
やはり不安定な天気は続く。曇りなのに時々は晴れ間が訪れやがて日光が射してすっかり雨が上がったと思い込んでしまう。
うっかり騙されるもの、それは思い込みに過ぎないし又そうしながらも人は何かを期待して考えたり行動したりもするのかもしれない。もう何日も野良仕事もせずに過ごしてる気がするし、それは身体を動かしてないと何やら体力が衰えてしまいかねない不安感にも襲われるのにも似てるし、実際、散歩してるご婦人方をたまさか見掛けるので尚更にアァ自分は何もせずにイタズラに時間を浪費してるなぁとも反省しきり。
嫉妬してるならばサッサと手メェも出掛けりゃエエじゃんかい!ッて別のクマ爺ィが顔を出すのだが〜^_^
ま、それはそうと似たような思いにさせられたのが以下の様なこの報道。
▼ 嘘でつくられた歴史で町おこし 200年前のフェイク「椿井文書」に困惑する人たち (Yahoo!ニュース)
〜歴史的事実の検証に必要な古文書。だが、その中に嘘が含まれているものもある。そんな偽文書の一つが、江戸時代後期に国学者の椿井政隆によって作られた「椿井文書(つばいもんじょ)」だ。京都や滋賀を拠点に偽の歴史を大量につくったとされる。
〜昨年3月、椿井政隆の偽文書に関する本『椿井文書──日本最大級の偽文書』(中公新書)が出版され、話題を呼んだ。“江戸時代のフェイクニュース”と新聞でも取り上げられた。
著者は大阪大谷大学准教授の馬部隆弘さん。椿井文書は文書だけでなく、地図、家系図、寺社や城の絵図など、数百点におよぶと言う。
「椿井文書は、文書の体裁や字体を使い分けること、制作技術が巧妙であることなどが特徴として挙げられます。問題なのは、各地の自治体が自治体史の編纂や郷土史の根拠にするなど、現在にも影響が強く残っていることです」
まんまと騙し倒せてしまった〜テ事だろうが後世の史実と当時の知識〜その椿井なる国学者が権威付けに使ったのかも知れない各地の由緒、縁起などが実際にはずっと後200年ほどの現代には歴史書扱いされた結果、町の復興や町おこしにとお祭りや何やらに根拠付けられてしまったのが発端らしい。
まぁねぇ〜祭りなんて楽しめりゃええ、って部分が全体を占める訳でウソがマコトに化けても本意本懐を遂げてしまうもの、そことホントの史実とを学者研究者は使い分けねばならないが、ウッカリその専門家さえも騙されてしまう事もまたさかり。あるもので、それが時の権力者が自己に有利に働きかけた結果がヤハリ問題と後々には表出してくる。
現代は情報過多で確かに名々がその持てる情報ツールを使い勝手に他者へ発信可能で、結果的に騙し通せるものでも無いが、はるか昔の文字使い1つでさえも不自由だった頃には確かにマコトしやかな「嘘」が罷り通ったのだろう。往々にしてソレは時の権力(者)に都合良く利用悪用されたのが今にしてこうした「偽書」の存在。
クマなんかも面白いオカシナ〜てので直ぐに乗っかり騙されるのだろう、けどと軌道修正はヤブサカじゃ無い、問題は正誤や真贋の指摘に際して嘘で凝り固める出鱈目が横行すると後々厄介事となる訳で、元々、空想癖のある者は本来は歴史や実証認識などには関わってはいけないものかも。
けれども考証するにヤハリその空想、ヒラメキも又大事な事もある訳でヤハリそうした事実認証や史実検証などは個人的な見解だけでは不可能に近いもの、複数の現認も又必須で、詰まりは証拠固めがしっかりと為されねばならない。偽書も時が経てば立派なマコトしやかな史書として扱われる、ソレがこの椿井文書である。
つい最近〜と言ってももう半世紀ほど前だが〜には確かに東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)なる古文書が発見されたと東北秘話として持て囃されたものだ。
あの遺跡発掘での「神の手」事件も又ぞろ思い起こさせる指摘がなされた。
嘘でもいい、アタシを愛してくれてるならば〜ナンテ演歌の常套文句で日本人はそういう風に古来からタマシ騙され易い性分だったんだろうナと思うも、確かに情緒的には、エエじゃないか〜今が良けりゃ〜幸せならば!ッて酔っ払いや子供ダマシみたいな風潮が時流に乗っかると矢張り大きな声となり、それがポピュリズム〜果ては民主主義の欠点へも繋がって行くもの、無知ほど怖いもの無しと良く言われるがその無知の風潮がハビコレば確かに問題となる。そこはシッカリとニセモノと本物とを区別しとかねばなるまい。
菜々花畑の画像、3度目だが前回は別の場所を撮った絵を挙げたつもりだった、のにすっかり 別物と思い込みウッカリ載せてしまっあ。ツマラン記事に花を持たせて和ませようかと思い、関連した雰囲気で絵柄を添えてる積もり、同じのは避けてる積もり〜ツモリたもり^_^〜が偶に手前勝手でつい狂ってしまう〜あ、言い訳ですな

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