
今年になり初めての雨降り、大した量でもないが確かに雨水は軒端を滴り落ちてたし、それに何と言ってもイヤなのはカタカタと音を立てる寒い風の荒れ模様。
▼きょうは全国的に雨や雪の降る所が多く、日本海側では雷を伴う所も〜西日本の日本海側では、午後は次第に雨から雪へと変わって〜全国的に風が強く、北海道ではふぶく所も〜強風や高波、ふぶきによる交通障害に注意してくださ〜最高気温は全国的に平年並み〜(気象予報士・佐藤温子
天気図では列島の北と南に相体するように低気圧の中心が在り、大陸棚の台湾国付近の海上から琉球諸島に沿って九州四国中国や近畿から北陸へと北上するかに雨雲の帯が乱れ飛んでるみたい。
引用の予報士は蛇足で交通障害にまで予測注意を喚起してる(笑)
昨夜読み掛けの本、桶谷秀明『凝視と彷徨』の中で近代詩人の室生犀星の詩について、その北陸的な風土的な
得失点差特質として、雨降りの様子を引合いに出して語っている。
室生犀星私感と題する副題に「北方的湿潤の叙情と思念」と既に直接的に断定してるのだが、湿潤の叙情とはねぇ〜じめじめとした感触なのかな、イヤしっとりと脳奧に纏わり付いて離れなくなるチウ印象的なのか、でも北方的とある。中部的や南方的となると又どう違うのだろうか。
室生犀星は北陸金沢を代表する詩人である。その金沢は列島の中でも特異な古都であるのは承前〜同じ古い都であっても確かに京都という盆地状のそれと大河を挟んだ拡散する様な都とは又異なるのは当然。自然的な環境や歴史そのものが違うのだからして、そこに住まう人々の生活様式からしても。
▼中野重治に『しやつ、ももひきのルイス』という室生犀星についての文章があって、犀星は和服の下に、しゃつやももひき、つまり下着の類を一切着ない人のような気がする、と書いている。中野重治自身が五十近くまでそうだったという忠実な裏打ちがあって、印象に残っている。「皮膚が強いのたわろう。しかしあるいは、北国の育ちということも関係しているのかも知れない。シャツを着てももひきをはいたんでは、外界というものがじかに来ないものかもしれぬとも思う。理屈にしていえば、外界がじかに来ないんでは、犀星芸術というものは成り立たなかったかも知れぬとも思う。『叙情小曲集』から『愛の詩集』あたりの作品は、外界、外気が、じかに肌にぴりぴり来るのでなければ考えられぬものであるからであろう。」
成る程、「犀星が育ち、中野重治が青春の一時期を過ごした金沢では、この寒さの感じを、「つべたい」という方言でいう。和辻哲郎が『風土』の中で、この方言が含む、人間の風土、気候における自己了解の独特なニュアンスを書いていた」と桶谷秀明は回想する。そして〜
▼それは、「寒い」ではなく、あくまでも「つめたい」のであって、北海道の「しばれる」という、乾燥したきびしい寒気を思わせる表現にひきくらべれば、「つべたち」は湿潤な北陸の寒さ、多くの雪を降らせ、日の光をみることのすくない、暗鬱な空の下での、びしょびしょした冬の寒気をいいあらわしている。
〜この詩人の季節感というものが、秋から冬にかけての頃にいちばん鋭敏にはたらくことがわかる。たとえば、陰鬱な冬の前触れの、あの変わりやすい北陸の空模様を象徴するしぐれ〜
あはあはしきしぐれなるかな
かたかわ町の坂みちのぼり
あかるみし空はとながむれば
はやも片町あたり
屋根の上にいまは
しぐれけぶりぬ 「十一月初旬」
あはあはしい時雨であつた
さつと降つて
またたく間に晴れあがつて行つた
坂みちを上りながら
空はと見れば
しぐれは街のなかばに行つて
片町あたりに降つてゐた
そうかと思ふともう寺町の高台あたり
明らかに第二の時雨が訪づれ
その音は屋根と屋根の上をつたうて
蒼い犀川の上を覆ふのであつた 「しぐれ」(愛の詩集より)
「さむざむと大根畑に雨が降つてゐる/しぐれのあめが/ぬらしてゆく/」〜「凍みて痛めるごとく/はてしなく/こころ輝き/枯木のうへにひびきを起す/(「雪くる前」)のような、感傷にうち沈むこころをあえて意志的な昂揚へひっぱろうとするものがあり、また、「アルビレックスたうどう冬が来た/たしかに来た/7鳴りひびいて/海鳴りは昼の間も空をあるいてゐた」(「故郷にて冬を送る」)のような、ずっと生活感覚に密着した表現〜〜「たうどう」は金沢訛り
しぐれ、ツウと彼の俳聖芭蕉の俳諧を思い出すが、ヤハリ表現の違いどころじゃない感覚的な体臭をも嗅ぎ取れるか〜同じ自然現象としての時雨の受け取り方が、北陸と京洛との違いを論じたのが確か吉本隆明のにも有ったが、また長くなるから止めとこうか。
ややもすれば冬の雨は雪へと変わってゆくのが北国の習い、しかし南国のこの地ではそうは成らない。
もうすっかり雨は止んで、窓には明るい冬の陽射しが目一杯に照らし出した。
風はしかし冷たくて未だまだ止みそうにはないけれど。
昨日の高校サッカーの決勝戦の模様を取り上げたいと思ったけども、まぁ青森の山田の順当な迄の勝ち戦にはマァええか〜とぞ思った。
何故か、イヤ高校生離れした試合運びやプレイにはかなりのファンが避難なり批判を浴びせてるが、確かにそう思うが、審判が判定を下してはいない限り仕方ない。試合さばきの上手さそのものも又勝負の中身でもあり、けれどもソンナニまでして、詰まり反則紛いのラフプレイや実際に危険な行為をヤラカシてしまうのは又その内に制裁はされるだろうし。
負けた熊本の大津高校って公立だった。それでもそれなりの反則なり危険行為への対処方は、また監督なりが注意を促すべきである。
マァね、審判がまた〜良くなかったのかもねぇ〜運が悪いわ〜(涙)

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