
大好きなロックバンドの中でも最高にゴージャスなグループ、ザ・ローリングストーンズ。その名ドラマーだったチャーリー・ワッツが亡くなった。
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/36411/2/1/1
★Rolling Stones - Paint It Black LIVE (1966)
俺のストーンズ好きの始まりは1968年7月某日夜の、京都は左京区の某お寺の境内で聴いた、satisfactionのコピーだった。
そして、ジャンピング ジャック フラッシュ、黒く塗れ!や、Ruby
Tuesday、ホンキートンク ウィメン他も聴いたハズ。多分グループサウンズのタイガースだったろうかと思ってるが、マァそれと本物のストーンズの演奏とは雲泥の差と迄は言わんがヤハリ後にラジオで聴いた本物の音は迫力が更にあった。
その後々世界一のロックバンドとなるTHE ROLLING STORNESを名ドラマーとして支えた、チャーリーさんワッツが喉頭癌を患ったりもしたが遂に還らぬ人となってしまった。
▼チャーリー・ワッツ最後のローリング・ストーンズ公演は19年8月30日フロリダ フルライヴ映像がネットに
https://amass.jp/150224/

元々はジャズドラムを志向してた、と言うチャーリーさん、「私はジャズドラマーだ、偶々、世界一のロックバンドに居るだけだ」等と公言して憚らぬ、スーツにネクタイでキチンと髪を揃え背筋をシャンと伸ばした独特のスタイルは英国紳士らしき頑固な矜持を保持し続けたらしい。そのドラムスタイルも後に数々のミュージシャンに影響を与えたらしい。楽器の事は良く解らないけど聞けば成る程ナァと納得するばかり。
honky-tonk(ホンキートンク)musicなどと言った米国の下層階級からの音楽をもヒントを得て創造した音楽性は、確かに超一流のロックバンドならではの独創でもあったが、それはチャーリー・ワッツというジャズドラマーが才能だつたのかも知れない。ミックジャガーやリーダーのブライアン・ジョーンズ、キース・リチャードも全幅の信頼を寄せてたと聞く。ブライアンは若くして!死んだが、その後は今まで解散することなく一緒に歩んで来た彼ら。
画のストーンズの100%ベアブリック、大分前に確か渋谷の某レコードショップ限定発売のレアな代物、俺の(ストーンズを扱う場合はヤハリ俺お前〜だな。人称は^_^ ) 唯一の中学からのリスペクトすべき女史へ授けたのだが、ならず者ヤサグレめいた俺からの愛すべき逸品、マダ持ってるだろうか(^^)〜マジ‼︎〜売れば相当なお値段になつてるなぁ〜^_^ 考えてみれば彼女には不釣り合いだったかも、でもオイラの最低限の敬愛のシルシには違いなかった。
ア、イヤそんなコトあげつらう意図はサラサラない、ウブなアタシかも^_^〜
この処、うち続く訃報ばかりで、大先生に並ぶべくも無いが、山田風太郎の人間臨終図鑑めいたミニメモだ。
いたずらに面白くある訳がない、リスペクトすべき人間の最終の様子を最低限でも記録して置きたい一心からである。ア、前傾の女性はチャウ、オレよりも長生きするだろうし活躍するなきっと。
チャーリーさんワッツの訃報は、今宵のFM〜雪ラインハルトが生放送「.ロックバーラインハルト」から知った。番組名も初めて記憶したもの。いつか忘れるだろうか。
▼〜英国のバンド、ザ・ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツさんが24日に死去した。ストーンズを約60年前のデビュー時から追いかけてきたイギリス人のブロードキャスター、ピーター・バラカンさんは、「
チャーリーがいなければ、ストーンズはもう終わりでしょう。それとともに、あのロックの時代、僕らの時代の終わりを感じる」と話す。
▼〜英国の世界的歌手、エルトン・ジョンさんはツイッターで「とても悲しい日です。チャーリー・ワッツは究極のドラマーでした。最もスタイリッシュな男であり、素晴らしい仲間でした」とつづった。(朝日新聞デジタル)
コレ又、伝説のロックバンドのCREAM結成で知られるスーパードラマーの、ジンジャー・ベイカーの訃報を改めてエリック・クラプトンのFB欄で聴いたばっかし。ジンジャーさんも齢80、それでも往年のバチ捌きは衰えを見せなかったのが心に残ってる。
ミュージシャンという才能は死ぬまで健在テ事を示すもの、それが芸術なんだろうな。コロナ禍の2度目の夏、信じ難いけれども人は死ぬべき存在、今宵の月は半月、下弦の二十三夜月なのだ。孤独じやない、多くのファンに惜しまれながら又偉大な才能が地上から消えて無くなり、新たな煌めく星となった。

0