▼“日大のドン”田中理事長逮捕「政治家に渡した裏金全部ぶちまける」でパンドラの箱が開くのか
〜所得税約5300万円を脱税した疑いで、東京地検特捜部は29日、日本大学の田中英寿理事長(74)を所得税法違反容疑で逮捕した。
特捜部は日本大学医学部付属板橋病院を巡る背任事件で、建て替え工事の設計や医療機器の調達などで大学に計4億2000万円の損害を与えたとして、田中容疑者側近の日大元理事の井ノ口忠男、医療法人「錦秀会」前理事長の籔本雅巳両被告をすでに背任罪で起訴している。
“頂上決戦”と称して、田中容疑者の立件に意欲を見せてきた検察側は、今年9〜10月に東京・阿佐ヶ谷の田中容疑者の妻・優子氏が経営するちゃんこ屋兼自宅を2回、家宅捜索した。その際に部屋から2億超の現金が見つかり、特捜部は所得税法違反の疑いがあるとみて調べを進めていた。
「特捜部は、井ノ口被告から理事長に渡った1000万円の銀行支店の帯封をも家宅捜索の際に押収しています。今回、特捜部は田中理事長が井ノ口と籔本両被告から受け取った現金を意図的に隠していたとみなし、所得税法違反での逮捕に踏み切ったのでしょう。ここから田中邸から押収した現金と背任事件を結びつけられるかが捜査の焦点となります」(捜査事情通)〜(日刊ゲンダイ)
もう半世紀以上も前にも、あの日本の最大の日大闘争〜いわやる大学紛争の火種の発火点としても、大学川理事会の使途不明金と一部理痔長のみが封建的支配体制への叛逆として燃え上がったもの。
又もや今にして発覚した、ッツウのは結局は何にも解決せずにオメオメと旧来然とした大学の秩序体制が居残り残存してその甘い汁を吸い上げ吸い尽くそうと継続してきたンだろうね。
それが相撲部を頂点とした体育会やアメフトなどでの日常茶飯事の暴力沙汰は勿論のこと、学生間のそれらとは又別の次元での管理支配体制の内部の経営体質の横暴にまで、詰まりは頭の髪の毛の天辺から足の爪先迄もが!悪質な専横暴力や賄賂常態で私利私欲まみれと化してたのだろうね。
日大マフィア、と呼んでもイイ程に食い物にして来たのだろうなぁ〜結局は。
コンナ時代に今の学生らにはもう学生運動なぞ考えられないだろうが、自浄能力が無いのならばヤハリ国民の税金投与の部分だけでも結局は、国家権力その物が失ったものだけでも国に返還させて、然る後に大学の勝手にサラセ〜と放置するしかナイのでは。
大学が瞑れようが学生が減ろうが、モウ国は面倒も見ません、私立大学助成金は利子を付けて返して貰った上で、どうぞ大学の理事会や教授会やらが勝手に組織判断をば〜とでもするべきだろうな。
まぁ、日本一のマンモス大学の名は今もマダ健在だろうが、そこに渦巻く利権の行く末はカナリ社会的影響もあらう。問題は日大だけに止まらず私学振興財団や私立大学連盟なり、ひいては政府文部行政、文科省にまで何かしら飛び火する問題が起きかねない。
かつて学生運動の頂点に立った日大全共闘運動は、いつの間にか左翼マルキストを僭称した政治党派の政治運動へと派生して行ったが、本来の問題解決への学生運動そのものは結局は、大学当局〜理事会と国家権力〜政府自民党と経済団体などの暗黙の了解で、秩序維持の方向で未解決のマンマで〜確か?〜終息したと思う。
いつの間にか運動を担った学生たちは、退学したり転学や転部なり卒業なりでバラバラに近く消失した様で、何人かとは私らの大学にもお友達として登校してたが、その内にヤハリ霧散してしまった。
中には自殺してほれこそこの世からアタラ若い命を断った失望感に囚われてしまった正直者もいたが、逆に早くに社会へ進出して逸速く新しい人生をスタートした人もいた。
それは私らの仲間にも、又東大闘争を担った中にも存在したのだった。
