昨日はメーデー、もう5月1日なのだ。そしてそのメーデーなる語句の味わいやイワユル労働者の祭典日ナンテ味わった事も無いクマは、僅か20年間ばかりをシガナイヨナ帝都は北の外れの場末の印刷会社で過ごした後に、日本的な同族経営の計画倒産で整理解雇されて雀の涙ばかりの退職金を得て露頭を彷徨ったもの。
それが二度目か3度目か4度目かのどん底を味わったかも知れない。人生劇場て懐かしい言葉を吾がものと味わいながら、それでも妻子を養うには暮れてばかりじゃ何の意味もなし、間違えたのは崇高な理想を掲げて現れた東京商工会議所の検定資格の、福祉住環境コーディネーターに為るべく新たな勉強への挑戦だったが、それは資格のための資格〜名ばかりのソレでしかなかった。
名目上では食って行けないのが判り、結局は訪問介護のホームヘルパーのみで働いたのが約15年、しかも日本経済もリーマンショックを経て失われた十年もそのまんま慢性的に継続化して、その間に己自身が高齢者の仲間入りと成り最早ズルズルと夜の流れの中へ溶け込んだかに思えた。
取り得た国家資格の介護福祉士たでさえ、若ければマダ食えたろうに年老いては只のお飾りでもあったが、身体の不調は訪れてしまい最早宮仕え出来る程の体力はナイと見なされた様ですわな〜
自分でもモウ断念したが早いと、母親を看取った後は自給自足の生活費さえ維持出来ればエエ、と単なる又もやシガナイ年金暮らしに早々と入った。色んな人生転機〜チャンスは有ったもののソレを活かし切れない不甲斐無さは思ったが、それも又ひとつの人生。
どん底感は有ったもののクサッテしまった覚えはない、元々が父親譲りの楽観主義者なのか〜流れ出るに身を任せてとばかりに世の中を泳いでたらモウこんな歳とは成ったのだ。
しまった!ノッケから手前勝手な身の下話クダラン下らない〜御免なさい!

この写真を見てビックリしたのは、時の流れの残酷さなのかも知れない。見た目がそこそこ美人にも写ってた彼女らかその後10数年を経て、歯も抜け髪も振り乱したマンマよ〜そう、小野小町もカクナン斯くの如し!〜心なき身にもあはれは知られけり、の謂であったが、それでも未だ生きとられる。そう御自身お点前の生き方処し方その人生を生き切る事が、これからの父君の供養しなからも必須よと語りかけたものだが〜
ホントは他人さまに話すべきものは無い。けれども話のついで、よもやま話としてクダラン下世話な与太話としてでも、兎に角ドン底なんてココロの中へ落ち込む事もない、与えられた天寿を全うすべく楽しく生きてけば良かジャなかや〜花もある、あったのだよ。

フェイスブックで貰ったワレラが子供時代!粗末で素朴で純情で〜
いつの間にかコノ馬跳び?なる子供だけの特権の遊び、止めたろうか?
やがて段々と皆んな大人の階段を登り始めたのだろうな。
ミンナ平等に笑って泣いて〜泣く子もいじめっ子も居たし勿論、優しい子も当然にも。正義の味方も月光仮面や鉄腕アトムだって吾等には付いてたのだ(笑)
明智小五郎や現在の名探偵コナンさえ居るじゃないか〜新聞のフクちゃんはテレビのサザエさんに代わり、いじわる婆ぁさんは都知事になって腑抜けと消えたが未だ私らは生きてる。
人それぞれ等しく年を取って老醜に紛れて行くのだ。その老醜を単に我が物だけに留め置いてこそ老残の身をこなして来しか有り得ようもない。
老兵は死なず、ただ消えゆくばかり〜でも未だ人生劇場の幕は降りてない。

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