
雨が降ってて考えると暗くなるので敢えて青空、鱗ウロコ雲かな?〜空いっぱいにヒトの悲しみが広がってゆく。生きとし生けるもの皆すべてが生まれた様に又死んで絶えてしまう。それはこの地球に存在する自然の摂理、何者もそれに抗う事は不可能だ。ましてや神々も諸仏さえも、なのだ。
昨日は従姉妹の飼い猫が病の末に死んでしまい、庭の片隅に埋設して弔ったと言う。昨日のブログには山上たつひこ『追憶の夜』の半ばまで読み進めた感想を書こうとしたのだった。
そう、前にも書いたが若い頃の人気漫画の主人公ガキデカの生みの親、それを湘南高校出のスプリンターが京都は同志社大へ入り、どうした訳か〜このガキデカにぞっこん惚れ込んで、後年その似顔絵を大学ノートの一面に描いて送り付けて来た。
その彼の遺影と今はなってしまったサングラスを掛けた顔、長野は戸隠高原でのショットと思われるが白馬かなぁ〜イヤ山形の蔵王のロッジかも知れない。一番多く一緒に通ったのはヤハリ戸隠の越水高原なのでヤッパそっちか〜
まぁ、雨が昨日は降り出して、それがショボショボとだったから段々と遣る瀬無く成り、追憶って所から引っ張り出した彼の遺書代わりのノートコピー、コレはお姉さんが複写して送ってくれた〜手紙ハガキ類のバインダー。
その昨日に入ってきたニュース訃報が、あの私ら団塊の世代の間ではそれこそ一世を風靡した映画の007ことジェームズボンド役、ショーンコネリーの訃報。
▼ 初代ジェームズ・ボンド、ショーン・コネリーが死去。(VORGU)
〜〜ショーン・コネリーが死去した。90歳だった。滞在先のバハマで睡眠中に息を引き取ったことが家族から発表された。1930年、イギリス北部スコットランドのエディンバラで生まれたショーンは、1962年の『ドクター・ノオ』で初代ジェームズ・ボンドを演じた後『007』シリーズで人気を博し、『ゴールドフィンガー』(64)や『ダイヤモンドは永遠に』(71)など計7作で同役を務めた。
ジェームズ・ボンド役を退いた後も、『ハイランダー 悪魔の戦士』(86)、『レッド・オクトーバーを追え!』(90)、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(89)、『ザ・ロック(96)』など映画界の第一線で活躍。英国アカデミー賞2回、ゴールデン・グローブ賞3回、『アンタッチャブル』(87)でアカデミー助演男優賞と数多くの賞に輝いた。2000年には、エリザベス女王からエディンバラのホリールード宮殿にてナイトの称号を授与されている。
女王陛下の秘密諜報員は実にカッコよくタフでスマートに、そして助平に〜いやスマートにクールで又ユーモアたっぷりと登場した。それは映画の中の銀幕の上での姿だと自制しても、イヤ現実としてもソンジョそこらの映画俳優とは違う〜とも思われてしまったりもしたもの。
多分に色んなエピソードも聞くにつけ、やはりその人柄は良かったらしい。
▼ 英名優ショーン・コネリーさん、晩年は認知症 妻が明らかに(AFP)
認知症、人格が壊れてしまうに至る認知障碍に始まる疾病しっぺい、最早オール地球規模で世界的に蔓延してるかのこの病気、さしものエリートスパイも病魔には勝てなかった、けども90歳
までも生き永らえてその持てる才能をほぼ余す事なく映画俳優として発揮したと思える功績は素晴らしい。
一時期を除いて滅多に映画館に行かなかったこのクマも先ず観たのが確か「ロシアより愛を込めて」だったか「ゴールドフィンガー」だか〜良くは覚えてないが、高校生になって映画館に通える身分に増して、大胆なアクティブシーンやベットシーンも含めて血ワキ肉おどるかの映画、それまでの日本映画のチャンバラごっことは全く違う部類の、テレヴィで垣間見た西部劇や戦争映画とも異なるアクションなど、世界が変わる程に世の中が拡大した様な気分に浸ったものだ。
ダブルオー・セブン!の最初のボンド、その後の俳優は何だか二番煎じでヤハリ違和感があった。
スコットランドの独立を主張する程の郷土愛も忘れてなかった彼は、女王陛下にナイトの称号を与えられて満面の笑顔で恭しくかしずいたらしい。サー・ショーンコネリー!よ永遠なれ、合掌

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