
また穏やかな晩秋を思わせる日がやって来た様な日々。それでも北からの冷涼な風が昨日の雨が降りしきった後には吹いている。冷たさがまだイマイチなのはヤハリその前の温暖な日々が続いたからだろう。去年も一昨年もかの暖かさで干し柿がカビだらけとなって苦労も泡と消えた。酒を吹きかけてれば少しは様になったか〜
干し大根もアワヤ青黴が餌食となる寸前だった。温かい冬の雨は余り食品には良くない。
あ、写真は何の脈絡もなく拾ってきたやつ、コレご覧の2台の車が見えるのだがどんな風に見えるか〜テ問題画像。ヒトの錯視現象を測る図像らし。
どちらも同じ大きさのクルマなのだが、遠くの方のが大きく見えてしまうのが不思議だ〜
さてさて、昨日の紹介した古井由吉って作家、今年の2月に既に泉下へ下ってしまわれたのを初めて知った。迂闊ウカツだった、肝細胞癌だと報じてる。82歳、高齢には違いないがまだまだとも思われるかの年齢、本人は無念だったろうがソレは不明。
前の日記のタイトルを怒れる老人としたがアノ「怒れる若者たち」の世代ではなくて、大体がこの小説家は戦後登場した「内向の世代」などと揶揄もされた程にリアルタイムでの時代性への言及が見られはしなかった様だが、それは又別な視点から考察もされよう。言わば家庭の崩壊とかなど知らないが、かなり難解で韜晦、眩惑的な文体でも知られて又ドイツロマン派以降の文学者らしく、ロマンティックじゃないがかと言ってゴティックかな?とは言わせない何かしら都会派的な憂鬱を心象吐露し続けてるのかも?などと私的には感じてたが、ソレは勿論私の思い込み以外の何者でもない。
昨日はタイトルを忿翁フンオウと振り仮名を付してしまったが、正しくは忿翁ふんのう。既に訂正はした。
憤懣を忿懣とも書くようだが、戦後派の私らは一級の漢字には馴染みがない。
文学者なら兎も角も普通の学士でさえも既にソコまてまでは国語漢字には精通してるンだりうか、生憎と不シダ羅な私には取り付くシマもなかった。
つまり自噴にかられて、自分に対して忿る〜憤る〜内省の感覚なのだろう。
別に頑迷な爺ィが愚痴ったり怒りっぽいテナ処の怒るとか場面ではなかった。
今年の2月、既に諸処でその頃にはオカシナ流行り病がチラホラと見られた〜頃にお亡くなられたとは驚きだった。
忿懣でなくて、憤懣遣る方なく感じるところ付して自分の浅はかさを恥じる次第。
でも忿怒じゃない、ヤハリ自責とまでは行かぬが内省はしなければならん。イヤ反省だ。よく解らねばならん。

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