
何処より来たりて、我は在るや。また何処へ向かうのか〜
夜中になって雨となった。夕暮れには2日3日の儚げな月も昇ったのに星さえ輝いてたのに、人々が皆んな寝静まった頃から次第に降り出したようだ。それが激しくなったものだから目を覚ましたのが午前3時ときた。
病が見つかる前の3年ホド前にはコンナ近くに帰宅したりもした〜午前さま。
フランスの画家ゴオガンは地中海でなく南太平洋の島にたどり着いて我が世の理想郷を見出したようだ。
強烈な太陽の光に照らされた褐色の若き女体に接して、決して華美で透明に近いような肉食人種とは違う自然児の弾力に生きる喜びを見出した。
しかしながら人はいずれは老いさらばえて消滅する、その自然の摂理にふと目覚めるのも人間だ。
南国の雨は突然降り来たり唐突に止む。それも滅多にない。
時雨!秋雨〜驟雨!わが国には色んな雨のカタチがある。しょっ中の事だ。
この時期には氷雨混じりの風さえも吹き出す。世界がヤハリ違うのだ。

雨は明け方には日が昇るずっと前に上がった。
激しく降りしきった冬の雨も夜中の内にやって来て夜の闇に消えたようだが、あちこちに水溜りはあって地面は湿ってたから図書館へ出掛けた。借りてた本の3冊を返して、新たに偶には純文学のジャンルをと、これも借りてきた。
古井由吉著『忿翁ふんのう』2002/3刊新潮社。この「忿」の字が意味が解らず何と読むかも焦った〜良く目を凝らせば振り仮名が付いてる!じゃないか〜阿保!
酷く怒る意味らしい、憤懣〜忿懣フンマンに同じらし。何だろう、ブツクサ俺みたく文句ばっか呟いてるのかなぁ〜
頑固オヤヂじゃないが老いの一徹などと同じく、人の意見なぞ眼中に無いことか?
そんな常識張った小説じやなさそう〜意地悪婆さんが出てくるかも〜イヤアレはもう前世紀の流行、今やブルーシートにくるまってヒタスラ風雨を避けながらヒタスラ唯生活してゆくのみ〜それも又違うなぁ、きっと。まぁイイや、読んでみよう。この人の本は若い頃以来だ。
タイトルは1文字とか兎に角短い、のに文章はやたらと長い。それがクドイのじゃなくて氏独特の文体として通っている。頭が土台から違うから仕方ない、付いてくしかないと読み始めるとわかる。どこか得体の知れない風狂めいた修行僧の感じもするが、勿論それは全く違う。反対に、孤高の高僧なのかも知れない。イヤそれも違うのかも知れん。まぁよい。どこまで読めるか〜^_^

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