党派セクトの連中は政治運動へとひた走ったけれども、そうじゃない無数のノンポリ連中、ノンセクトラジカルと言われた多くの学生らは又各々の生きる術を身に付けながら、各々の人生へと行かねばならなかった。
全共闘運動は政治運動へと走らざるを得なかった面も確かにあったが、本来はその前の自己の内面の革命運動そのものがあったのであり、右か左かの政治的なイデオロギーの対立とは無縁な処に位置してたと思われたのだが、それでも政治運動化してしまったのは仕方なかったかも。
但し政治運動そのものを目的として無かったから、当然にも組織的な運動携帯が停滞して終息してしまえば、運動自体も消滅してゆく運命にあったのだからして、結局は青春の一時的な発作的な刹那的な突発事項としての学生運動、としか思われなかったのかも知れない。
運動の渦中で多くの仲間が目前から消えても行った。運動のいつの間にか、沈黙の季節がやって来て、終いには何も無かったかのように、普通の生活の中に埋没してしまった〜のかも知れない。
人間、生きて行くには食って行かねばならない。
一社会人として至極あたりまえの人間として大久野学生運動に携わった学友たちが、そうして大学を去った。そしてこの中には私も当然にも入る、私も結局は卒業式には出なかったけれども、学生課へ出向いて卒業証書を馴染みの学生課の職員に受け取って、教場先生たちよりも彼ら学生課職員の方がたにお世話になって(笑)挨拶し辞したもの。
新築なった学生会館の大広間での卒業生追い出しコンパで一晩中、飲み明かしてオサラバ。部室にも仲間や後輩連中が待ち受けてたが、就職の目途も立って無い私には最後の学生生活、結局は一人で霧散してしまうしかなかった。


洛北の京都へ、当時♪︎〜なのにあなたは京都へ行くの? 京都の街がそれほど良いの この私よりも〜って歌が流行ってた。
同志社の親友を訪ねて数人で押し掛けた時の貴重なショット、古ぼけた段ボール箱の中の手紙類に挟まってた小っちやなアルバムに挟まれてた黄ばみ出したモノクローム写真。
どうだろう、皆んな若かった!
〜な当たり前じやわい。過ぎ去りし日々、単なる想い出の画像、切り取られた過去のお友達のソン時の存在感だけが私には甦ってくる。しかも惜しいかな、最早この内の2人は疾うに彼の世へ旅立ってしまってる。写真の中の顔だけが生き生きとして年も取らずに笑いかける。
まぁ、楽しかったよなぁ、おもしろかった。
そうそうこの時に、珈琲店と居酒屋と同志社大学と他に訪れたのは確か、御所と鴨川だけ。
私は受験勉強時に京都の比叡山の麓の古い農家の二回に下宿しており、後にも何度も京都は一人で或いは二人、他の友人とも行ったのだが。
皆んなも消息不明、音信も途絶えてしまった。人生なんて詰まりはそんなものかもしれない。残されたよは想い出ばかり。
それも私が死ねば死にきり、で消失する運命にある。
今日は久し振りに雨になった。気温はいつになく寒くもなかったが、それでも一頻り降り続けた後いまは夜更け近く、もう止んだのか雨尾とも聴こえないけど、予報じゃ明日の朝はひえこむらしい。
暖房の機械音だけが風音みたく啜り泣いてるようだ。
いつのまにか、そうだ、知らぬ間に時間だけは過ぎて行く。
昨日の夕方〜チャウ宵の口に又FMのクラシック音楽を聴く、月光。イイねぇ〜ボリウム最大限に挙げて〜(笑)
昨日の朝、ツウカ未明か、天空中天に白々と三日月が浮かんでた。今夜はそれさえも見えない。
雨降りだから、雨垂れなぞも良かろう、けどもそれはそれで又YouTubeででも聴くか。

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