの耳年増的に聞き役でご教授して貰えたもの。
その些細は何ともアヤフヤで、ホントに知った被りでの好きモノとして、当時はズージャなんて業界用語なども飛び交ったりもしたようだが、いつの間にか表面的な知識だけは得られたもの。けれどもブルースなるものがまた一方では底力をズッと持ってて、それはビートルズやローリングストーンズを待たなくとも既にアメリカと言う大国は伝統的な音楽の流れとして発達していた。〜と言うのがやはりそのジャズなる音楽を陰に日に教えてくれた下町は育ちのW君が弁、我が国にはもうエルヴィス・プレスリーと言う巨人が熱狂的に支持されてもいたが、マァ兎に角ジャズ音楽なるものの響きがヤハリ自分的には心地良くも感じられる様になったのも確かである。
山形の友人は現代詩を書きながら一方では熱心なロックの愛好者でもあって、彼にはシカゴ時代のエリック・クラプトンばりのギターを下宿に泊まる度に聴かされたもの。
カゴッマは矢っ張り土人國〜文化果ツル南国過疎地であった。圧倒的に気圧されてもいたが、そこは破廉恥な厚顔無恥丸出しで聞き回り齧り付いて教えて貰いながらの金魚のフン〜テ具合に少しは成長もしたもの。
あ〜又もや脱線、キース・ジャレットとの出会いだったな、FM放送の矢っ張りジャズ番組で聴いたのが始まり。その頃には弟と同い年の彼女と同棲生活〜ヒモとも言うかも知れないがバイト生活の中で苦心して、ピアノが弾けるアパートに住みたいチウ贅沢な(^^)〜切実な希望に添ってどうにかコウにかカッコだけは、ピアノを置いた2DKの長屋住まい。
↑コレは建築中のアパートに契約中にピアノを置けるヨナ土台構造にして貰う条件で新婚生活を始めたもの。
まだ30歳にも届かない世間的にも半端な青二才だった。
良く死んだ畏友も時々は泊まり掛けで訪れてくれたし、死ぬ最期の5月連休にもやって来て酔っぱらったまのだ。
その彼とのヤリトリの中に確か、キース・ジャレットの世界的にもチョー有名になったケルンコンサートについての感想も確か日記か手紙かにあったはずだ。
ピアノ演奏者の彼女ちうか妻はこのピアノの巨匠とも呼ばれる様になるキース・ジャレットが当然にも古典ピアノの素養があるのを感心して一緒に聴いてたのだが〜
友が死んだ後に僕らは離婚したのだった、確かマダ彼女は30歳の誕生日を迎えてはいなかったハズ、今となってはもう遠のきつつある昔の記憶であるからドウのこうの細目も定かでなくなったのは相変わらずの酒毒のせい。
コレも病気なのだ。
すっかり弱くなったものの〜こんなに寒い夜はヤハリ飲酒で身体もココロも温めて見ようと、又ぞろ酒瓶を抱き抱える夜の到来。生憎と雲が広がりホボ満月の月光さえも見えないものの、懐かしいピアノの調べは蘇る。
そう、別れた彼女も共働きの会社が休みの日曜日には良くピアノを練習しなきゃ〜などと奏でてもいたもの。自分的にはクラシックの練習曲などは余り馴染めなかったから、偶にコレ知ってる?とかポピュラーなメロディは聴かせてくれたし、一番印象に残ってるのは「詩人の魂」ツウ調べ。
彼女の魂は何処をどの様に彷徨ってるのかはモウ他人の身で関係ないナァ〜良い想い出だけは思い継いでゆくもの。
ピアノの詩人とも言えるキースの残りの人生が良き余生ともなる様にタダ祈るばかりだ。
気温が下がり13度の今朝、そして現在でも16度ほどで少し底冷えするかの夜寒ともなった〜真っ白なLPジャケットのモノクロームの演奏スタイル写真、アノ想い出深い、ケルンコーサートを久し振りに静かに聴こうかな〜

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