
割りと暖かな一日となった、曇りかなと思われた今朝方だったが次第に陽が昇り雲も去った。風もさして冷たくも感じられなくて、これがら大寒かよ!っとね(笑)
絵は芽吹き出したふきのとう、蕗の頭だて書くのかな?〜てっり北国だけのものかは、あにはからんや!チャンと植えれば南国の当地でも育って、ご覧のように関東や又私が初めて見知った食べさせて貰った東北は山形の蔵王近くのそれと大して変わらない風貌。
冬期の間はろくな野菜らしきのが不足し勝ちな雪国ならではの厳寒期の野草とか。味噌汁の具にと食膳に出されたので味わうとヤハリその苦味が何とも言えない(笑)〜まさか吐き出す訳にも行かず、マァ友達の奥さんも元々は神奈川の人間で、苦いでしょうと笑ってた〜♪
何でも、その苦味そのものが鈍った身体の内奥からイワユル毒素なんかを排出とか阻害するらしき〜♪
マァ天婦羅にすれば何でも食べられるのも不思議なもんだわさ〜(笑)
明日葉アシタバみたいなモンじゃいなぁ〜

これは知ってる人は知るぞ〜北欧フィンランドの、トーベ・ヤンソン作品の主人公ムーミンの愛すべきフィギュア。
もうかれこれ20年近く前に、北陸製菓って菓子メーカーがその製品を売り出す為のコラボ製品として、ムーミンズランチなるクラッカーめいた菓子と海洋堂フィギュアを抱き合わせ発売した時に採用されたのが、そのムーミン谷の主人公や友達や住人のフィギュアがおまけで梱包されてた。
そん時の超希少ブツ、ムーミン谷の彗星。
しかもそれの金と銀とのカラーバリエーション。当時、そうしたおまけや模型やフィギュア好きのオタク等が集まった、ワンダーフェスティバル、通称ワンフェス(WF)会場のみの限定発売品なのだ(*´∀`)♪
さて、本題。以下は、桶谷秀昭著の評論集『危機と転生』の中の「岡倉天心と英語」〜美とアジア認識、から下記写したもの。ほぼそのまんまだ。
相逢如夢別経年 手撫孤松思情然
巌上側身夜粛颯 流星一点入南天
これが恋の詩であることはあきらかである。ところで天心はこれに英語訳をつけている。
第一句は「相逢いしは夢の如く、別れては年を経たり」と読む〜これを、
Our meeting was a momentary dreem:, our parting, a reality, sad and long
(私たちが逢ったのは一瞬の夢、別れは哀しくながい現実)
と訳している。ここは漢詩の方がいい。「別経年」にたいして、《our parting, a reality sad
and long 》はいかにも説明的である。《a reality》がとりわけそうである。
第二句は、「手は孤松を撫ブし、思い悄然たり」と読めよう。この英訳は、
I caress a solitary pine-tree and pity its fate slmllar to mine.
(わたしは孤独な一本の松を愛撫して、自分と同じ宿命のこの松をいとおしむ)
「思悄然」という簡潔な表現が、《...pity its fate similar to mine》とははなはだ明快だが、含みの薄い表現になっている。説明的であることでは第一句と動揺である。
第三句は、巌上に身を側ソバメれば、夜粛颯」〜
Rock-chained, sighing, restless in the night.
(巌上にしばりつけられたように身をちぢめ終夜吐息をついている)
である。ここでは英訳の方が明晰であるだけでなく、情念の表現にふさわしいといえよう。「巌上側身」が、<
>に対応するか、あるいは《Rock-chained, shining》に対応するかは人によって意見のわかれるところであろう。だがともあれ、《Rock-chained》は、「側身」という漢語の語感よりは、はるかに天心の気持をよく表しているように思われる。そして「夜粛颯」が《restless in the night》pも同様である。「側身」にしても「粛颯」にしても常套句に近い。とくに後者はそうである。これらの漢語はそこにこめた天心の感情を生かしきっていない。
天心の詩作はるかに漢詩と英詩が大部分だが、どちらがいいであろう。にわかに決めることはできないが、感情表出のひだに立ち入っていえば英詩の方が書きやすかったであろう。だいいち漢詩は視覚に訴えるのみで音声の効果は日本人にとって無視されるのがふつうである。しかし英詩の方は、天心が幼少から受けた変則教育のおかげで、「魂への洞察」をあたえる「声の質」と密着している。
第四句は「流星一点南天に入る」である。英訳は、
《 Lo! A meteor has flown into the southern sky,---why could it be not myself? 》(見よ、流星一つ南の空に落ちた。それがわたし自身でなくて何だろう)である。もちろん、「南天」は恋人のいるインドの方向の天である。第四句は、どうみても漢詩よ方がいい。《---why could it be not myself?》は説明のための蛇足で、しかし英訳でこの説明部分を欠けば、原詩のパセティックなトーンはとても伝えられない。
長々といつもの様に引用したのは他でもない、もうお分かりだりうが「流星」は流れ星でありその正体は彗星と呼ばれる。先のムーミン谷の彗星、そのフィギュアを私は自宅の納屋に放置してた段ボール箱から見つけ出して、今日になって撮影したもの。
そして、桶谷秀昭の本は去年暮れに埼玉の友人、この人は浦和の市立だったかなマァ勉強家だが長年に渡り私みたいな愚うたらともお付き合い頂いてる訳だ、その彼が読めと送って来たもの。私はそれを一気に通読せずに、出来ずに、こうしてチマチマと部分読みしてる訳。
天心の英語に触れたのもこの桶谷秀昭の文章で初めて知ったもの。それは前にも紹介したが、明治新政府が出来て文明開化の世の中へと様変わりした中で、天心は横浜を中心とした外国人教師の生の英語教育を受けて、正式な学校教育なんぞではなかったという。その前には確かに武士の世の中、漢語教育はしっかりと幼少のみぎり叩き込まれてはいるのだが、ヤハリ生身の英語教育も又若いみそらには有効であったらしい。
そして、日本語よりは、むしろ英語の方が親しみやすい母語ともなったらしいのだ、その辺の所を桶谷秀昭の評論は突いている。我が国の文化文明にとっては非常にラッキーだったのかもしれない。文学者ではない、思想家の誕生でもあったのだから。天心は米国留学も後に果たしているが、それはアメリカ人の上流社会〜知識人たちの極東アジアへの興味の開眼でもあったのだが。
つまりベリーの黒船外交の上にもっと大きな歴史的な展開がなされようとする時代的な意味もみられるよだが、マァ長くなったので一先ずはココで区切ろうか。

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