
今日はさっぱりとした秋の風情が朝からずっと続いて、やうやう季節の呼び名が現実味を帯びた1日とはなりました。夕べの夜中にはヤハリ夏掛けのタオルケットだけじゃ肌寒さを感じてしまい〜あぁコレは歳のせいもあったろうが〜ふと人生の淋しみさえも誘う夜更けともなった。
これから秋も段々と深まっていこうが、そんな寂寥感もまた深まってゆくのか〜^_^
絵は医療センターから見た健康プラザの運動公園側、構図的にかなり絵画的な構図とも言えそうかも〜〜^_^
いつもお月様や季節の変遷など知恵を拝借してるページが、暦のページ。
そこの月の今宵の呼び名は立待月、でも昨日のは十六夜の月で満月の風貌も見せてた筈だけど、夕べは空を見上げなかった。早々と晩酌を始めてそのまんま一人で酔いながらネットサーフィン〜例によっていつの間にか寝落ちしてしまった。
万里悲秋常作客 (万里悲秋常に客となり)
百年多病独登台 (百年多病独り台に登る)
今夜の引用はソコから、〜杜甫の「登高」という七言律詩〜
風急天高猿嘯哀 (風急に天高くして猿嘯哀し)
かぜきゅうにてんたかくして えんしょうかなし
渚清沙白鳥飛廻 (渚清く沙白くして鳥飛び廻る )
なぎさきよく すなしろくして とりとびめぐる
無辺落木蕭蕭下 (無辺の落木蕭蕭として下り )
むへんのらくぼく しょうしょうとしてくだり
不尽長江滾滾来 (不尽の長江袞袞として来たる )
ふじんのちょうこう こんこんとしてきたる
万里悲秋常作客 (万里悲秋常に客と作り )
ばんりひしゅう つねにかくとなり
百年多病獨登台 (百年多病独り台に登る )
ひゃくねんたびょう ひとりだいにのぼる
艱難苦恨繁霜鬢 (艱難苦だ恨む繁霜の鬢 )
かんなん はなはだうらむ はんそうのびん
潦倒新停濁酒杯 (潦倒新たに停む濁酒の杯 )
ろうとう あらたにとどむ だくしゅのはい
艱難とは、困難なことで悩み苦しむことで、軍歌にも艱難辛苦などと同義反復語もあった。
繁霜鬢、霜の降りたように白くなった髪の毛〜老人の特徴的な表現、けども白髪と成らン御仁もござる^_^
潦倒、これは流石に解らない〜年老いて落ちぶれるコトとある。
五言絶句と違い、詩的には七言律詩はさすがにチトダラダラと説明が多目。我に朗読の愉しみあらばこの方が詩吟としては豊かな宴会もあろうが、しかし中国三千年上の豊富な文明〜断って置くが現代中国もその伝統は源流としてあろうし尊敬してるけども、政治思想的にも精神的にも中華帝国〜中共には決して与したくも無い。
それでもこの詩型や詩文、中国で遥かな昔に産まれたものなのだ。
今でもその伝統は文人墨客の精神風土は失われてないと一抹の希望は捨てたくはない。マァそんな事はどうでもイイか余計な猜疑心か〜イヤ只の感傷か。
この詩を取り上げたのは、さる9日〜そう、九九の重陽の節句に関連したテ言う「高登」の風習、確かに陰暦での行事や習慣や風情なので、現代の太陽暦の私らとは感覚的にも異なろう、オマケにもう鸚鵡返しにお付き合いする友も近くには居なくなった。それは最終場面のその心境に同じく、一人で寂しげにウラブレるしかなかろうとも〜
最大限に親しく付き合ってくれた中学の友が奇しくもその重陽に死んでしまったのも、又遠く在京の親かった酒好きの友も既に居ない〜その無情さに少し堪えかねて、敢えてこの七言律詩を取り上げた。
もう秋なのだ、誰もいない海〜〜

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