
さてと、愚妻がほぼ半年振りにいきなりやって来てあっという間に1週間が経った。あれこれ一人で考えることがほぼ不可能だったので、ネットでの気になったノの引用で何となく憂さ晴らし⁈めいた時間を過ごして来たが、ここで少し自省して真面目に考えてみよう。
最早いつからともなく秋とはなった。先の台風の影響だろうが、日中は冷たい風がそこはかとなく吹いて気温は上がったもののヤハリ夏の暑さとは違い、堪えられない程の嫌味がないのは有難い。
朝晩の冷え込みがハッキリとして来て、今日だってもう17度表示、コレを書いたらもう一眠りしようかと思うが頭からスッポリタオルケット2枚を被らねば、オチオチ眠れない程に寒さが身に染みて来出した。起きて動き出せば寒さは感じないのだが、明るくなってから外に出て野山や辺りを見れば午前中位は朝露がびっしょり〜テ状態。
但し錦秋の景観はあとひと月ほどはかかるだろう。
夜空の三日月が段々と太くなってきた、夕闇迫る頃には南西の空にくっきりお浮かんで見える。何となく人生がそこで唐突に終わったかの印象も感じられたが、多分それは夕方のイットキをもう死にたいなどと自虐的に話し掛ける障がい者と接してたからだろう。アタシも聞きたくないネ、止めとくれよ、ソンナいつもの繰り言。ウンザリだよ〜って返すと、シメタとばかりに又話し出す、しまった〜相手しない方が賢明だった。黙って仕事をこなし時間になったら帰る〜耳にタコだから、耳栓しようかなぁ今度。
さてと以下、映画の話。〜しようかと某掲示板で誘いを掛けたが誰も乗って来なくて残念。それで自分とこのブログでも又モノローグ^_^ マスターベーションだなぁ。
▼〜〜映画におけるインディアンの要素に関して、興味深い台詞がある。舞踏室のカウンターバーでバーテンダーのロイドからウイスキーを注いでもらったジャックは、「酒は白人の呪いだ。インディアンは知らん」と言う(Blu-ray版の高瀬鎮夫氏による日本語字幕)。しかし元の英語の台詞は、「White man's burden, Lloyd my man. White man's burden(白人の責務だ、ロイド。白人の責務)」となっている。英語の台詞には「呪い」も「インディアン」もない。なぜこのような字幕になったのか。
実は、『 ジャングル・ブック』の著者として知られるラドヤード・キップリングが19世紀末の米比戦争について書いた詩『The White Man's Burden: The United States and the Philippine Islands』(1899)が、ジャックの台詞の下敷きになっている。英語圏では有名なキップリングの詩は、未開の地の蛮族を征服し啓蒙することが「白人の責務」だとし、欧米の白人国家による帝国主義と植民地政策を賛美・称揚するものと考えられた。
なんでこんな映画評をイキナリ引用したかチウと、それは昨今の北朝鮮の核開発にミサイル発射など米国トランプ大統領と仲良く接したかと思えば日本の安倍自民政府を牽制するかの軍事挑発、それに煽てられたかの韓国の慰安婦賛美や徴用工らの囲い込みで大戦前の大日本帝国時代からの怨嗟〜恨み辛みを反日運動と躍起になった朝鮮半島情勢から。
更にはまた大陸は中国の香港の民主化要求デモの報道を見ながら考えたこと、それは又前の朝鮮半島のもメデイァ越しだから単なるニュースとして眺めてたのだが、韓国の反日感情の1つに必ず引き出される歴史認識ってヤツ、我田引水的にかなりいい加減な世界観やら歴史観をねつ造してるらしいが、それは一応置いといて、兎も角WWUまでの帝国主義時代〜植民地が世界のアチコチに在った時代からもう1世紀が過ぎている。
あわわわわ〜眠くなった〜ので、一旦ここで切る〜〜すみません。またね〜^_^

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