
さてと〜世はゴールデンウイークの始まりらしい。昨日に引き続き今朝も雨、しかも本降り。最高気温もヤヤ低目の16度から18度辺りをかすめてくらしい。
今日は私らが若き頃には天皇誕生日、その天皇が崩御為されてからは緑の日、そして現在ではそれも5月の連休の谷間に都合良く割り振られて現在では、昭和の日、とな〜
なので、マァ憂さ晴らしに(何の?〜ってマァ雨降りはヤッパ何故か鬱陶しい〜)一昨日の満月に因んで借り物ながらお月さま。蛇足ながら、ピンクムーンだったらしい。どおでもエエか(^^)
▼マイケル・コリンズ氏死去、90歳 アポロ11号搭乗の米飛行士
https://news.yahoo.co.jp/articles/fb401d77ca29720a74ff885ade259d3dd4001620
〜【ワシントン時事】米航空宇宙局(NASA)によると、世界で初めて人類の月面到達に成功したアポロ11号に搭乗した宇宙飛行士のマイケル・コリンズ氏が28日、死去した。
90歳だった。コリンズ氏の家族は声明で、同氏ががんで闘病生活を送っていたと明らかにした。
イタリアのローマ生まれ。米軍士官学校卒業後に空軍へ入隊し、テストパイロットとして勤務した。1963年にNASAの宇宙飛行士に選抜され、66年打ち上げのジェミニ10号で初めて宇宙飛行を経験した。
69年7月のアポロ11号では、同僚のニール・アームストロング船長(2012年死去)とバズ・オルドリン飛行士が月面で活動する間、月周回軌道を飛行する司令船を操縦。約21時間にわたり隔絶された状態で任務をこなし
「忘れられた宇宙飛行士」「史上最も孤独だった男」と呼ばれた。
◆ー11号のクルーの中で一番冷静だったと言われれるよね。
アポロのクルーは、明確に任務が割り当てられてるけど、もし他のクルーになにかあってその任務が遂行できなくなった場合に備えて、すべてができるように訓練されていた。コリンズも月面着陸に備えて月面船外活動の訓練を他2人と同様にやっていた。だた、賞賛すべきは、船長たち月面活動中、たった一人で月面周回を行ったことだ。もし彼に何かあれば、船長たちは、地球に帰れなくなるのだから、その責任は計り知れない。おまけに月の裏側に入れば地球との交信もできない「もっとも孤独を知る人間」だったのだから。
◆〜当時のコンピューターは性能もしょぼいし
記録媒体もパンチカードをカタカタと出すのが精一杯
ナビもGPSもないし計器の信頼度も今と比べ物にならないので経験と勘が大事
きちんと月に降り立った二人を回収して地球に帰還しミッションコンプリートした
月面着陸を支えた偉大なパイロットです
尊敬いたします、お悔やみ申し上げます

▼ 富士山
地球への帰還を控え、野口聡一さんが国際宇宙ステーションから撮影した富士山(野口さんのツイッターより)(2010年05月27日) 【時事通信社】
この様な日本人2人目の国際宇宙船司令の野口さんと星出さんの話題が、つい最近にあったばかり。
ネット徘徊で得た情報ばかりでお茶を濁すアホだが、先のアポロ11号の人類初の月面着陸の映像をテラピ画面でマジマジと見つめてたのが吾が18才の夏だった。まるでモノクロの映画ニュースをスクリーンで観てるようだった。あの頃はコノ私なんぞにも希望に満ちた未来が与えられてもいたが、時代はかなり鬱屈的に迫ってるかにも感じられたのがチト今にして思えば残念かも〜でも初めての故郷を離れて異郷の地、親のスネ齧りながら首都東京に遊学し出したバカ者。見るもの聞くもの皆全てが真新しく感ぜられて、ヤハリ新鮮な季節の到来であった。
あの月面探索の模様、それらの映像を撮影しながら宇宙船を操縦してた唯1人のパイロット、その御仁の訃報。
◆〜以下は、そのニュースに対してのホンのコメントの一部。他にアホ熊が述べる事は無い。又他には、その後およそ50年に渡り人類は月面探査の努力を放棄して目立った活躍を果たしてはいない、とも意見が多く見られた。莫大な費用が嵩む宇宙観覧開発事業者、国家規模でしか行えてなかつたのを、最近になってヤット民間企業の開発も軌道に乗り出した〜テので次にお誂え向きの吉報、それがISS国際宇宙ステーション。
人類、月へ!〜ってニュースはこれからもモット新鮮なホットニュースともなろう。そんな意味でも戦争なんかしてる場合じゃないのだが、現実には難しい。夢想家の単なる寝言としか映らないのだろうけども。
けども昭和のドリームを語るにはマァそんなことどもでも良かろうか〜
おや!ようやく雨音が鎮まって少しは空も明るくも見える〜気のせいか〜^_^

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