
今朝の気温は矢張、非常に寒くなって零下3度だったか〜庭のバケツの氷が少し厚さを増した様な気がするけど、気のせいかな。
既に正月も七日であった、それで昨日の夕方遅くになったがスーパーの入り口にどっかりと七草粥を食べようとか、そのセットがポップアップで陳列してあった。
へぇ〜ヱと二度見したのだがチャンと七種類の春草が揃ってて非常に便利みたい。
まぁね、別に正月だからと言って暴飲暴食したつもりはないし、普段よりかは餅は焼いて食べたけど買い揃えてたからであって焼いて食べるだけだからねぇ〜でもモウそんなに垂れられない、若くはないもん。
そうだ!今夜はすき焼きにしようかっと、生カキや減塩食パンを少し買っただけ、もう既に牛肉や春菊白菜人参コンニャクやら揃えてあり、焼き豆腐代わりの厚揚げも確かに冷蔵庫に残ってる〜それに足りなきゃ、切り餅でもブッ込めば〜あ、ソレ食いすぎだにや。
残念ながら我が菜園の春菊は未だ小さい、食べられない事はないがね、最近はキャベツにしろ白菜にしろネギでも作るよりか、買ったほうが返って安くつくかもしれない、けれども体力や運動がてらの野良仕事、作り上げる喜びの方が面白いのだ。
手を変え、品を変えて、失敗して勉強しなるものだ。余ったら近所にお裾分けすれば又喜ばれるもの、渡り鳥や野猿には苛められるけども、仕方ない。
▼山は博物館:登山史に埋もれた北アルプス横断 資産家、幻の山行 https://mainichi.jp/articles/20220102/k00/00m/040/180000c

この写真は、大正初期だったか〜我が国のアルプス登山が流行する以前の頃に既に大がかりの費用をかけて準備して登山をした名古屋の某資産家の貴重な登山記録の中の一コマらしい。
山登り、と言えば皇室の皇太子なども英国紳士や貴族を真似て実際に行動してるが、それは殆んどが夏山で、本格的な冬山登山なんて危険と隣り合わせのアクションなぞはしないもの。
それでも冬山の魅力も又ありき、で登山人口は相次ぐ遭難事故や滑落死や雪崩に巻き込まれたりのリスクをものともせずに山男ヤマオンナは後に続いて減らない。
♪いつか山で 俺が死んだら 古い山の友よ〜などとも歌われる冬山の魅力、その最初期の頃の登山活動なのか〜記事を読む限りは、カネに飽かして資産家が道楽でお気楽に登った行動として、登山史からは抹殺されてるようだが、確かに数百人もの助手や案内人を駆使して贅沢な山登りとか〜でも加護に担がれて戦国大名なんぞの大名行列ではなかった様で、ヤハリ魅惑の冬山登山て快楽的、享楽を得んとした行動の点に置いては、似通う所はある。
登山行の様子はフィルムに収めてあるそうで、ヤッパリ貴重な資料ではあろう。ご本人はナポレオン気取りだったろうか?
関東は雪便り一色だったが〜さて。

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