
全国的に最強寒波に見舞われたとのwhether report、この地も夜には雪が10cm程も降るだろうとも言われてたが、どうもかなりなスピードで雪雲は流れて行ったようで、薩摩半島の日本海側を中心にそうなった様子、鹿児島湾〜錦江湾を挟んで当地の大隅半島側は日中はピーカン照りの天気。吹く風はしかし全く冷たく気温も6〜8度くらい、日陰では氷は溶けずに夕暮れを待った。
ご覧の様に高隈山の8号目以上〜8〜900m以上は万年雪みたい。
コレは昨日の朝の光景。

こちらは昼下がりの都城市イオンから眺めた高千穂峰、新燃岳かな?小林市の方へ行けばすぐ麓に辿り着けるが、帰りが暗くなると怖い(^^)かも知れんので3月過ぎのお山開きの頃迄は眺めるだけにしようかと思った。
それ位に魅力ある山容、電話の電池も僅かだったからチト不安だったし〜何とか挑戦してこの絵を撮れたのだ。屋上3階は閉鎖されていて2回へ通ずるスロープの途中からの眺め、もう斜めに日が落ちかけてた。
望遠ズーム付きの一眼レフカメラならばもっともっと素晴らしい画とはなろうが〜

二階の金網越しだと街の様子が少し判るかも知れないが矢張り風情がない。
空の青さがとても綺麗だ。

順序が逆となったが、下は、昔ながらの温州小蜜柑を手前に高隈山(たかくまやま)山容。朝の光景と思ったがどうも夕景らしき。夕陽が当たりピンクっぽく滲んだ山頂の向こうに棚引く雲の塊りが北西風に流されてるのが判る。
カーラジオからはズッと、永遠の青春アイドル西城秀樹の特集が流された。
迂闊な事に私はファンではなかった、アイドルをミーハー的に好きにはなれなくて、それでも野口五郎、郷ひろみと共にアイドル御三家の1人として認知してたし、唄は嫌が応にも耳に飛び込んで来たし輝かしい笑顔は何処へ行っても溢れてた。
音楽好きの従姉妹の引越し手伝い時にはLPアルバムの2枚や3枚は出て来たし、私は見向きもしなかったEPドーナッツ盤も何枚もあった。そう、男子よりも先ずはその容姿端麗〜ルックスにファン層は着いてったっぽく、しかし真面目にこの歌手の歌を聴くと、その歌いっぷりは紛れもないロック歌手としての全容が伺い知れた。食わず嫌いもがな〜ヤハリひねくれた青春時代を送ったオノコなれば〜随分と回り道した。アイドル初期の頃のは何となく聞いた歌曲だが、それでも大ブレークした時代を彷彿とさせる歌曲だと殆んど一緒にメロディをなぞれる程に聞き知ってるのには驚いた。矢っ張りヤングマンYMC?〜になるとそのゼスチュアまで子供みたいに真似っ子ソングと化す
〜^_^
身の丈180cmを超える容姿と聞いて今更ながら驚嘆、そしてその声音に納得したが、ギャランドゥーとか声量の良さにも又改めて聞き惚れたもの。
そして、昨日の空の様に、イヤ空の青さのそれに似て、ブルースカイブルーの歌詞もとてもイイ、調べたら阿久悠。アァあのピンクレディ等にも提供してたなぁと納得。
あの時の目にしみる空の青さ思う、まぶし過ぎた空思い出した〜と言った絶唱は、誰もが思い知る精神的な心象なのかも知れない。
帰宅して酒を飲みながら身体を温め新ためて聴き直したらその意図が別れ歌だったのも納得。
私には中島みゆきのそれが直ぐに浮かぶも、秀樹の歌曲が殆んど女性が気持ちを代弁してた様にも思えて仕方ない。作詞家やらの代弁者だからだが、この歌手が既に60歳代初めに亡くなったのは残念、
Wikipediaで見たら、頑張り屋の多忙な芸能活動の中で、ヘビースモーカー振りとコンサート後の暴飲暴食に不規則な歌手生活、「隠れ脳梗塞」の要因は数え切れない程も挙げられてる。
▼〜「心房細動や不整脈などの病気が隠れていて、心臓から血の塊が脳に飛んでいくこともあります。西城さんも心臓になんらかの持病があった可能性があり、リハビリで負担が蓄積し、急性心不全が起きた可能性も考えられます」と医師の判定は恐らくは外れても居ない。
本来ならマダマダ壮健な年代だがそろそろ身体の健康状態の点検も必要な時期だったろう事を、恐らくは本人が承知して居なかったのが既に脳梗塞を起こして心臓も脳力も突然死〜そうした言い方があるかどうか?〜意識不明のまま遂に蘇生する事なく心不全となった様だ。
悲しい位に抜けるヨナ澄み切った冬空を観て、偶々に流れ出した音曲の数々。まだ私はノンベンだらりとだが生きてた〜

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